
アルゼンチン北部の高山地帯を行く
「君には休学をさせられない」
休学も2年目となると、そう簡単にはいかない。大学からはこう突き付けられた。
日本と異なる環境・文化を体感する為に、大学を休学して南米を自転車で単独縦断しようと決めた。休学届にはバカ正直に、「南米を自転車縦断するので休学する」と書いて提出した。学生にそんな危険な旅をする事を許可する訳にはいけないと言うのが大学側の言い分だった。
夢に導かれて努力してきた。昼夜を問わずに掛け持ちのバイトを1日14時間こなし、合間に激しいトレーニングと旅の準備を進め、何度も疲労で倒れそうになった。あれだけ努力したのに夢を諦める事は考えられない。何があってもこの意思を絶対に曲げない。大学を辞めてでも行くつもりだった。
そんな時に出逢ったのが、現在は退官された機械工学科の大好直教授だった。大好先生も旅が好きで若い頃は自転車で国内を旅した事もあるそうだ。僕の話を理解し、会議で他の先生方を説得して下さった。そのお陰で休学届を認可され大学生のまま南米に行く事ができた。
南米自転車縦断はかなり難しい目標に思えた。なにせそれまで海外に行った事は無い上に南米で主流のスペイン語はおろか、英語すら殆ど話せないのだから。それなのに10ヶ月近くも掛けて単独、しかも自転車で旅する事は不可能にも思えた。だが夢は難易度で決める訳では無い。それをやりたいからやるのだ。難しいと言う理由で諦める夢は夢と呼べない。それに夢を叶えるに値するだけの努力もしてきた。後は怖くても飛び出す事だ。そう思って、エクアドルへの片道チケットを購入し、日本を飛び出した。
ペルーにて・自宅に泊めてくれた家族
南米の旅は苦難の連続だった。南米大陸を貫くアンデス山脈の激しい高低差が自分を苦しめ、地上絵で有名なナスカからは100kmの登り坂が続き、ボリビア南部では標高4800 m以上の砂漠地帯縦断、南米南部パタゴニアでは風速30mの風が暴れ狂い、ペルーの砂漠地帯で39度の高熱を伴う下痢で歩けなくなり、食料が尽きて食用油を飲み、町で強盗に囲まれては何とか逃げ、アルゼンチンでは丸1日牢屋にまで入れられた。肉体が辛い時は雄叫びをあげながら自転車をこいだ。今までいずれも体験した事がないものばかりだった。そして1つ1つを克服する度に自らが強くなっていくのを感じた。
しかし苦難ばかりでは無い。その旅を通して多くの人との出逢いがあり喜びがあった。スペイン語が全く分からず当初はジェスチャーで会話したが、次第にスペイン語が身に付いた。スペイン語の先生は途上で会った人々だ。彼らは会話の中で丁寧にスペイン語を教えてくれた。それらの単語を拾い上げては模倣して使う。パズルを組むようにしてスペイン語を覚えた。
南米の皆が助けてくれた。道を尋ねたら自宅に招いてくれた家族。「日本の様な富裕国が羨ましい」と言いながらビールを奢ってくれた若者。食堂で旅の話をすると「お金は要らない」と言ってくれたおじさん。自分の弱さと小ささを感じ、自分も優しい人間でありたいと思わせる。人の優しさを感じる度に、この旅は自分だけのものでは無くなっていた。いつの間にか「皆の優しさに答える」為に旅を続けていた。旅の中で世界の本当の美しさを理解し、自分の傲慢な考えは変わっていた。
だが290日掛けて南米を1,1000km縦断しても自得の境地からは遠かった。その先に遥かに道が続いているように見えた。
リアルタイムで更新していたブログの最後にはこう書いた。
「再びペダルをこぎ出した背中に風が吹き始めた。まるで自分を後押ししてくれる様に」
走り続けたい。走り続ける人間こそが最も輝いているのだから。
現在は、東京の浅草で人力車を引きながら
次の旅の準備を進めている。
1982年、秋田県生まれの自称「夢を追う男」。
秋田大学在学中、自転車での南米大陸(290日・1,1000km)単独横断を達成した。
「夢を夢で終わらせないために」彼の歩みはとまらない。
そんな彼の活動がホームページで見ることができる。
講演・取材も積極的に活動中
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