
アメリカ・モンタナ州にて氷河の山々をバックに
南米を自転車で縦断した後、大学に復学した。
僕は大学が嫌いだった。講義の暗鬱とした空気が嫌いだったし、同級生の授業への態度にも辟易していた。
しかし、復学した後は大学が素晴らしい場所だという事に気付く。悪いのは環境ではなく僕自身だったのだ。僕は自己不満を環境のせいにしていた途轍も無く小さな人間だった。南米の旅は何よりも僕自身を大きく変えていた。復学後は各種メディアに出演し、秋田大学や各所で講演会も開かせて頂いた。僕の経験を多くの人に伝えたかった。そして、驚く事にその活動を評価され大学から優秀生徒賞も頂いた。
僕が卒業した頃はリーマン・ショック前で、団塊世代が退職する穴を埋めるために就職は豊富だった。
だが僕は就職しない道を選んだ。将来に不安はある。それでも純粋に夢を追いたい。そして自分が弱い人間だと知ってるが故に、自分を窮地に追い込まなければ不安の重圧に潰されてしまう。僕は考えうる限り最も不器用な生き方を選んだ。夢を夢で終わらせない為に。
卒業後に僕が選んだ仕事は、東京の浅草で人力車を引く事だ。働きながら体力もつくし、コミュニケーション力も上がるはずだ。そして日本の伝統文化であり、外国でも誇れる仕事と思ったからだ。そして、人力車を引きながら僕は明確な目標を目指していた。
アメリカ・コロラド州、3500m以上の稜線を歩く
それが、アメリカのContinental Divide Trail(大陸分水嶺トレイル)踏破だった。このカナダ-メキシコ国境間のロッキー山脈を縦走する4000km以上の山道は、当時日本人が踏破した事のないルートで、「日本人が未だかつて見た事のない景色が見たい」というロマンチシズムこそが最大の動機になった。
しかし、日本人未踏破ゆえに分からない事も多い。そこで僕はカナダで働く事にした。カナダのロッキー山脈の町で働き、現地で情報調達した方が効率的だ。そしてカナダではビデオカメラマンの仕事をする事で、ビデオと映像について勉強した。自分の旅を表現するには、その知識が必要だった。更に町の付近は山々で囲まれ、トレーニングにも最適だ。休日には登山に明け暮れた。
2010年6月18日。カナダ-アメリカ国境からトレイル踏破に向けて歩き出した。やれる事は全てやった。後は歩き切るだけだ。
出発当初はロッキー山脈にまだまだ雪が残っており、雪山でビバークした時には、寒さで一晩中幻覚と幻聴に悩まされた。そして警戒すべきはグリズリーベアの存在であり、その痕跡を見る度に戦慄した。護身用にペッパースプレーを持参していても頼りない。夜中にテントの周りで動物が歩いている時などは怖くて眠れなかった。ほぼ毎晩の様に狼の遠吠えを聴いて夜を過ごした。食料は少しでもカロリーを摂る為にピーナッツバターをスプーンで食べた。とにかく身体を動かすエネルギーが必要だった。
11月11日、4200kmを歩きメキシコ国境に到達した。だが僕には次の目標がある。来年はカナダのロッキー山脈を歩くのだ。目標がある内は立ち止まってなんかいられない。
達成した感動よりも、更なる情熱が僕の身体を満たしていた。
現在は、東京の浅草で人力車を引きながら
次の旅の準備を進めている。
1982年、秋田県生まれの自称「夢を追う男」。
秋田大学在学中、自転車での南米大陸(290日・1,1000km)単独横断を達成した。
「夢を夢で終わらせないために」彼の歩みはとまらない。
そんな彼の活動がホームページで見ることができる。
講演・取材も積極的に活動中
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