留学を希望する方へ
留学体験記

バンドン工科大学
(インドネシア)

2017(平成29)年度
派遣交換留学 トビタテ!留学JAPAN
国際資源学部4年
毛内 志歩

インドネシア伝統衣装
(本人:中央)

地域のバドミントンクラブにて
(本人:左から3人目)

レンバン植物園にて
(本人:中央)

ジョグジャカルタ
ボルブドゥール寺院にて象乗り

 私はインドネシアのバンドン工科大学という大学に一年間在籍しました。バンドンという街は首都のジャカルタより電車で三時間ほど離れたところにあり、ジャカルタ、スラバヤに継ぐインドネシア第三の都市です。バンドン工科大学ではビジネスやマネジメントを学ぶ学部とエネルギー資源開発を学ぶ学部二つに所属していました。文系と理系両方の学部を行ったり来たりと混乱することも多々ありましたが、親切にサポートしてくれる友人に恵まれ無事単位を取得することができました。さらに三か月地熱開発を行っている企業でインターンシップを行いました。このインターンシップでは地熱開発のマネジメントやインドネシアの地熱事情について学ぶことができとても良い経験となりました。

 留学する以前にインドネシア人は日本人よりも英語が話せないと聞いていました。そのためただでさえ自分の英語力に自信がないのに会話が通じるのだろうか、今更インドネシア語を習得しようとしても英語以上に使えるとも思えないと不安になっていました。しかし、在学していた大学の生徒はもれなく基本的な会話が英語でできるではありませんか。もちろんみんな私よりもはるかに上手です。私の拙い英語も一生懸命理解しようとしてくれたり、より分かりやすい表現をしてくれたりと手取り足取りです。そのうち英語で会話ができていることが自信となり、色んな表現を使うようになりました。あの子はこんな言い回しをしていたなとか、あの先生の口癖を真似してみようだとか、すっかりインドネシア人の話す英語が得意になりました。お互いにネイティブスピーカーではないため、複雑な言い回しはほとんどせず、いかに相手に伝えるかを第一としていました。この環境が私にとってはありがたく英語能力のステップアップに繋がりました。

 インドネシア人が英語を話せないというのは間違いではありませんでした。キャンパスを一歩外に出るとインドネシア語しか話せない人の方が多かったです。そのためレストランやカフェの店員さん、タクシードライバーの方とはインドネシア語で会話する必要がありました。全く話せない状態で日本を飛び立った私でしたが、友達に教えてもらいながら日常で使う最低限のインドネシア語を覚えることができました。今ではタクシーに乗って目的地に向かう間中インドネシア語でドライバーの方と世間話をできる程度になりました。現地の言葉を使えるようになって生活に不自由を感じなくなったあたりから、インドネシアという国に安心感を抱くようになりました。この国で一年間生活をまっとうできたことが何よりの自信となりました。
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