秋田大学研究者 佐々木真紀子教授

Lab Interview

看護師が安心して働ける環境づくりをめざして

職業性曝露に対する正しい認識と対策を

 看護職を取り巻く環境は危険なことが多いというのは、昨今の新型コロナウイルスの事情からも明らかになっていることだと思います。佐々木教授は約20年間に渡り、たくさんの危険因子が存在する中で働く看護職の健康管理についての研究をしてきました。
 前任の看護学専攻基礎看護学講座 石井範子教授は、医療従事者が抗がん薬を扱ったり、抗がん薬を投与した患者さんの排泄物等を扱うことで抗がん薬に曝されてしまう『職業性曝露(しょくぎょうせいばくろ)』の防止に関する研究において日本のパイオニア的存在でした。佐々木教授が看護師だった頃は薬剤自体の危険性は知られていましたが、目に入ったり、吸い込んだりするなどの影響が実際はどのくらい危険なのかということは解明されてはおらず、どのような影響があるのかということを石井範子教授と一緒に研究を始めたそうです。

看護師のDNA損傷の検証に用いたコメントアッセイ法の写真:
DNAが損傷すると電気泳動の際に彗星のように尾を引いたように映る

 抗がん薬は、がん細胞に対して増殖や転移を抑える効果がありますが、正常な細胞にも作用を及ぼします。抗がん薬が職業性曝露によって体内に吸収されることで、医療従事者にも様々な健康影響を起こすことが考えられています。先行研究では抗がん薬による治療に携わった看護師の尿中には、細胞に対して突然変異を誘発する変異原性と言われる物質が増えていたことが報告されています。
 また佐々木教授の研究グループでは、抗がん薬を取り扱う看護師はDNA損傷を起こす可能性が高いことを明らかにしたり、抗がん薬治療を行う病棟で勤務する看護師の尿中に抗がん薬が実際に排泄されることも研究結果として報告してきました。

 患者さんにとっては、抗がん薬は治療薬として第一選択となります。しかし医療従事者は、吸収される抗がん薬の量が僅かであっても、たくさんの患者さんの看護にあたるため、接する回数が多いければ多いほど影響が出てくる可能性が高くなってきます。抗がん薬として効果が高いということは、毒性も高いということにも繋がるのです。
 「研究を始めた当時、海外に比べて日本は職業性曝露についての認識や対策が遅れていることに気付きました。職業性曝露は1970年代後半から北欧諸国で言及されており、国の施策としても抗がん薬の取り扱いに関するガイドラインの策定や遵守を徹底していました。しかし日本にはそのような国の施策はなく、医療現場での抗がん薬の取り扱い場面においても、曝露対策が行われている様子もほとんど見られませんでした」
 佐々木教授は日本の医療現場にも職業性曝露に対する正しい認識と対策が必要であると言います。

いたるところに潜む曝露のリスク

 佐々木教授によると、当時の日本では抗がん薬の職業性曝露について「そんなはずはない」といわれるほど考えられない話だったそうです。抗がん薬の成分は肝臓で解毒され、排出される時は悪影響が無いと思われていましたが、実際には代謝されないまま体外に排出される物質がたくさんあります。抗がん薬が実際にどの程度環境中に付着しているかを調べた研究では、病棟の各場所の拭きとり調査の結果、点滴台の下や看護室の電話、ドアノブにも付着していることが明らかになっています。今でこそ抗がん薬は徹底した対策の元で管理されるようになってきましたが、治療に携わっただけではなく、抗がん薬による治療を行う環境に長期間いるだけでも職業性曝露のリスクに曝されていることがわかってきたのです。
 しかし、どのくらい体内に蓄積されているのかを簡単に測ることができないため、できるだけ身体に取り込まないような工夫や対策をすることが大事です。

 WHOでは、「ヒトに対する発がん性があるかどうかの根拠の強さ」によって発がん性物質をグループ1、2A、2B、3、4の5段階で分類しています。グループ1には「ヒトに対する発がん性が明らかに証明されているもの」に当てはまる物質が含まれ、代表的な物質としてアスベストが挙げられます。抗がん剤に含まれる物質はグループ1に該当するものもあり、アスベストを取り扱う時の防護体制を考えると、抗がん薬に対しても同様の曝露対策が必要であると言えます。その観点から現在では、抗がん薬の取り扱い時の個人防護具の着用が原則となりました。

徹底した対策と正しい知識でリスクを減らす

 抗がん薬を混合調製する際にも曝露のリスクは潜んでいます。そこで、これまで病棟で看護師や医師によって行われていた混合調製を、現在では適切な環境下で薬剤師が混合調製を行うという病院が増えています。具体的にはゴーグルや二重に手袋をして対策を行っている他に「生物学的安全キャビネット」と呼ばれる、中の空気が外に流出しない設計のキャビネットを使用して薬剤師を曝露から防護しています。また最近は、ロボットを使うことにより24時間体制で安全に抗がん薬を混合調製できる大学病院もあるといいます。
 このように薬剤師に対しても様々な対策が行われていますが、抗がん薬を患者に対して使用し、廃棄まで管理する役割は看護師にあります。抗がん薬を安全に取り扱うためにはやはり看護師一人一人が正しい知識を持つことが重要です。そして抗がん薬に関する危険性は、完全には排除できていないため、危険性を認識して仕事にあたることが何よりも大切です。これは抗がん薬に限らず、強い効き目を持つ薬を取り扱う人たちにも同じことが言えます。また、病院内だけではなく、在宅で治療している場合も家族や訪問看護師、介護士、外来の看護師にも同様な注意喚起をする必要もあります。

全国へ広がる職業性曝露の認知

 佐々木教授は共同研究者らと抗がん薬の職業性曝露について、何度か全国調査を実施しました。研究を始めた頃は、薬自体の危険性はわかっているが、自分たちへの影響までは詳しくわからないという人や、実際にどう防護すればいいかわからないという人が多かったそうです。しかし、これらの調査が啓蒙活動にもなったと考えています。また、これまでの研究内容や看護師が抗がん薬を取り扱う際の注意事項をまとめた本を共同研究者らと出版したり、20年近く研究を続けてきた今、5~6割ほどだった認知度は9割まで向上したのだそうです。それに加え、病院などでも抗がん薬の取り扱いに関して独自のマニュアルを作成するようになりました。
 しかし依然として認知度の差は存在します。また、病院内の設備についても予算の面からまだ充実しているとはいえないため、これからも職業性曝露の対策について考えていかなければいけないと佐々木教授は語ります。

看護職に多い職業性アレルギーにも研究を広げて

 佐々木教授は同じく看護職を取り巻く環境に存在する危険因子として、『職業性アレルギー』についても研究を進めています。アレルギーは、近年の日本では2人に1人が何らかのアレルギー疾患を患っており国民病と呼ばれるほどです。そのような状況下で、特に医療従事者はアレルゲンに曝される機会が多いので注意が必要なのだそうです。
 特に天然ゴムの原料であるラテックスのアレルギーは非常に危険性があります。幼い頃にゴム風船で口の周りが赤くなった経験がある方は、ラテックスアレルギーを引き起こす可能性があるといいます。また、歯の治療を受けた際に、医師や看護師がラテックス手袋を使用していると、口の中の粘膜からラテックスが吸収されやすいためアナフィラキシーショックが起こり得るというのです。ラテックス手袋をはめる際、通りをよくするためにパウダーが入っていますが、このパウダー自体がアレルゲンを散らす原因となるため注意が必要です。医療機関でもラテックスアレルギーに配慮し、ラテックスフリーの素材や合成ゴムの手袋を使用されるようになりました。最近では使用することも当たり前になった手指消毒用のアルコールにアレルギーのある方もいます。
 手荒れやアトピーで皮膚の角質が損なわれていると、そこからアレルゲンが入りやすいため、スキンケアはアレルギー対策として非常に大事なことです。医療現場では、医療従事者が感染の媒介となってしまうことを避けるため、1ケア1手洗いといわれるほど手洗いを徹底しています。そのため手洗いの回数も多くなり、手荒れのリスクを高めてしまうのです。そこで病院側の対策として、手荒れのしづらい石鹸や、手洗い後のクリームが用意されているといいます。様々な危険から身を守るために、個人での対策が難しいものについては、組織的に仕組みを変えていくことが全てに共通して重要だと佐々木教授は考えます。
 「職業性アレルギーについては、これからまだまだ研究する課題がたくさんあり、アレルギー専門の先生と連携しながら進めていきたいと思っています」

共に成長していく力を

 「看護は患者さんとの相互作用であり、看護師も学生も患者さんから学ぶものがたくさんあると思います。また学生にとって患者さんや臨床の看護師さんからの声はとても大きな影響を与えていると思います。それらと向き合っていくことが、その人自身の成長に繋がっていくことを実感してきました」
 現在も臨床はどんどん進歩していて、学校で教えていたことがそのまま使えないということも出てくるため、佐々木教授も学生時代に「自分の頭で考える看護師になりなさい」と教えられたそうです。その教えを守り、学生たちには自分で考えて判断したり応用できる自己学習力を身につけてほしいと願っています。
 秋田大学は国立大学という性質上、全国から志願者が集まるため、医学部の入試倍率は高水準を保っています。しかし、少子化や県外流出の影響により、他県と比較すると地元出身の志願者数は低迷しているといいます。そのため卒業後の勤務先は県外であることも多く、秋田県としては医療人材を十分に確保できていない状況です。
 「ぜひ皆さんの若い力を秋田に役立ててください。秋田大学には附属の大学病院もあるので、ただ勉強するだけでなく、実際に現場で働いている看護師や患者さんとやり取りすることで、いろいろ得られることがあります。人の役に立ちたいという気持ちで志望するのもいいですし、進路に悩んでいても、ここに来れば成長できるかもという気持ちで「看護」の門を叩いてほしいと思います。国家試験や卒業論文、実習などが重なることもありますが、乗り越えた時には大きく成長できると思います」
 長きに渡り専門職の教育をされてきた佐々木教授は、まるで母のような優しさで話します。そんな佐々木教授の研究は今後も医療従事者の健康を守る環境づくりや私たちの生活のために続いていくことでしょう。

研究室の学生(4年次生)の声

 佐々木教授の研究室に所属する4人の学生さんに秋田大学を志望したきっかけと、現在行っている研究内容について伺いました。

佐々木 琴音 さん

 大学選びの段階では「人と関わる仕事がしたい」「地元で進学したい」という理由で秋田大学を選びました。その後、祖母が入院した際に看護師さんのお世話になったことをきっかけに看護師を目指そうと看護学科を受験することを決めました。
 現在は学生の口腔ケアに対する認識と実践状況について研究を行っています。学生を対象とした研究に興味があり、その中で日常生活においてはずすことのできない口腔ケアに焦点を置きました。口内から細菌が入ると体にも影響を及ぼすことを患者さんに認知してもらい、充実したケアを提供するためには、自分自身の口腔ケアができていることが必要だと思っています。

清水 彩花 さん

 入院していた祖母に聞いた話から看護師という存在の暖かさを感じ、自分もそのような存在になりたいと思い看護師を目指すことにしました。看護学科への受験を考えていたのですが、地元の岩手県には医学部を有する国公立大学がなかったため、秋田大学を受験することに決めました。
 看護師の手の温度と患者の反応や印象の関係について、実習を経験した看護学生のフィードバックから研究を進めています。手が暖かい方が安堵感を得られるようなイメージがしますよね。しかし実際には手が冷たくても患者さんが火照っている時には気持ちよく感じるといった場合もあり、予想と違った興味深い結果が得られました。

倉本 理央 さん

 看護学科のある国公立大学を目指していましたが、地元である千葉のような首都圏の医療ではなく、地方の医療について知りたいと思い秋田大学を目指しました。
 現在私は看護学生が患者さんの服装に対しどのような印象を持っているのか、どのくらい関心があるのかを調査しています。入院患者さんは着脱の容易さや衛生面の観点から、毎日病衣を着ています。健常者は日々のモチベーションを服により保っている人もいるので、患者さんも入院中に衣服の自由があれば、闘病意欲が沸いて入院生活に良い影響を与えるのではないかと考えています。

櫻庭 純佳 さん

 高校は看護学校に進学する学生が多く、講演会などでも看護師の話を聞く機会が多かったため、話を聞いているうちに看護師に憧れを持ちました。進路としては、地元の秋田県で国公立大学に進学したいと考え、秋田大学を選びました。
 私は看護学生の実習時における手洗いの実践状況について研究をしています。自分自身が実習に行った際に、時間的制約や焦りなどから、学生が手洗いをしっかりと行える時間を十分に確保できてないと感じました。そこで、実習を経験した看護学生にアンケート調査を行いました。学年や性別、飲食のアルバイト経験、同居家族に医療従事者がいるかどうかなど、様々な要因によって手洗いの意識に差が表れていることがわかりました。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

大学院医学系研究科保健学専攻 看護学講座
教授 佐々木 真紀子 Makiko Sasaki
秋田大学研究者 佐々木 真紀子教授
  • 日本赤十字中央女子短期大学 1978年3月卒業
  • 東京大学 医学部保健学科 1995年3月卒業
  • 秋田大学 教育学研究科 学校教育専攻 修士課程 1997年3月修了
  • 秋田大学 医科学研究科 博士課程 2008年3月修了
  • 【所属学会・委員会等】
  • 日本看護科学学会、日本看護研究学会、日本看護学教育学会、日本看護診断学会、北日本看護学会、日本産業衛生学会