秋田災害忘れじの旅ある記(歩き) その1 子どもの命を奪った津波【水田 敏彦】(24.4.1)

写真1 男鹿市加茂青砂海岸[2012年3月(水田撮影)]
写真1
男鹿市加茂青砂海岸[2012年3月(水田撮影)]

 1983年(昭和58年)の日本海中部地震では、能代・山本地域を中心に104名もの人々が犠牲になり、その多くは(100名)は津波によるとして広く知られています。ところが、当時多くの人々は「地震があったら津波の用心」という常識がなかったと言われています。このような中、13人の小学生が津波の犠牲になりました。男鹿市の加茂青砂海岸です(写真1)。

男鹿市加茂青砂の位置
男鹿市加茂青砂の位置

 加茂青砂にはこの子ども達の慰霊碑が建っています(写真2)。震災翌年の昭和59年5月26日に合川町が建てたものです。碑の裏には縦書きで「殉難の碑」とあり、子どもの名前と被害の様子が刻まれています。書かれた部分を書き出すと以下のようになります。
 「合川町立合川南小学校四年生五年生の児童四十五名が社会見学の途中日本海中部地震による津波に遭遇し男鹿市加茂青砂海岸にて十三名殉難。霊を慰める為にこの碑を建立。」

写真2 加茂青砂にある慰霊碑[2012年3月(水田撮影)]。この裏に「殉難」の説明がある
写真2
加茂青砂にある慰霊碑[2012年3月(水田撮影)]。
この裏に「殉難」の説明がある

 私が訪れたのは3月20日で、彼岸の中日だからでしょうかお花が供えられていました。学校の先生や子ども達の誰かが津波の可能性を知っていれば、子ども達の命は救われました。合川南小学校(2012年3月に廃校)は内陸に位置していますが、自然災害は、いつ、どこで、どのようなものに遭遇するかわかりません。ちょっとした知識の有無が、災害時には生死を分け、それを防ぐには防災教育が必要であると改めて思いました。
 天災は忘れた頃にやってくる。という有名な警句がありますが、ちょっと足を止めると我々の身近に災害を伝えるものがあります。次回以降も秋田県で発生した震災を中心に、そこで起こった事実を紹介します。寄り道するきっかけになればと思っています。