秋田災害忘れじの旅ある記 その7 秋田仙北地震から100年(1)地震をふりかえる【水田 敏彦】(26.2.4)

 秋田県の仙北地方に大きな被害をもたらした1914年(大正3年)「秋田仙北地震」から、今年の3月15日でちょうど100年になります。この地震はその3のコラムで既に紹介済みですが、被災の中心の地名から『強首(こわくび)地震』とも呼ばれ、秋田県地域防災計画の「想定地震」の1つとなっています。写真1に強首村の当時の被害と現在の様子を示します。早朝4時59分に発生した地震であり、今村明恒博士は震災予防調査会報告(1915年)のなかで『住家全潰数640に対して死亡者数が多いのは発震時刻の朝5時頃に睡眠中の人が多かった』からだと指摘しています。また、冬期間に発生した地震でもあり積雪寒冷地である秋田にとっての防災を考える上で特に重要です。地震被害の大小は地震そのものの大きさでは決まらず、地震発生時期・時刻、地震が起きたときの社会情勢などに大きく左右されます。秋田仙北地震は地震被害を拡大する要因を考える上で貴重な教訓を残しています。このような歴史地震がもたらした未曾有の被害を忘れることなく、災害の特性を知り、日頃から備えておくことが重要です。

写真1 秋田仙北地震における強首村の被害(左)と現在の旧強首村(右)
[左:震災予防調査会報告(1915)より 右:2014年1月(水田撮影)]

◆秋田仙北地震とは
 本地震はマグニチュード7.1の内陸直下型地震であり、秋田県内の被害は死者94名、負傷者324名、住家の全潰640棟という甚大な被害が発生しました。住家の被害は震央に近い雄物川沿いと横手盆地中央部で大きく、山地部については住家の全潰は少ないものの、斜面崩壊が広範囲で発生し大沢郷村では地震による堰止め湖が形成されました(コラム3参照)。また、近代化が進んできた秋田県において、鉄道、道路、水道等の土木施設にも大きな被害が生じました。例えば、雄物川に架設工事中であった刈和野橋が地盤陥落により大きな被害を受けています。写真2に刈和野橋の被害と現在の様子を示します。

写真2 秋田仙北地震における架設工事中の刈和野橋の被害(左)と現在の刈和野橋(右)
[左:震災予防調査会報告(1915)より 右:2014年1月(水田撮影)]

◆家屋および人的被害の分布
 図1は被害から求めた秋田仙北地震の震度分布図です。震災予防調査会報告(1915年)や新聞記事から家屋および人的被害を旧市町村別に整理し、各地の震度を推定しています。図には震央と雄物川、子吉川の流路も示しています。なお、被害の集中した町村は境界を破線で表し、集落ごとの震度分布を示しています。震度7の激震地域は震央に近い雄物川沿いの強首村の強首、木原田、大澤郷村北野目、神宮寺町宇留井谷地および横手盆地上の大曲町東川となっており、その周辺部も震度6+が多くなっています。これらの被害状況は地盤条件によって大きく左右されています。

図1 被害から求めた震度分布(●7 ◎6+ ○6 ◇5+ △5 ×4 アンダーラインは死者のある町村)

◆斜面崩壊および道路・鉄道被害の分布
 斜面崩壊および道路・鉄道に関連する新聞記事を抜き出し、被害の分布を当時の主要街道とともに示すと図2のようになります。斜面崩壊の分布については、震央西側の山地に位置する大澤郷村の布又、猿井沢、逆川、水川、細越や北楢岡村、南楢岡村、外小友村に集中しています。これらの地域では地盤条件が良好なためか家屋の全潰は比較的少なくなっています。しかしながら、斜面崩壊の被害を受けた範囲は広く、震央から25㎞程度離れた本荘街道や湯沢街道沿いの斜面で崩壊が発生し、通行できなくなっています。鉄道については、家屋の被害が多く見られた地域である刈和野と飯詰の停車場が倒潰し、奥羽本線刈羽野~境間の鉄道線路の陥没が発生して不通となっています。また、玉川と岩見川に架かる鉄道橋が破損しています。
 今年の防災コラムは100周年の節目を迎えた秋田仙北地震を中心に、震災の状況を紹介します。

図2 斜面崩壊および道路・鉄道被害の分布(●斜面崩壊 ◎道路被害 ○鉄道被害)