秋田災害忘れじの旅ある記 その8 秋田仙北地震から100年(2)わが国初?近代水道の地震被害【水田 敏彦】(26.5.22)

 1914年(大正3年)の秋田仙北地震は「地震被害を拡大する要因を考える上で貴重な教訓を残している」とその7で述べましたが、今回のコラムは地震被害の拡大要因の一つ、当時のライフラインに関する旅ある記です。
 秋田仙北地震では震源から約30㎞離れた秋田市内でも被害が発生しました。秋田市については震度4~5弱程度であり地震による揺れはそれほどでもないと思われますが、一部地域で住家が全潰し、町屋・土蔵・公共建築に大破や倒壊といった被害が見られました。また、被害の様相は多様化しており、薬品の破裂による火災発生や水道施設が破損するなど、都市部の特徴が反映されています。そのなかで、ほとんど知られていない水道の地震被害状況を紹介します。
 日本における近代的水道事業の開始は1887年(明治20年)の横浜市に始まり、明治後期から大正にかけ各都市で整備されました。秋田市では1907年(明治40年)に開設されており、仙台市の1923年(大正12年)よりも早く全国で11番目、東北地方では最初の近代水道です。1914年の秋田仙北地震は開設間もない時期の地震であり、近代水道が初期に受けた大地震の洗礼です(詳細は不明ですが1894年東京湾北部地震M=6.7により横浜の水道で被害あり。2番目か?)。1993年(平成5年)には藤倉ダム(写真1)や沈でん池(写真2)が藤倉水源地として国指定重要文化財「近代化遺産」に全国で初めて指定されています。現在では沈でん池跡地は桜の樹木に囲まれた藤倉記念公園として整備され、憩いの場となっています。藤倉記念公園内には、秋田市上下水道局のマスコット「水乃環太朗(みずのかんたろう)」も設置されています(写真2)。なお、藤倉水系は1973年(昭和48年)に廃止され、現在は秋田市仁井田浄水場から送水されてくる雄物川水系に切り替えられています。


写真1 藤倉ダム 堤上架橋工事風景(左)と現在(右)
[左:藤倉水源地ものがたり(2009)より 右:2014年4月(水田撮影)]



写真2 藤倉記念公園 沈でん池跡地(左)とカンちゃん(右)
[2014年4月(水田撮影)]



◆秋田市の水道被害
秋田県公文書館には県が作成・収集した多くの震災関連史料が保存されています。秋田仙北地震についても簿冊が残されており、「震災関係書類土木課(1914)」の中に秋田市の水道被害に対する報告が綴じられています。秋田市長大久保鐡作から内務大臣原敬に宛てられた上水道震害報告(第二報)を図1に示します。地震から10日後(3月25日)の第二報に記載されている被害の総括を抜粋すると、

 一、送水本管ハ南秋田郡旭川村字添川地内ニ於テ鉄管(内径十二吋鋼鉄管)カ烈敷キ震動ヲ受ケタル結果継手ノ填鉛全ク噴出シ大漏水ヲナスニ至レルモノ四ヶ所
    アリ
 一、鉄管ノ継手カ全体ニ弛緩シ為メニ漏水スルモノ同村字松原ヨリ濾過池間ニ於テ二十八ヶ所ヲ算ス
 一、配水管ニ於テ大平川筋ニ架設セル鉄管(内径四吋鋳鉄管)延長十八間ハ全ク震落シ其橋脚一基挫折セリ
 一、浄水池構内ニ於ケル排水幹線(内径十四吋鋳鉄管)破裂シ縦ニ長五尺余ノ亀裂ヲ生シタリ
 一、市内各町ニ於ケル鉄管は一般ニ其継手弛緩シ為メニ漏水スルニ至レルモノ百十九ヶ所ノ大キニ及ヒ震動ノ都度猶ホ続出シツツアリ
    以上損害高約七千円ノ見込 となっています。



図1 上水道震害報告[秋田市長⇒内務大臣 震災関係書類土木課(1914)より]


 主な被害ですが、水源地の藤倉ダムからろ過池間の送水管で28箇所の漏水、添川での送水管の継手の破損・漏水のほか市街地の配水管では119箇所で漏水しています。また、大平川を横切る水道橋の橋脚が挫折し鉄管が落下、対岸の楢山愛宕下が断水しています。図2に送水管の被害を、図3に秋田市街配水管の被害を示します。当時の上水道は水源を旭川上流の藤倉として、旭川沿いに千秋公園大木屋(おおごや)まで送水管を布設、大木屋浄水場から市街地に配水管が敷設され給水が行われていました。大木屋浄水場は、千秋公園の北側に位置していました。ろ過池(写真3)の保存状態は良好で当時の面影が残されています。当時の状態のまま市内女子高校の運動部の練習場(ソフトボールとのこと)として利用されていますが、特に一般公開はしてません。


図2 送水管の被害[秋田市水道誌(1912)附図に加筆]



図3 市街配水管の被害[秋田市水道誌(1912)附図に加筆]



写真3 旧大木屋浄水場跡 工事中のろ過池(左)と現在(右:ろ過池を下から望む)
[左:藤倉水源地ものがたり(2009)より 右:2014年4月(水田撮影)]



 1914年秋田仙北地震による水道被害は、現在の耐震性とは異なるものの、地震時にライフライン施設が損傷を受けやすいことを示しており、都市の地震防災を検討する上で貴重な教訓を残しています。ライフラインとは文字通り「命綱」です。さらに、秋田仙北地震と現在との100年間にライフラインへの依存度が大きく変化しています。1983年(昭和58年)日本海中部地震の際にも、ライフライン施設である電気・ガス・上下水道・電話などの都市供給施設や道路ネットワークが被害を受けて市民生活に支障をきたし、都市機能にも大きな混乱をもたらしました。情報化された近代都市における地震防災上の弱点であることは言うまでもありません。






【参考文献】鏡味・水田:「1914年秋田仙北地震の秋田市水道の被害」日本自然災害学会年次学術講演会概要集,pp.153~154,2013年