秋田災害忘れじの旅ある記 その10 二ツ井地震から60年被災地を歩く【水田 敏彦】(28.2.18)

 今回のコラムは1955年(昭和30年)二ツ井地震に関する旅ある記です。被害と現在の様子を紹介します。二ツ井地震は山本郡東部で発生したM5.9の内陸地震で、主な被災域は山本郡二ツ井町、響村および北秋田郡鷹巣町です。二ツ井町は平成の大合併で能代市の一部となり、災害体験の風化が進んでいます。被災域が限られる地震ですが、被害を知ることは防災上重要で、他地域での局所的な地震災害を考える上でも参考にすべきであると考えています。

◆二ツ井地震と被災域の概要
 二ツ井地震は発震時1955年10月19日午前10時45分、被害は負傷者4名、住家半壊3棟、傾斜81棟、一部破損174棟となっています。地震発生の1955年前後は昭和の大合併が進められた時期で、二ツ井町は1955年3月25日に周辺の荷上場村、富根村、種梅村を合併し、同年10月1日に北秋田郡鷹巣町大字小繋、麻生を分離合併し、10月19日に地震の発生を見ています。さらに、同年12月25日には響村を合併しています。なお、旧二ツ井町は1889年(明治22年)の町村制発足時、比井野村と薄井村が合併し二ツ井村に、1902年(明治35年)に単独で町となり1955年の昭和の大合併まで他町村と合併することはありませんでした。二ツ井は能代の東約20㎞の米代川と藤琴川、阿仁川の合流点に近く、川運による森林資源の輸送で栄えた町です。1901年(明治34年)奥羽本線が青森方面から能代まで伸延した際二ツ井駅が設けられ、1912年(大正元年)以降は森林軌道が布設され河畔や二ツ井駅に貯木場が設けられていました。2006年(平成18年)の平成の大合併では西隣の能代市と合併し、現在旧町役場は能代市二ツ井町庁舎となっています。


写真1 二ツ井町の風景
[天神貯木場跡地と七座山(ななくらさん)2015年11月(水田撮影)]



◆被害とその分布
 図1は二ツ井地震の震度分布図です。験震時報(1956年)、東京大学地震研究所彙報(1956年)および新聞記事(秋田魁新報と北羽新報)から被害を旧市町村別に整理し、各地の震度を推定しています。なお、建物の傾斜・全壊のある場合震度5強、建物がかなり破損し、壁の剥落のある場合を震度5弱、その他軽微の被害のある場合を震度4と置き換えています。震度5強の地域は、東は二ツ井町小繋、西は二ツ井町二ツ井、北は二ツ井町荷上場、南は響村鬼神まで東西3㎞、南北5㎞の範囲となっています。被害は二ツ井町の二ツ井で最も大きく、新聞記事に『二ツ井中学校階段が落下、響橋脱橋、二ツ井種梅線県道数カ所亀裂、米代堤防1500メートル亀裂、土蔵全部が破損』と記されています。震度5弱は震度5強の集落周辺にある二ツ井町の麻生と響村の仁鮒、切石で建物や煙突の破損、地割れや落石等の被害が発生し、能代営林署仁鮒事務所では倉庫検査庫など建物7棟破損、切石小学校では壁やガラスの破損が報じられています。


図1 二ツ井地震の震度分布
(震度:◇5強 △5弱 ×4 アンダーラインは負傷者のある集落)



 また、被害を抜き出し当時の主要道路とともに示すと図2のようになります。斜面崩壊の分布は長鞍山より北側の山地に集中し、響村仁鮒と二ツ井町麻生では落石による森林軌道の被害が報じられています。これら地域の山稜と米代川沿いでは広範囲に地割れが見られたほか、二ツ井町二ツ井の米代川の堤防でも1500mの亀裂が報じられています。写真2に森林軌道の被害と現在の様子を示します。
 道路については、国道7号で路面の亀裂や米白橋、琴音橋の高欄、石垣等の被害が発生し、特に工事中の響橋は落橋という甚大な被害を受けています。響橋の被害については、『付近の他の橋の被害が軽かったのに本橋だけ落橋という大被害を受けたのは、ケタが一部未架設の状態で地震を受けたという特殊事情による』ものと報告されています。響橋については当時の橋台(親柱)が残されており、写真3に響橋の被害と現在の様子を示します。鉄道については、奥羽本線富根~前山間で不通となり、数百名の旅客が富根駅、前山駅で立往生しています。被害については新聞記事に『奥羽本線富根-二ツ井間、二ツ井-前山間に数百箇所にのぼる地盤の沈下、路面の亀裂、レールの屈曲などが生じた』と報じられています。



図2 二ツ井地震の被害
(●斜面崩壊 ▲地割れ ■道路被害 ◎橋梁被害 ○鉄道被害)



写真2 落石による森林軌道の被害(左)と今に残る軌道跡(右)
[左:東京大学地震研究所彙報(1956)より 右:2015年11月(水田撮影)]




写真3 架設工事中の響橋の被害(左)と今に残る響橋の跡(右)
[左:東京大学地震研究所彙報(1956)より 右:2015年11月(水田撮影)]