秋田災害忘れじの旅ある記 その11 水害から秋田市を守る雄物川の放水路【水田 敏彦】(28.6.30)

 今回のコラムは秋田市の水害に関する旅ある記です。雄物川下流部に位置する秋田市は、放水路ができる前は洪水による大きな被害が絶えず、悩まされてきました。なお、放水路とは河口の近いところで蛇行が著しい場合に、水の流れを直接海へ放出するための人工水路です。放水路がなかった大正3年当時と開削後の現在の地形図を図1と図2に示します。


写真1 放水路がなかった頃の雄物川下流部(左)と現在の雄物川下流部(右)
[左:1/5万地形図(大正3年)に加筆 右:1/5万地形図(平成11年)]


 旧雄物川の下流部は、河辺郡旧新屋町付近から低地を蛇行しながら日本海に注いでいました。そのため大雨になると雄物川本流筋の洪水が支流の旭川や太平川に逆流し、水害の常習地帯となっていました。特に楢山地区は町内に船まで備えていたそうです。この洪水の防止策として、旧新屋町から川の流れを直流化する放水路を計画しました。この事業は、旧雄物川を締めきり、新たに丘陵地帯をおよそ2㎞にわたって掘削し、雄物川の水を直接日本海へ流そうというものです。この事業によって、長い間苦しめられてきた水害からようやく秋田市民は解放されることとなりました。工事は1917年(大正6年)から着手されましたが、経済不況などの影響を受けて工期が遅れ1938年(昭和13年)に通水しました。写真1に秋田大橋付近から見た現在の放水路を示します。近くには開削前の水害の写真や放水路の歴史などを記した案内板があります(写真2)。また、案内板から1.7㎞程度下流には通水50年の記念碑も建てられています(写真3)。ちなみに、雄物川花火大会は放水路が完成してから50年を経過したことを記念し、1988年(昭和63年)に「雄物川放水路通水50周年記念花火大会」として開催されたのが始まりで、今年で29回目を迎えます。


写真1 雄物川の放水路[2016年6月(水田撮影)]



写真2 秋田大橋付近にある放水路の案内板[2016年6月(水田撮影)]



写真3 雄物川放水路通水50年記念碑[2016年6月(水田撮影)]