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コラム「この先生にきいてみよう」

「国語」の授業はなぜ必要なのか―考えたことありますか?

阿部 昇(大学院教育学研究科 教授)

 みなさんは、小学校、中学校、高校と、かなりの時数の国語の授業を受けてきました。いろいろな授業を受けてきたと思いますが、その中で「なんで国語の授業があるのだろう」「なんのために国語を勉強するの」などという疑問をもったことはありませんか。もし、もったことがあるとすると、その疑問はとても価値のあるすばらしいものです。

 私は、秋田大学で国語科教育学を研究しています。どうすれば質の高い国語の授業を生み出せるかを考える学問です。またそれに関係する学部と大学院の授業を担当しています。大学の授業では、何よりもまず「国語の授業はなぜ必要なのか」「国語という授業は本当に必要なんだろうか」というところから追究を始めます。「学校の教育課程にあるのだから勉強するのは当然だ」と思い込んではいけないのです。

 そのことを追究していくと、思いがけない、意外なことがわかってきます。すごいことが見えてきます。(秋田大学に入学すれば、それを知ることができます。)

 本当は国語に限らず、数学や地理や歴史や生物や化学なども、何のために学ぶのか疑ってみる必要があります。英語も家庭科も音楽も美術も体育もです。大学での研究は、その「疑ってみる」所から始まります。「当然」「当たり前」「そんなこと疑問に思うのが変」などと考えてはいけません。知性とはよりよくより鋭く疑えることです。言い方を変えると「批判的思考力」です。それが大学の研究の基本であり、新しいことを発見したり、問題点を見出したり、現状をよくしたりするために是非必要なことです。

 高校生のときから「疑うこと」「批判的に考えること」は大事です。大学に入ると、それがもっともっと必要になり、それにより大学の研究は輝いてくるのです。


附属小学校での国語の授業研究