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旭水会Q&A

Q1.「旭水会」の始まりはいつ?

明治21年(1888)に、秋田県尋常師範学校の第一期生たちが「秋穂会(しゅうすいかい)」を結成しました。「旭水会」の始まりをその年としています。長い歴史を重ねる「旭水会」は、平成30年(2018)に「創立130周年記念式典・記念祝賀会」を開催しています。

Q2.「旭水会」という呼称は?

昭和32年(1957)に「旭水会」の名称が決定されました。昭和24年(1949)に秋田大学が開学し、学芸学部が発足して「秋田大学学芸学部同窓会」が産声を上げ、それから8年後に同窓会の名称を「旭水会」としたのです。

Q3.「旭水」にはどんな思いが込められているの?

〝旭川の水のほとりに学ぶ者たちの集い〟として、〝旭川の水の流れのごとく清流は永遠に絶えることはない〟という思いが込められています。

Q4.「同窓会報」の第1号はいつ刊行?

学芸学部同窓会会報第1号(昭和30年3月)昭和30年(1955)3月、「秋田大学学芸学部同窓会報」の第1号が、タブロイド判4ページで発行されました。昭和32年(1957)の第6号から「旭水会報」と改称して、昭和52年(1977)3月発行の通算第47号までタブロイド判で刊行されました。

Q5.同窓会誌「旭水」の第1号はいつ刊行?

昭和53年(1978)から、A5判の冊子型に変えました。これまでより読みやすく保存も可能な雑誌形式にするためです。平成20年(2008)の第32号から現在のようにB5判になっています。

Q6.同窓生の内藤湖南氏、成田為三氏はいつごろ在学していたの?

戦前を代表する東洋史学者内藤湖南鹿角郡毛馬内(現鹿角市)生まれの内藤湖南(内藤虎次郎)氏は、明治16年(1883)3月、17歳で秋田師範学校中等師範科に入学しています(トップ合格といわれている)。明治17年(1884)に高等師範科への編入試験に合格し、明治18年(1885)7月に同科を卒業しました。

大正2年の成田為三(弦楽)大正2年の成田為三
(弦楽)前列左から2人目

北秋田郡米沢町(現北秋田市)生まれの成田為三氏は、明治42年(1909)、鷹巣准教員準備場を卒業後、秋田県師範学校に入学しています。大正2年(1913)に本科一部を卒業しました。

Q7.「旭水苑」とは?

大学の南門からすぐの左側にある広場を平成元年の旭水会創立100周年記念事業のひとつとして、憩いと散策の学生の広場を造成し、「旭水苑」と銘名し教育文化学部へ寄附しました。

Q8.「旭水苑」に設置されているモニュメントとは?

〇、△、□(球・正四面体・正六面体)の白御影石で造形されたモニュメント、制作者は筑波大教授(当時)三田村畯右氏。
〇は旭水会の「旭」つまり太陽を、△は秋田の山、杉、そして未来の象徴を、□は空間、正面の円形刻みの点は、過去100年の時間を表し、他の面(各面100個)の刻点は未来発展への限りない年を表しています。

Q9.大学付属図書館の扁額や、キャンパス内の「旭水会100周年記念モニュメント」に書かれている「學貴日新」の意味はなあに?

扁額は内藤湖南の書で、モニュメントでもそれを採用しています。「学問を深めるには新たな真理に向かう厳しい姿勢を日々堅持することが大切である」という意味が込められているのです。

旭水会100周年記念モニュメント(大学キャンパス) 學貴日新(大学キャンパス) 學貴日新扁額(附属図書館)