留学を希望する方へ
留学体験記

フィリピン大学 デリマン校
(フィリピン)

2018(平成30)年度
派遣交換留学
国際資源学部4年
佐藤 森樹

夕日と、UP生のシンボルOblationのレプリカ像

UPキャンパス内にて。フィリピンの乗合タクシージプニーが走り、ソルベテス(アイスクリーム)が売られている

ベンゲット州イトゴン市のコミュニティ訪問時
(本人前列右から3番目)

 フィリピン大学(UP)ディリマン校に留学している佐藤森樹です。現在のフィリピンは、国民待望のホリデーシーズン真っ最中で、皆がほわほわお祭りムードに包まれているようです。

 UPディリマンのキャンパスは4.93平方キロメートルの大きさで、これは秋田大学手形キャンパスの約24倍の広さです。緑が多いのがキャンパスの特徴で、アカシアやヤシの木々が、メトロマニラの排気ガスから学内を結界のように守っています。

 私はここで人類学や社会学の授業を受講しました。とりわけ印象に残っているのは、フィリピンのNPOの活動に参加するという応用人類学の授業です。私はマニラの都市貧困者が住むとあるコミュニティを訪ねて“tambayan”会合に参加しました。タガログ語でtambayanとは人々がくつろいで過ごす休憩所、たまり場のことを指します。人々は休憩所でのカジュアルな会話の中で、日々の生活苦や公務員の汚職、違法薬物などの話題を挙げていました。フィリピンでは麻薬戦争のさなか、心の拠り所の無い貧困者や中毒症状に苦しむ薬物使用者のケアも課題になっていますが、この経験はそれが喫緊の課題であることを私に納得させるのに十分なものでした。

 受けたどの授業でも、私は学生の高い学習意欲を感じました。授業での主体性や知識量など、“学ぶこと”においてUPの学生は徹底した意識を持っていました。  一方でUP生は、食事の席では友達とのくだらない会話で大いに盛り上がります。友達同士の間には、どこか緩くマイペースで、時にうるさくて、常に触れ合うほど近いくらいの距離感があるようです。

 毎日の食事は選択肢が豊富です。フィリピン料理は肉を使ったご飯がすすむものが多く、私のお気に入りである酸味の強いシニガンというスープは暑さを紛らわしてくれます。他、大学の内外や各ショッピングモールには、和食、中華、韓国料理、洋食その他の各国の料理が揃っています。野菜さえ気を付けて摂れれば最高の食環境です。個人的には甘党のため、レチェ・フランというカスタードプリンや、道で売られているアイスクリーム、トゥロンというバナナとジャックフルーツの揚げ春巻きのようなスイーツが日々のお楽しみです。友人との食事は、留学中最も楽しいと感じた機会の一つでした。

 フィリピンは多くの文化がひしめき合う国ですが、異文化を尊重し包容するホスピタリティによって余計な軋轢を避けることが出来るようです。例えば私が滞在したベンゲット州イトゴン市では、かつてアメリカが先導した金鉱山事業を頼ってルソン島その他の各地域から人々が集まり、コミュニティを形成しています。異なる民族出身の人々は、互いの文化に敬意を払うことで、争いのない生活を実現しています。祭りとなれば、各民族のダンスが披露され、食事の豚肉は祭りの参加者全員で共有されます。私がその場にいると、“안녕(アンニョン)”と声をかけられ、食事を差し出されました(私は留学中しばしば韓国人と勘違いされました)。私は、フィリピンの人々のホスピタリティを尊敬していますし、見知らぬ他人である私をも家族のように受け入れて下さったことをずっと忘れないと思います。

 日本はかつて戦争で、フィリピンの人々を傷つける行為をしてしまいました。私は日本の過去に向き合い、その上で責任を持って日本人を名乗りたいと思いますし、これからもフィリピンの人々への敬意を忘れずに友情を育てていきたいと思います。

 幸いにもこの留学で、私は生涯の友人を得ることが出来ました。幸いフィリピンと日本はとても近いので、再会のチャンスは多いと信じています。フィリピンか、日本か、またはそれ以外のどこかで、この留学で出会った人々と再会する日が今から楽しみで仕方がありません。まずは残りわずかとなった今回の留学を最後まで楽しんで過ごしたいと思います。

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