秋田大学研究者 石井聡教授

Lab Interview

脂質と受容体が秘める可能性を紐解く

自ら発見した受容体

 1992年、JT(日本たばこ産業株式会社)に勤務していた石井教授。配属された研究所で与えられたテーマは「脂質」でした。当時、東京大学医学部第二生化学講座 (現:東京大学大学院医学系研究科 生化学・分子生物学講座 細胞情報学分野)へ派遣され、研究に励むうちに、もっと脂質の研究を続けたいと強く思うようになり、JTを退職し本格的に研究者の道を歩み始めました。

 細胞の表面には様々な受容体があります。それぞれにある特定の物質が結合すると、それに応じて細胞は変化し、私たちの体の機能をも変化させると言います。石井教授らが、脂質のひとつである血小板活性化因子(PAF)の受容体の研究に励んでいたその頃は、ヒトの遺伝情報が塩基配列レベルで解明された時期でした。同時に、結合相手が不明の受容体が数多く存在することが明らかになったと言います。
 石井教授は「脂質を結合する受容体がその中にあるのではないか」という仮説を立てました。そこで、既に研究していたPAF受容体と近いものをいくつも選んでクローニング(人工的に受容体を作らせる操作)をしていきました。そして手元にある脂質を片っ端から振りかけていったそうです。その時、リゾホスファチジン酸(LPA)と呼ばれる脂質に、とある受容体が反応したのです。それが、石井教授が発見した受容体、「LPA4」です。その後、このLPA4の研究を基にして「LPA6」も発見しました。
 このことがキッカケで、自分の研究の軸ができたと語る石井教授。自ら発見し、愛着のあるLPA4とLPA6は、今もメインの研究材料となっています。

学問の垣根を取り払った広い視野で、マウスに生じる異常を解析

 脂質は体内で様々な重要な働きをしています。
 例えば、中性脂肪という脂質は、エネルギー貯蔵物質として働きます。また、細胞の周りを覆う膜はリン脂質やコレステロールという脂質でできています。この膜は細胞にはなくてはならないものであり、しかもコレステロールはホルモンをつくる材料にもなります。

 さらに一部の脂質にはそれぞれ、受容体を通して決まった細胞の機能をコントロールする性質が備わっていると言います。石井教授は、多細胞から成る生物(ヒトを含む)が生きていく上でこれら「特殊な」脂質が具体的に何をしているのかを明らかにする研究を進めています。
 主な研究手段は、人工的に受容体を持たないマウス(ノックアウトマウス)をつくり、そのマウスにどのような異常が生じるかの解析です。この解析は、免疫学以外に、病理学、生化学、代謝学といった他学問の領域にまで及びます。マウスの体に何が起こるかはわからないため、免疫だけに視野を絞ると見落としてしまうことがあるそうです。石井教授は、広い視野をもって、多様な異常を見逃さず、それらを明らかにすることに努めています。

がんの血管を一時的に正常に戻す?

 血管研究が専門の先生との共同研究の中で、LPA4が、がんの血管の形成に重要な役割を担うことが明らかになりました。実はがんの血管は健康なものに比べ、随分おざなりな構造だと言います。血液を遠くまで運ぶことができないため、がんの深部は栄養や酸素が届いていません。
 ここで石井教授らは発想の転換をしました。まず、LPA4を活性化させることで、血管を一時的に正常に戻します。敵に塩を送る状態になってしまいますが、いい加減なつくりのがんの血管を一時的に正常化することで、抗がん剤をしっかり患部へ届けることが可能になると言います。実際、マウス実験ではがんの縮小が確認されました。

「肥満」≠「不健康」

 (中性)脂肪を摂取すると、内臓や皮下の脂肪細胞に蓄えられますが、どうやらLPA4は、その脂肪細胞数の増加を抑える性質をもつこともわかってきました。
  肥満、特に内臓脂肪組織の増加が良くないとされる理由は、肝臓が傷み、また糖尿病になり易くなるからです。LPA4のノックアウトマウスは、脂っこい餌を食べさせると普通のマウスと同じように太ります。しかしこのマウスは、太りはするものの肝機能や血糖値の異常はかなり穏やかでした。石井教授はこのマウスを見て、「体重の増加」と「不健康」はイコールではないと感じたそうです。
 内臓脂肪組織に蓄えられる脂肪量が多過ぎると、脂肪細胞は肥大化して働きが悪くなります。これは糖尿病の原因となります。しかも、脂肪組織から溢れた脂肪は肝臓に溜まって肝臓を傷めます。いわゆる脂肪肝です。
 LPA4は脂肪細胞の数の増加を抑えていますが、ノックアウトマウスはそのたがが外れているので脂肪細胞は肥大することなく、脂肪を内臓脂肪組織に普通のマウスより多く蓄えられます。なので、脂肪が肝臓へ流れにくくなっていました。このように、LPA4がない方が、生き物にとってかえって都合が良いように思えますが、何故LPA4は体内に存在するのでしょうか?

 石井教授の推測は、太古の昔まで遡ります。脂肪の蓄積を増やす方法として考えられるのはふたつ。ひとつは、細胞の数を増やす方法。もうひとつは細胞を大きくする方法です。そして人類が選んだ方法は後者でした。
 栄養が潤沢でなかった太古の昔、貴重なエネルギーを、細胞を増やすことに使うのではなく、摂取した脂肪に応じて細胞を肥大させる方が有利だったと思われます。当時は脂肪細胞の分化をコントロールするシステムとして、LPA4が必要だったのだろう、と石井教授は推察します。

 ノックアウトマウスがどのような異常を示すかによって、病気のどういった側面にLPA4やLPA6が関わっているのかを究明できる可能性があります。「太っていても健康」なマウスを見る限り、太古の昔必要だったLPA4は、栄養が豊富な今となっては肝機能障害や糖尿病の原因になっているようです。一方、視点を変えるとがんの治療に一役買う可能性も秘めています。扱い方ひとつで、LPA4は多様な使い道がありそうです。「両刃の剣」という諺が、実にしっくりくるように感じます。

医学系研究者とは?

 「医学系研究者は皆(私を含め)、生命の神秘を解明することに興味そして喜びを持つ人達です。他の研究者の成果を見聞きして『へぇー』と感心しますし、自分で新しい生命現象を解明して『やったー』と喜びを感じます。この興味・喜びをエネルギーとして生命の神秘を解き明かすことは、研究者の好奇心を満足させるだけでなく、国民の健康生活に貢献することもできます。このような貢献ができれば、研究者としての喜びはひときわ大きくなります」と話す石井教授。

 我々の体の中で生命がどのように維持されているのか、またどのようにして病気が発症するのかについては、徐々にですが細胞レベル・分子レベルで説明できるようになっていると言います。しかし、解明されていない生命現象は依然として山積しているのが現状です。その「生命の神秘」を少しずつ解き明かそうと、多くの研究者が世界中で日夜コツコツと研究を行っています。私たちも、その成果を新聞やテレビで見聞きすることがあります。将来、LPA4やLPA6を人為的にコントロールすることができたら、病気の新しい治療方法、予防方法や診断方法が提供されるかもしれません。

高校生の皆さんへのメッセージ これからも、学問に宿る英知を礎に

 「医学に限らず、過去の人々が築き上げてきた学問には英知がたくさん詰まっています。現在も多くの人の努力でその量は増え続けています。英知は過去から現在、そして未来においても世界を下支えする人類の重要な財産です。皆さんにも将来、英知を増やす貢献をしてもらいたいと思います。高校生のうちに興味のある学問を見つけて、その歴史を含め見聞を広めておくと、将来の進学先を決める参考になるかもしれません」

 研究者が新しい発見をしたその瞬間、世界中でそれを知っているのは自分だけ。それはとてもエキサイティングで魅力的であると語る石井教授。自身もLPA4、LPA6を発見してからは、これから先、研究一本でやっていく糧になったと語ります。これからも、石井教授の脂質を軸にした研究は、生命の神秘を解き明かしてくれそうです。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

大学院医学系研究科 医学専攻 病態制御医学系
教授 石井 聡 Satoshi Ishii