秋田大学研究者 宮本律子教授

Lab Interview

異文化・異言語間コミュニケーションのあり方を知りたい

言語の違いで世界の見え方が変わる

 宮本教授がアフリカ言語に興味を持ったきっかけは、ある一枚の写真だったと言います。
 左の写真には「象」と「山」と「木」が写っています。これを日本語で表現すると「私の前に象がいます。象の後ろに木があります。木の後ろに山があります」というように位置関係を「後ろに」と表現します。英語でも同じように「後ろ」を意味する「behind」を使います。
日本語と英語の視点は、「私」を離れると象の視点、木の視点(象や木の背中側が「後ろ」なので)に移動します。一方、アフリカのスワヒリ語の表現では「mbele ya(前に)」という前置詞句を使い、「私の前に象がいます。象の前に木があります。木の前に山があります」という表し方になります。
 このようにスワヒリ語は視点が変化しないのです。つまり、私から見て前方一直線はすべて「前」であり、日本語や英語のように視点は動かないという言語のあり方に衝撃を受けたと宮本教授は言います。英語以外の言語を学ぶことによって日本語や英語の視点=ものの見方に気付くことができたと言います。他にも言語の違いで世界の見え方も違う事例があることに興味を持ち、アフリカの言語を研究するきっかけになったそうです。

消滅の危機に瀕したマイノリティ言語を守りたい

日本で2人しか話せない、フルフルデ語

フルフルデ語における、25の文法的性

 宮本教授は大学院生の時に「フルフルデ語」を使う人たちの研究をするため、西アフリカの遊牧民を車で追って取材しました。
 現地で録音した会話を宿舎に持ち帰り、文字に起こすという生活を1年間ほど続け、文法的性(グラマティカルジェンダー)の研究に励みました。文法的性とは、名詞の中にカテゴリがあるという考え方です。ドイツ語では3種類、フランス語では2種類あり、大体は「男性・女性」あるいは「男性・女性・中性」という区別がありますが、フルフルデ語はなんと25種類ものカテゴリに分かれています。
 英語だと名詞の前に「the」を付けるような場合、ドイツ語では何のカテゴリに入っているかによって、「デン(den)」「ディー(die)」「ダス(das)」を使い分けなくてはなりません。例えばフルフルデ語には「ビンゲル」という単語がありますが、「ビン」が子どもを指し、「the」に当たるものには必ず「ゲル」を付けなくてはいけません。このように、ドイツ語に3種類あるようにフルフルデ語には25種類の「the」が存在するわけです。

 ややこしく感じるかもしれませんが、私たちが話す日本語にも似たような現象があります。紙などの薄いものは「枚」、細長いものは「本」、動物は「一匹、二匹」、大きくなると「一頭、二頭」と数えます。「一本、二本」のような数え方は中国語・韓国語・ベトナム語などにもあり、東アジアの諸言語には、表すものの性質によって付随する助数詞が違うケースが多々あります。モノをグループ化して認識することが言語というシステムに反映された顕著な現象だと言えます。

消滅の危機、スバ語を救え!

 宮本教授はアフリカの言語調査に関して、今まで3~4冊の辞書を編纂してきました。
 ケニアには約60種類の言語がありますが、その中でも力を入れたのは、最西端で使用されている「スバ語」の研究です。スバの人たちは家ではスバ語を話し、地域に行くとルオー語という共通の言語を話します。さらに学校や役所では公用語である英語とスワヒリ語を話します。このように、『民族の言葉・家の中で使う言葉・地域の共通語』と、最低でも3つは話すことが出来るという多言語環境にいるのです。

 20年前、スバ語は70歳以上のお年寄りしか話せない言語で、消滅の危機に瀕していました。そこで宮本教授は、当時最高齢だった95歳の方にスバ語で昔の話をしてもらい、録音して文字に起こしました。文字化の作業はスバ語と英語がわかる学校の先生に協力してもらい、一つひとつ確認しながら、2,200単語の意味と文法をまとめ、辞書を作り上げました。完成には4~5年の歳月が費やされました。

 宮本教授は「なぜ少数の人しか使わない言葉を調べているのですか?」と聞かれた時には、日本のアイヌの話をするそうです。
 「日本にもアイヌ語という伝統的な言語がありましたが、中央政府が使用を禁止したので話されなくなりました。今では日常的にアイヌ語を話す人はひとりもいなくなってしまったのです。言葉は一度無くなってしまうと取り戻すことが困難です。スバの子どもが文化を継承したい・再構したいと思った時に困らないように、記録をとっているのです」と話します。

日本語はおもしろい!

 アフリカでは家の中で使う言葉・地域の共通語・公用語を使い分けていると前述しました。実は、一つの言語だけで社会生活のすべての場面を生きることが出来る国は、日本や韓国くらいしかありません
 島国である日本にいろいろな国の人が渡来し、住み着いた異民族・異言語の人たちの言葉が混ざり合ってできた言語が日本語です。南方系の要素もあれば、稲作と共に入ってきた単語、北方系のシベリア地方の言語の要素もあります。島国という樽の中で時と共に発酵してきた言語が日本語です。

 日本語は世界で一番難しい言語とよく言われますが、実際のところ、文法や音は難しくありません。文法的には韓国語やモンゴル語と同じ系統です。外国の人が難しいと感じるのは、文字だと言われています。日本人は、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字を使い分けます。このように4種類もの文字を文章の中に混ぜて使う国は他になく、特殊であると言えます。
 話し言葉は勉強次第で流暢になる外国人の方も多くいますが、「書く」となると格段に難しくなります。特に漢字は、中国以外の漢字圏外の人にとっては、特に困難なようです。アジア系、アフリカ、ヨーロッパの人が日本の大学に留学するには、最低でも教育漢字1,000文字くらいは習っておいた方が良いと言われています。逆に漢字圏である中国人にとって難しいのは、「アメニティ」や「メッセージ」などのカタカナ言葉です。そもそも音が日本語化しているため、元の英語・単語を知らないと理解が難しいのです。
 「例えば、英語の『volleyball』を日本語では『バレーボール』と言いますが、これはもう全く別な単語に聞こえるわけです。日本人は長い時間をかけて多言語・多文化を吸収して自分たちのものにしてきたので、混ぜることが得意なのですね」と宮本教授は言います。

音声言語とは異なる歴史を持つ手話

ケニアの聾学校の門にある「ABC」を手で表す指文字の看板

 異なる言語や文化を持つ人同士のコミュニケーション手段は、音声言語だけではありません。耳の不自由な人が使う言語に「手話」があります。
 実は手話は世界共通ではありません。世界には144種類、アフリカだけでも30種類の異なる手話言語があります。アメリカの手話はフランス手話に似ていると言います。これは、アメリカに渡った宣教師が耳の聞こえない子どもたちの教育を始めた時に、フランス手話を持ち込んだからです。アフリカの音声言語の分布には、植民地による公用語が何語であったかが影響していますが、手話の広まり方はまったく違います。元フランス領だった国でフランス手話が、元英領でイギリス手話が広まったわけではないのです。

 宮本教授は、音声言語とは違う歴史が手話にはあることに興味を持ち、ケニアの手話を調査しました。ケニア手話は元英領ですが、イギリス手話の影響は全くありません。独自の手話を発達させました。ケニアはろう教育が比較的盛んで、聴覚障害児のための特別小学校や職業訓練校(縫製や大工仕事など手に職をつけるための、学校を兼ねた施設)もあります。現在ケニアでは、国会やニュースは必ず手話通訳をつけるという法律ができた一方で、手話通訳者が足りないという現状になっています。宮本教授は、通訳養成講座を行う前段階として、ケニア手話の動画の辞書作りや、文法書などの教材作りを、耳の聞こえない人たちと一緒に取り組んでいます

言語に限らない、学生の自由な研究

色彩鮮やかなアフリカの衣装は宮本教授のお気に入り

 宮本教授の研究室の学生の研究内容は、言語学に限りません。ボツワナの教育制度・人材育成や職業教育を調べた学生もいれば、ツワナ語(ボツワナの公用語)の子どもの名付け方について研究した学生もいます。
 ツワナ語の人名は、「誰が何をした」という文章から構成されたものが多く、例えば「ばあちゃん死んだ」という名前の人もいると言います。なぜかというと、「その人が生まれた時におばあちゃんが亡くなった」という出来事を記憶するためだそうです。「私は彼に捨てられた」という名前の人もいるのだとか。アフリカ諸国はもともと文字を持たない言語が多く、人から人への記憶の伝承は話し言葉が使われてきました。フィールドワークでボツワナを訪れた時に現地の大学生30名以上に名前の意味をインタビューしたところ、「事実なのだから何とも思っていない」と、自分の名前の意味について否定的に感じている人はいなかったそうです。そして名前の由来と、今の自分の生活や人生と結びつけていないところが面白い、と宮本教授は言います。
 他にも、昆虫食を研究した学生もいます。ボツワナではモパネワームという大きな蛾の幼虫を食べます。乾燥させて処理をする前は鮮やかな黄緑色とオレンジ色をしています。味は煮干しに似ており、たんぱく質が多く栄養があり、現地の人にとっての最高のおやつです。モパネワームの幼虫は、モパネ木の葉が繁る時期にしか採れないため、日本で言う山菜採りのような感覚なのだそうです。
 このように、言語学とは全く違う研究に取り組む学生もいますが、宮本教授は学生の興味・関心を優先し、自由な学びを尊重しています。

 秋田大学国際資源学部では、3年生になると海外資源フィールドワークが必修となっており、約4週間海外での実習を行います。「学生にはできるだけ異なる言語の人たちと交流するチャンスを見つけてもらいたいと思っています」と宮本教授は言います。

 「私自身は一つの言語を深く追究する研究をしていますが、母国語である日本語についてあまり考えたことがない学生には、まずは自分たちが使う日本語に目を向け、いろいろなことに気付いてもらいたいです。今まで気付かなかったことに気付いたり、あるいは音を使わないコミュニケーション手段もあることを知ったりした上で、これから海外に行って現地の人たちとどうやってコミュニケーションを取るのかが大切です」
 また、宮本教授は「日本は資源のほとんどを海外から輸入しています。国際的なビジネスの場面においては、母語に関係なく英語を用いることが多いのですが、当然、日本語訛り、中国語訛り、アラビア語訛りなどの多様な英語が飛び交うことになります。その時に、「訛りがひどくて理解できない!」と諦めるのではなく、相手も同じように私の訛りがわからないのだろうなと考えると、ぐっと歩み寄ることが出来ると思いませんか?どちらかが優れている、ということではなく、どれも等しく違っていてそれぞれコミュニケーションに苦労しているということをフィールドワークでの実体験等を通して学んで欲しい」と考えています。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

国際資源学研究科・国際資源学部
資源政策コース
教授 宮本 律子 Ritsuko Miyamoto
秋田大学研究者 宮本律子教授
  • 東北大学 文学部 英語学 1982年03月 卒業
  • 東北大学 文学研究科 英文学英語言語学 修士課程 1986年03月 修了
  • 東北大学 文学研究科 英文学英語言語学 博士課程 1987年08月 中退