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2016.12

東北の山と女性性

石倉 敏明
石倉 敏明
秋田公立美術大学
美術学部アーツ&ルーツ専攻 講師

 一定の年齢に達した若者が、一人前の大人になるために村落近くの山の中に籠るという文化が、かつて広く東北地方一帯に伝えられてきました。こうした山々は、一般に「ハヤマ(端山、葉山、羽山)」と呼ばれ、死者の霊が住まう場所として、日頃から庶民の信仰を集めてきました。「ハヤマ籠もり」「ハヤマ信仰」と呼ばれるこの伝統は、東北にいまも脈々と伝承されている山岳修験道・山伏修行のひとつの源流として、世界中から注目を集めています。
 ハヤマに宿る祖先の霊は、一定期間を経て標高の高いミヤマ(深山)に移動し、やがて神仏となって子孫を見守る。東北ではそんなふうに考えられてきました。とはいえ、死霊が宿るというハヤマは単に親しみ深いだけでなく、おそろしい場所でもあります。これらの山裾には現実に墓地や埋葬地がつくられることも多く、訪れると独特な厳粛さを感じさせます。こうした山に籠るということは、若者が一度死者の立場に立って死の世界に入り、そこで大人になるための象徴的な儀式を体験して、成人としての生命を授かる、という意味をもっていました。
 東北の山岳信仰では、ハヤマは象徴的な母胎であると考えられ、そこに籠った若者は山の中で新たに魂を得て成長し、赤ん坊のように生まれ直します。そこでは、山そのものが象徴的な「母」となり、若者はその中で胎児になって、生命と女性性の秘密に触れようとするのです。
 さらに、発達を遂げた修験道思想のなかでは、この想像的母胎は、人間社会の外部に開かれた、めくるめくような多層的現実の空間として概念化されました。象徴的な「赤児」に成った修行者は、そこで地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界という、輪廻と涅槃を含む「十界」の現実を体験し、羽黒山(現世)、月山(前世)、湯殿山(来世)という三つの関を渡って再生を迎えます(「三関三渡」)。多くの在家修行者は、こうした修験道の実践を通して、山々と神仏の加護を得て転生し、それぞれの生活の道に戻っていくのですが、私もかつて羽黒山荒澤寺正善院の「秋の峰」に入峰して、その修行を体験しました。
 さて、江戸時代の神仏習合時代には、こうした修行は一般に男性に限定されており、女人禁制の決まりのある山には、女性は入ることが許されませんでした。しかし、羽黒山のように一部の地区を除いて女性の参詣が許された山もあり、山岳信仰自体は女性にも開かれていました。江戸時代には「お竹」という羽黒出身の生身の女性が「於竹大日如来」として崇められ、死後に信仰の対象となったこともあります。
 さらに、明治維新以後の歴史的激動を受けて、東北の山々は禁制を解いて女性にも入山を許すようになります。太平洋戦争後には、修験道の本山である羽黒山荒澤寺が早くから女性の修行希望者を受け入れ、現在ではたくさんの女性山伏が活躍し、毎年行なわれる修行や勤行に参加しています。
 このように、山を女性に開いてきた歴史の背後には、古代から続くさまざまな宗派対立や論争を乗り越え、神仏分離や修験道禁止の政策に翻弄されながらも、みずからの実践を護り抜き、その根幹にある「山と女性性」の思想を新たな時代の現実に合わせて柔軟に編成してきた、数多くの山伏たちの眼に見えない努力が存在しています。そのお蔭で、私たちはいまでも、懐の深い女性像のイメージを、東北の至るところで発見し、希望すれば自らその道に入っていくことができます。東北のハヤマの入り口には、私がネパールやインドの山間部で見てきた女神像とそっくりな「ウバサマ」「オンバサマ」という石像が、現在でも祀られています。
 翻って考えると、このように大胆なジェンダー文化の再編成は、少なくとも私自身が働いている東北の美術大学のなかでは行なわれていません。山々をめぐる地域的な精神文化が、女性性について真剣に思考し、受胎や出産や成人という人生の重大事について豊かな民衆思考を育んできたというのに、女性と出産、育児をめぐる男女両性に対する実践的な施策は遅れがちです。
 おそらく、現代の大学職員や研究者は、さまざまな面で「修行が足りない」ことの現われなのでしょう。我々はもう一度地域の歴史という記憶の山に還り、生まれ変わらなければならないようです。

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