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2023.3

化学研究者、大学人、そして女性として

吉澤 結子
吉澤 結子
秋田県立大学
理事(教育担当)兼副学長

 現在、秋田県立大学で理事(教育担当)兼副学長を務めています。もともとは開学時に生物資源科学部の教員として採用され、以来、生物有機化学研究室で天然物化学の研究と教育に従事してきました。
 時折、子供の時から大学の研究者や教授になりたかったですか?と聞かれることがありますが、私の場合、子供の時には学校の勉強はあまり熱心でなく人前で話すのも苦手だったので、研究とか人に教える仕事は想像もしませんでした。ただ、今思うと、性格としてなにごとも中途半端にしておくのは気持ちが悪く、結果の良し悪しに関わらず結末を見るまでやり通すところがありました。そんな様子からか、大学教員だった祖父が何かの折に母に、結子は研究者になったら良いのではないか、と言ったそうですが、その時の私はふうんという感じで聞き過ごしていました。
 その後、高校生くらいから将来を具体的に考える必要に迫られ、両親は太平洋戦争で苦労していたので、女子でも一人で食べて行けるほどの収入は得なさいと言っていました。しかし当時は求人票にも男女格差があり、また運よく就職できても多くの職場では女性がある年齢になると「そろそろ結婚しないの?」と退職を促すような時代だったので、悩ましく思いました。求人に男女差が無いのは公務員か小中高校教員と言われていましたが、どちらも難しい採用試験があるので、学校の勉強に熱心でなかった私はかなり憂鬱でした。それでも、好きなことならいくらでも本を読んだり作業したり出来たので、祖父の言葉を思い出し、祖父にはなんとなく憧れもあったので、何かを良く勉強して深く知るようになれば、それを教えたり、さらには研究する人になれるかもしれないと思い到りました。実際になれるかまったく目途は立っていませんでしたが、動き出さないことには何にも近づけないと思い、まずは何かを良く知ろうと、大学と大学院に進むことだけは決めました。
 何を勉強する?となった時、当時はちょうど祖父が亡くなって、人は死んだら自己・自我はどうなるだろうということがひどく気になっていたので、生きている仕組みに関わることにしようと決めました。それで最初は生物学と思っていましたが、生命現象はほとんどが化学反応と知って、化学の方に関心が移っていきました。こうして大学では化学科に進み、生体物質の基本は有機化合物であるというので、卒業研究では有機化学に進みました。その時その時で分岐点の一つを選んで進んできたのでした。
 しかし、一歩進むとその先の景色が見えてくる、とは良く言ったもので、卒論研究の先生との相談の中で有機化合物の生合成というテーマに出会いました。これは生体物質が出来る過程での生体内化学変換の仕組みを解明する研究で、生きている仕組みをまずはミクロレベルで明らかにできる点で私の志向にぴったりでした。当時は分子生物学がまだあまり進んでいなかったので、有機化合物の生体内変換を証明するには標識化合物による追跡実験が最も有力な手段でしたし、遺伝子発現実験が普通になった現在でも、変換の直接証明には有効な手段でしょう。この実験手法を身につけたことで、大学院でのテーマにも熱が入り、大学院修了後のカナダでのポスドク先も決まり、研究者としてのスタートを切ることができました。カナダでの雇用先の教授も、研究で壁にぶつかるとすぐに新しい方法を試そうと言って応援して下さり、研究が進んで楽しさはさらに増しました。
 その後、日本でJSTのポスドクに採用され、ここの大テーマが私の学位論文テーマと全く同じだったので、内容を良く知っているでしょうと言われて7~8名で構成される研究グループのリーダーに指名される機会を頂きました。まだ30代半ばで自分よりも年上のグループ構成員もいる中、自身の研究に加えてグループ人事やJST本部での研究発表等、責任を重く感じましたが、今思えばそういった機会を頂いたことが、後々に役立ったと思います。
 パーマネント・ポジション(期限無し雇用)を探すころには、日本でも「男女雇用機会均等法」が始まっていたので、求人票に「男性のみ」と記載されることは無くなっていましたが、それでも研究職は求人数そのものが少なく狭き門でした。その中で、せっかく身につけた化学だけは活かしたいと、その一点だけ思っていたところ、幸いにも恩師の先生から栄養士養成短大での化学教員の口をご紹介頂き、食品化学・栄養化学の道に入りました。
 短大では専攻科(短大卒業後の1年制)学生と研究を行い、天然物化学の経験を活かして、当時話題になり始めた食品機能性の研究を始めました。私の勤めた短大は家庭的な雰囲気で居心地の良い職場でしたが、大学院生と研究をやってみたいと思うようになり、秋田県立大学創設時に応募して採用頂くことになりました。農学・バイオ系学部で地域貢献も重視されたので、地域食材の機能性成分研究を主テーマとし、多くの院生といろいろな生理活性物質を見つけたことは楽しかったことでした。標識化合物を用いた生合成研究はいつも心の奥に持っていたテーマでしたが、博士後期課程学生を指導するなかでその方法論も使ったことは、博士論文研究として良かったのではないかと思っています。
 大学創設時には教学関係の様々な課題があり、前職の短大での経験が役に立つことが多く、そんなことから学部教務学生委員を指名され、その後に委員長も担当することになりました。その後、学部長に選出されて学部全体について考える機会を頂き、それらの延長線上で教育担当理事に指名されて今日に至っています。研究をもっとやりたかったのでは?と聞かれることがあります。確かに、教員生活の後半は自分の研究以外の仕事にも多くの時間を使いましたし、今でも気になっている研究テーマはあって、研究実験に専念できるポジションがあったらまたやってみたい気持ちもあります。でも、教務学生委員等を務める中で、他の方が恐らく経験したことがないであろう、様々な勉強と体験をしました。それらが教育担当理事として十分に活かせていると感じるので、それはそれで自分一人の満足にとどまらず、良かったのではないかと思います。
 これから研究者を目指す若い方々には、研究職は求人数が少ないので男女を問わず機会に恵まれない方が多いと思いますが、心に常に目的として思い目指し、今いる場所で力を貯めて機会を求めて続けていたら、きっとそれに近づいていくと思います。あきらめずに目指して頂きたいと思います。
 最後に、男女共同参画について少し書きます。
 研究に取り組むこと自体には、男女差ということは無いですが、研究者も社会の一員なので、所属する社会の事情には左右されます。もし機会を閉ざされれば、活動も阻まれます。
 日本でも1985年までは「男女雇用機会均等法」がありませんでしたから、私が学生の頃には大手企業の求人票に「研究職募集:男性」と書かれていた現実を目の当たりにして、女子の同級生達と、どうしたらいいんだろうね、と話したことを覚えています。卒業研究を指導して頂いた教授に大学院進学の相談に行ったところ、その先生は、勉強や研究したい気持ちは受け止める、精いっぱいやったら良い、ただし就職があるかどうかはわからない、たとえ紹介したいと思っても受け皿が無いのが現状である、それでも良いなら進学を歓迎すると言って頂きました。その先生(男性)も残念で苦々しいお気持ちだったようで、欧米なら就職に男女別は無いとも話して下さったので、修了後は海外に行こうと決め、研究だけでなく英語の勉強にも力を入れました。これは、博士論文作成にもとても役に立ちましたし、学位授与と同時にカナダの大学に博士研究員として採用頂き、研究者として収入を得る一歩を踏む出すことが出来ました。カナダの職場では、教授を始めとして常時5つ以上の国出身の研究員や学生がいました。相手の立場やお国柄に配慮することはあっても男女については気にすることがなく、自分の考えや希望を明確に表現できて、この時初めて、日本にいた時には何かもう少し窮屈な感覚があったことに気づいたことでした。
 研究職だけでなく全ての雇用に対して「男女雇用機会均等法」が始まって35年以上経ち、今40歳くらいより若い方々は企業の求人に男女区別の記載があったとは信じられないでしょうし、そんなことはまったく気にしないで就活に向かっていく女子学生を見て、本当に良い時代になったと思います。今や国内でも多くの職場で、男女を気にせず発言し行動できるようになってきていると思われます。
 ただ、法律や制度が変わっても、人の心の中は、子供の頃から培われてきた影響もあり、そんなに急速にガラリと変化するものではないように思います。企業や職場によっては、求める能力さえあれば男女とも気にも留めず、女性管理職が活躍する事例が大きく広がっていると感じます。一方で、女子中高生に「理系に進んでも女子では職に就けないかもしれない」と心配する年配の方々や、職場においても男性には「責任を持たせて、育てよう」とする反面、女性には「できるかどうか見てから、任せよう」という風潮も見受けられるように思います。こうなると若い人たちは戸惑ったり躊躇ったりするかもしれません。
 もう一つ、女性はやはり出産する時期にどうしても大なり小なりの負荷がかかると思います。育児は男性も担えるが出産だけは身代わりが無く、例え安産でも身体的負担はあるでしょう。また、産休・育休を取る、そこからまた職場復帰する、といった過程でも一定の心理的負荷は避けられないでしょう。このことは、職場での待遇や支援でもっと配慮されても良いのではないでしょうか?例えば、産休・育休の間も希望すれば仕事と何らかの関わりを保てるようにとか、休暇明けでの円滑な復帰に向けた配慮等、まだできることはありそうに思います。そうなったら、男性の育休も取りやすくなるかもしれません。さらに、中年以降の女性に特有の体調不順にも、理解と配慮が進むと良いかもしれません。
 「ガラスの天井」とか「アンコンシャス・バイアス」という語を耳にします。日本でも、気づきにくい障壁や無意識の中での偏った見方により、女性の活動を正しく評価し守(も)り立てて行くことが出来ていない事例はたくさんあると思います。育休を積極的に取る男性に対しても、起きていることかもしれません。法律や制度は作ったから利用してもらえばよいというだけでなく、それらの不足を常に見張って改善に努め、身体的にも心理的にも当事者がやる気を持って社会参画するように、正しい評価とそれに見合った登用により応援していくことが大事と考えています。

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