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2024.1

女性研究者のリアルな一例

北本 尚子
北本 尚子
秋田県立大学
生物資源科学部アグリビジネス学科 准教授

1)自己紹介
 私は、秋田県立大学で、リンゴやブドウなどを対象に、花が咲く仕組みを研究しています。果樹にとって、長い寿命の中で花をいつどのくらい咲かせるかは非常に重要です。花を沢山咲かせて果実を多く作れば、自身の成長が細り生存が危うくなりますし、かといって自身の成長を優先させれば、子孫の数が少なくなるからです。そのため、果実が多く成った翌年は開花数が少なくなったり、樹体に糖が十分蓄積した年には花芽を多く作る等、種子を残す有性生殖と自身の栄養成長との間でバランスをとるしくみが存在することが知られています。この調整には様々な植物ホルモンや遺伝子が関与することが解明されつつあり、私はそのような開花数の調整機構を明らかにすることで、高品質な果実を長期間収穫する技術の開発や、栽培管理の省力化に貢献したいと考えています。
 つまり、私は果樹がどのようにしてワークライフバランスをとっているのかを研究しているわけです。一方、私自身のワークライフバランスはというと、高校生と小学生の娘たちを育てながら、毎日綱渡りのような日々を送っています。特に、5年前からは秋田県に単身赴任しており、週末ごとに片道3時間かけて岩手県の自宅に帰り、家事・育児と仕事の両立に奮闘しています。このコラムでは、私が単身赴任に至った経緯を中心にご紹介しながら、女性研究者のリアルな一例をお伝えできればと思います。

2)出産と私
 私は、将来について明確なビジョンを持っていませんでした。そのため、文系の学部を卒業して社会人生活を送る頃になってようやく、もっと専門性の高い職業に就きたいと考えるようになり、筑波大学において植物を研究する理系の大学院に入り直しました。農学の博士号を取得後、結婚し、筑波大学で博士研究員(ポスドク)として働きながら、第1子を出産しました。当時の上司が女性の社会進出に非常に理解のある方で、産休や半年間の育休を取得させて頂きました。のちに、他の女性のポスドクの方から「ポスドクで育休とった人、初めて見たわ~」と言われたので、珍しいことだったのだと思います。結婚と前後して、夫の就職先が岩手県に決まりました。夫について岩手県に行くか、つくばで働きながら一人で子育てするかで迷いました。そこでも上司の配慮により、毎月一定期間は筑波大学に勤務し、他の期間は岩手県で暮らしながら在宅で仕事を続けることを認めて頂きました。そこで、育休後は幼い娘を連れて岩手とつくばを往復する日々を一年間続けました。娘が1歳半になるころ、岩手大学で特任助教に就くことができ、ようやく家族で落ち着いて暮らせるようになりました。
 育児で一番辛かったことは、数年間睡眠をまともにとれなかったことです。睡眠時間が短くても平気、という人もいるかもしれませんが、自分のペースで眠るのと、他者に睡眠のペースを乱されるのではまるで違います。深い眠りに入りかけた瞬間に子供の夜泣きで起こされると、こめかみを鈍器でぶん殴られたような衝撃があります。それが一晩で何回もあるわけですから、意識が朦朧としてきます。個人差が大きいでしょうが、上の子が朝まで眠れるようになったのは4歳頃です。その後すぐに下の子が生まれたので、実質8年間くらいは寝不足で昼間も意識が朦朧としていました。

3)単身赴任を決断するまで
 岩手大学では7年3か月間勤務しました。任期満了が近づくにつれ、次の就職先を見つけなくてはならないプレッシャーが大きくなっていきました。しかし、地方において研究職のポストはそうそうありません。いくつか応募しましたが、なかなか通りませんでした。かといって、県外の大学や研究機関に応募することには葛藤がありました。子供を転校させなければならないからです。子供に転校の経緯を説明する際に、お父さんの会社の命令で仕方なく、ではなくお母さんが仕事を続けるために、という理由では、なかなか理解してもらえないのではないかと気が引けて前に踏み出せずにいました。また、研究職に就職するには、研究者としての明確なビジョンを打ち立て、アピールする必要があります。しかし、当時は家事・育児に追われ、目先の仕事を片付けるだけで精一杯だったので、研究者としての自信や方向性を見失っていました。このころ、自分がカゴの中の鳥になったように感じていました。長年、家族を優先して仕事をセーブしてきたのに、今になって扉が開き、さあ、外に出ろ、飛べ、飛べと急かされているようでした。羽はぼろぼろ、毎日くたくた、どうやって飛べば良いんだ、と途方にくれていました。じりじりと時間だけが過ぎていきました。
 岩手大学の任期満了後、幸い声をかけてくださる方がおり、農研機構の果樹研究所にパート研究員として働くことができました。しかし、そこも任期は1年半と決まっていたので、次を見つけなくてはなりません。もういよいよ研究者の道を諦めなくてはならないか、と観念しつつありました。そんなとき、上司から「就職活動してる?」の問いかけとともに、秋田県立大学の公募情報が書かれた紙を渡されました。第一印象は「無理だ」でした。ちょうど、次年度から下の子が小学校にあがるタイミングで、保育園からの友達や6年生になるお姉ちゃんと一緒に登校することをとても楽しみにしていました。子供たちへの負担を考えると転校は難しいと感じました。そのため、「無理です」と答えると、その上司は「あ、そう。じゃぁその紙返してくれる?もう一人あてがあるから」と公募情報をひらりと持っていきました。その瞬間、得も言われぬ感情が沸き上がり、気が付いたら「一晩夫と相談させてください」と訴え、公募情報の紙を取り返していました。そこから、応募を出すかどうかや採用された際に子供を転校させるか等について夫と毎晩話し合いました。胃が痛くなるほど話し合いました。

4)変化した家族のかたち
 結局、転校は嫌だという子供たちの意志を尊重し、私の単身赴任生活は5年目を迎えています。平日は、夫が炊事、洗濯、子供の送迎等をワンオペで切り盛りし、私は、毎週末帰宅して、作り置きのおかずをつくったり、掃除、洗濯等をしたりしています。子供たちも協力してくれて、夫が出張で帰宅が遅くなるときは、上のお姉ちゃんが下の子を児童センターまで迎えに行ってくれることもあります。 単身赴任するまでは、夫がこんなに家事をするようになるとは思いもしませんでした。それが今では、洗濯も炊事も切り盛りしてくれています。しまいには、「洗濯機回したいから、早くお風呂に入っちゃって」とか「冷蔵庫で解凍中の肉は、使わないで」とかドラマのお母さんが言うようなセリフを言うまでになっています。私よりも計画的でマメだな、と感じることもあります。私は一人で家事・育児を背負わなくてはならない重圧から解放され、ずいぶん楽になりました。

5)これから大人になる人へ
 母親の単身赴任が子供たちにどんな影響を及ぼすのか、私にはまだ分かりません。淋しい思いをさせているのは事実です。しかし、今のところ当初心配していたよりは、けろりとしています。むしろ、お仕事頑張って、と常に応援してくれています。私も、子供たちの好きなおかずを作るとか、約束を守るとか、「抱っこ」と言われたら何を差し置いてもすぐに抱きしめるなど、子供たちが母親の愛情に疑問を持たないように努めています。それでも、いつか子供たちの中で我慢や淋しさが爆発してしまうのではないか、と心配になります。しかし、起こるかどうか分からないことをくよくよ考えて何もしないでいるよりは、起きてから誠心誠意対処すれば良いのだ、と覚悟を決めました。
 女性研究者というと、幼い頃から研究職を志しバリバリキャリアを築いてきた人をイメージすると思います。しかし、お気づきのとおり、私はそうではありません。迷いながら、壁にぶち当たりながら、時に進路を変え、沢山の人に助けられながら進んできました。上手くいかないこともありましたが、諦めずに続けてきて良かったと思います。現職に着任当時、20数人いる学科教員のなかで、女性教員は私1人でした。それから2人増えて3人になりましたが、女性教員が圧倒的に少ない状況は変わりません。女子学生にこの状況がどう映っているのか心配です。若い人が、性別に関わらず、自分のやりたいことに思いっきり挑戦できるよう、かつての上司を見習って私も学生たちの背中を押していきたいと思います。

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