2015/03/11

「あなたは幸せですか?」

「あなたは幸せですか?」

 

 

 介護保険の説明を要約すると、要介護度4とは排泄・入浴・衣服の着脱に全面的な介護が必要な状態(介護なしでは日常生活が困難な状態)、要介護度5とは寝たきりに近い状態をいう。これらに該当する高齢者は、若かったころと比較して健康・人間関係・社会的立場などを喪失した中で生きていて、殆ど何の楽しみも無いように見える。要介護度の高い人々の人生の最後を、幸せにすることはできないものだろうか。

 母の車椅子を押して附属病院外来の採血室に連れて行く。受付と検査技師さんからいつも必ず「お名前は?」「生年月日は?」と尋ねられる。母は朝少し寝ぼけているので、名前を間違えて「渡辺 ヤス」と答えることがある。「それは80年前の名字でしょ!」とつい強い口調になる。
 「私の名前がわかる?」と聞くと「渡辺 治助だか?」と20年前に他界した伯父(母の兄)と混同している。母の息子は小さい男の子であり、目の前の私は大きなおじさんなので伯父と間違えるのであろう。ある意味で合理的だと納得しつつ、「寛だろ、寛!」と再び強く言ってしまう。
 「自分の年はなんぼだと思うの?」と聞くと「さあ、75くらいでないがね。」と答える。「えーっ、20年も若返ったね。」と笑う私。
 母は顔の筋肉もこわばって無表情に見えるが、たまたま乳児が近くにくると笑顔を見せる。孫に赤ん坊(曾孫)ができたことを伝えたときも、頬の筋肉をはっきりと緩めて久しぶりに笑顔を見せた。どうして赤ん坊が好きなのだろう。
 iPodからイヤホンを耳につないで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を聞いてもらう。母はリズムに合わせて頭を振る。これで聴覚の保持を確認できた。音楽が脳への刺激になるかもしれない。
 売店の小さなケーキや持参した刻んだ果物を一緒に食べてみる。ミルクティーに粉末のとろみ剤をかき混ぜて少し固め、少し冷ます。虚弱な咽頭筋でもむせないように一口ずつ嚥下を促す。ケーキをすべて食べ、「冷たくておいしい」という。これで今日の食欲の確認は完了だ。途中で「あんたも食べなさい。」とお裾分けしようとする。母親の習慣がまだ残っていると安心する。
 骨盤の筋肉が虚弱で便意の我慢が難しいのだろう。時にトイレが間に合わなくなる。「何で早く教えないの!」と、つい声が大きくなるが、「ありがどう」の一言で冷静に戻る。ちなみに老人ホームの夜間のポータブル・トイレは当直のヘルパーさん(男女とも)が交替で世話してくれる。介護の現場ではまさに男女共同参画であると納得する。ヘルパーさんの給料をもっと上げてもいいと思う。

 約3年前に平均余命表を調べたところ、93歳の女性の余命は4.27年だった(平成24年簡易生命表、厚生労働省統計情報部)。母は5月に97歳になるが、平均余命は3.04年。つまり100歳を迎える可能性は約50%ということか。常時見守りが必要な要介護度4の母は、いつまで幸せに生きていけるのだろうか。

 「百寿者のメッセージ」というインタビュー記事(朝日新聞、1月31日)によると、大阪大学人間科学研究科の権藤准教授らが100歳以上の方(百寿者)の訪問面接調査をしたところ、百寿者には寝たきりや認知症の人が多く健康な人は20%に過ぎないが、意外にも幸福度は健康な百寿者と違いがなかったという。その理由として、虚弱になっていく過程で楽しいことに目を向けようとする心の変化が起き、辛い現実を受け入れ適応しているという。先祖や子孫に対する愛着や命の繋がりを感じ、家族や施設の周囲の人々と良い関係を結び大切にされることが幸福感の源泉であるようだと述べている。最後に権藤先生は、「幸せな高齢者の近くには幸せな人々がいて、人生の終末期をうまく見守ることで、支える側も心の豊かさを共有できるのではないか。」と結んでいる。
 このインタビューを読んで、母が生きることと私が支えることの意義、高齢者が長生きすることの到達点のヒントを得たように感じた。この記事が、多くの高齢者と支える人々へのエールになれば嬉しいと思う。


医学研究科 形態解析学・器官構造学講座 阿部 寛