2016/01/15
「新年あけましておめでとうございます」
2016年も変わらぬご厚誼のほど、よろしくお願い申し上げます。
大学の行事や学年暦は年度単位で動いていますが、仕事始めの日は気が引きしまる思いがいたしました。
わが国古代、正月の儀式は中国(隋・唐)の影響を受けながら独自の規定が創りだされました。元日の天皇への朝賀、翌日の皇后・皇太子への朝賀など、年頭に国家の秩序を確認する儀礼が古くから行われていました。646年(大化2年)には「賀正礼」の文言が確認できます(『日本書紀』)。8世紀に入ると朝賀儀礼はいっそう発展し、国家儀礼の最大の儀礼のひとつとなりました。平城京遷都、平城宮第1次大極殿の成立によって大規模な儀式ができるようになったのです。715年(和銅8年)の正月、天皇は内裏から大極殿まで出向き朝賀を受けました。朱雀門の左右には儀仗兵や騎兵がならび、鼓吹(楽隊)も整列して挙行されました。当時の歴史書・『続日本紀』には元日の儀式に鉦や鼓を用いることはこのときから始まったと書かれています。この朝賀では陸奥・出羽の蝦夷(えみし)や南嶋の奄美(あまみ)・夜久(やく)(屋久島)・度感(とかむ)(徳之島)・信覚(しがく)(石垣島)球美(くみ)(久米島)など広範な参加がみられました。世界遺産に登録されている古都奈良で、今から1300年前にあった出来事です。当時の政界トップは女性。元明天皇でした。当時の法律(律令(りつりよう))の規定によれば、中央で朝賀が行われているのと同時に、地方の国衙(国の役所)では国司が部下の役人を率いて政庁に向かって遙拝することになっていました。儀式のあとには饗宴(宴会)が催されたようです。
今年は、職員の休日確保、ワーク・ライフ・バランス実現ということもあってか、元日・2日を休業にし初売りを1月3日とする百貨店もあるようですが、秋田のデパートは元日からの営業です。家事機能の外部化?といえば多少聞こえがいいですが、デパ地下で食材を購入して手抜きをした正月でした。でも、古代に想いを馳せると、ページをめくる手は正月のところで止まります。やはり正月は特別の期間であるような気がいたします。
男女共同参画推進室長 渡部育子