マスコット、シンボルマーク等

シンボルマークについて

 このマークは本学部の同窓会である旭水会のために1988年7月1日に本学部の笠原幸生教授(現名誉教授)によって制作され、同年10月1日に旭水会のシンボルマークとして制定されたものです。

 大輪の旭日を背にそびえ立つ太平の峰、ここに源をもつ旭川と太平川を表したもので、旭水会と母校の限りない発展を併せ願ったものであるとされています。

 これらは、シンボルマークを学部の贈答品・記念品として使えるように制作されたものです。
直径は5.9センチメートルあり、合金製でずっしりしています。
シンボルマークは対象のアイデンティティを表すものです。理工学部(元工学資源学部、鉱山学部、鉱山専門学校)の場合は、http://www.riko.akita-u.ac.jp/intro/logo/に学部のロゴマークの解説があります。工学のEと理学のSが図案化され、ハンマーとサイン波が描き入れられています。


旭水会所蔵の原版

旭水会から卒業生への記念品のタイピン

 背景の色は、「大輪の旭日」の表現からもわかるように赤なのですが、シンボルマークの原版がブロンズでできている関係で、旭水会では上記のタイピンのように、青が使われることもありました。タイピンは七宝焼となっていて、立派なものです。
 ロゴマークにしても、シンボルマークにしても、アイデンティティを作るものでもありますので、大事にしていきたいものです。

(2016年3月4日記)

「カモン」3D

秋田大学教育文化学部
マスコットキャラクター 愛称「カモン」

小・美(平成13年3月卒)伊藤園子さんの作品。 キャンパスに時々現れる(カモシカ)をキャラクターとし、教育文化学部に来てください(come・on)とかけたもので、性別は、ジェンダーフリーに対応して、不詳・不定とのこと。 平成12年春、一般公募し、6月8日に制定されたものです。

マスコットキャラクター

 小学校教員養成課程・美術副専攻(2001年3月卒)伊藤園子さんの作品です。 キャンパスに時々現れる(ニホンカモシカ)をキャラクターとし、教育文化学部に来てください(come・on)とかけたもので、性別は、ジェンダーフリーに対応して、不詳・不定とのことです。 2000年春、一般公募し、6月8日に制定されました。

 これは伊藤園子さんがFRPで制作したもので、今このようなものを作れる学生はいないでしょう。学部HPに掲載されている上の図柄に比べると、随分とかわいらしいイメージになっています。

60周年記念ホール

 秋田大学は1949年に秋田鉱山専門門学校、秋田師範学校、秋田青年師範学校を母体として、鉱山学部、学芸学部の2学部で発足し、2009年5月31日に創立60周年を迎えました。

 60周年記念ホールは、教育文化学部145講義室を改修したもので、2009年6月8日に完成竣工式が行われました。この時にグランドピアノも設置されました。

3号館壁画

 教育文化学部3号館西側の壁画は、1971年に3号館が新しく立てられる際に作られました。当時の教育学部長の藤島主殿の発案で、美術科の教授であった阿部米蔵がデザインし、完成しました。タイル張りで制作されており、タイトルも同様に、壁画左下に「雨露と土」と入れられています。年月を経てだいぶ傷んできています。

天体観測室

 教育文化学部3号館屋上にある銀色に輝くドームは、地学研究室の天体観測室です。
2009年に解像度・結像性能ともにきわめて優れた、東北では最大級の反射鏡『ミルエル』が導入されました。一般の方を対象とした天体観測会も開催しています。

旭水会100周年記念モニュメント

教育文化学部2号館脇に小さな広場があります。これは、旭水会(1888年、新師範学校令施行後の秋田県尋常師範学校第一期卒業生による「秋穂会」の結成が出発点。1895年に「旭水会」となる。1952年に秋田青年師範学校同窓会「暁鐘会」と統合する。)の創立100周年を記念して、旭水会が緑化計画を立て、募金等によって作られ寄付されたシンボルゾーン「旭水苑」です。設計は横山智也教授(当時)が担当しました。学生の広場として親しめるようにモニュメントと一体化した環境を構成し、音と光と色の調和したシンボルゾーンを造設することが目指されました。
1988年9月に完成したモニュメントは筑波大学の三田村畯右氏によるものです。御影石(茨城の稲田石)の球体・正四面体・正六面体が並んでいて、三つは1立方メートルで体積が同じになっています。
○は旭水会の「旭」つまり太陽が表され、旭水会のシンボルマークが刻まれています。△は秋田の山、杉、そして未来が象徴され、中央図書館にある内藤湖南の扁額と同じ「学貴日新」の文字が刻まれています。□は空間を表し、正面には100個の丸穴があいていて、過去100年の時間を表し、他の面の刻点は未来発展への限りない年を表しています。


旭水会100周年記念モニュメント模型:三田村氏提供

旭水会100周年記念モニュメント模型:三田村氏提供

当初は、台座に「学貴日新」とともに、旭水会の「われらの信条」が刻まれる予定だったようです。100周年にあたって定められたものは右のようになっています。

(原文のままです)

「旭水会、われらの信条」

一、同窓の意識を深めて母校の躍進を
一、先人の業績を賛えて郷土の発展を
一、世界の情勢に処して文化の創造を
一、師道の確立を期して教育の振興を
一、心身の錬磨に努めて実践の強化を

4号館入口の彫刻

 これは、2008年3月に本教育学研究科を修了した吹谷夏峰さんが制作した「そよぐ」という名の彫刻です。第82回国展彫刻部で入選したものです(2008年5月東京国立美術館)。
吹谷さんによると、制作意図は「ふとした風の香りにさそわれてやわらかな動きを見せる若い女性、その空気感を表現しました。前を見つめるだけでなく、立ち止まってそよぐ風の中に新しい発見をさがす、そんな豊かな大学生活を大切にしたい。」とのことでした。

秋田県女子師範学校校歌

 1910(明治43)年3月20日制作の秋田県女子師範学校校歌は、作詞を赤松定郷教諭、作曲を沢保次郎教諭が担当しています。沢教諭は成田為三が在学していたときの音楽の教師で、成田為三を指導していました。成田為三は、1909年に秋田県師範学校に入学していますので、この曲を聴いていたと思われます。
 1909年に、秋田県師範学校から女子師範学校が分離されるとともに、師範学校が中通から手形(現在のキャンパス)に移転し、中通(現在の県立美術館近辺)に女子師範学校が移りましたので、それを契機に作られた校歌だと思われます。
 本学部の為我井寿一准教授に、校歌を再現してもらいましたので、お聴き下さい。


(約2分:2番まで)

1みなおと(水音)たかき雄物の流れ
 ゆきかぜ清き鳥海のみね
 矢留のまつのとはなる翠(みどり)
 あさゆふにわれ等がまなびのとふときすがた
2あさひのひかり太平の色
 足穂のいねの秋田の実り
 窓にのきば(軒端)に遙けく近く
 居ながらにわれ等がまなびのつきせぬながめ
3みこと(御言)かしこみ教を守り
 睦ひ交して(むつびかわして)学べるわれ等
 わざを磨きつ心をきたえ
 もろともに世をこそてらさめをみな(女)の鏡
4城山松の秀でたるみさを(操)
 高峯(たかね)のゆき(雪)のさやけき心
 師となる道の歩みも枉(ま)げず
 とこしへに御くに(国)にのこさめ

 われ等がいさを(績)