秋田災害忘れじの旅ある記 その9 秋田仙北地震復旧・復興への歩みと面影【水田 敏彦】(27.4.24)

 今回のコラムは1914年(大正3年)の秋田仙北地震について、地震後の復興に関する旅ある記です。まずは秋田県による震災対応の概要、そして当時の建物被害報告と今に残る復興の面影をご紹介します。

◆震災対応の概要
 秋田仙北地震は早朝5時に発生したため秋田県は震災当日より震災対応を行い、混乱の中驚くほど早く被害状況を把握しています。震災対応は被害が集中した雄物川沿いの強首村、大沢郷村、刈和野町、神宮寺町、大曲町、大正寺村を中心に行われ、震災当日被災地に県職員を派遣し現地視察を行っています。また、各郡長や町村からの報告も早く、県との伝達手段としては電報に加え電話も多く利用され、各郡長から震災報告を受けています。図1に震災当日に使用された電報を示します。被害が激甚であった強首村や刈和野町についても、震災当日に『強首全滅死傷50委細取調中』、『全潰34半潰7大破50変死6峯吉川全潰13変死1』との電報が残されています。震災翌日には小屋掛、炊出などを行い、電話を仮設して罹災地との連絡を行っています。地震から3日後に県は被害が甚大であった刈和野町に救済本部を設置しています。ライフライン被害については、鉄道は震災当日奥羽本線境~刈和野間が不通、5日後に全通しています。道路については、土砂崩れや道路亀裂等が広い範囲で発生し通行できない道路もありました。さらに、3月15日と冬期間に発生した地震でもあり、県は罹災民救援のため毛布を配給しています。住民の震災対応については、師範学校生徒と青年団の応援が報告されています。また被災地救済のため、鉄道省秋田運輸事務所は3月25日から4月30日まで鉄道の無賃輸送を行っていました。


                    強首村村長(小山田氏)→知事       刈和野役場→県内務部長

図1 震災当日の電報[震災事務簿庶務課(1914年)より:秋田県公文書館所蔵]


◆地震災害を防ぐ
~地震に強いまちの条件~
 秋田仙北地震の現地調査を行った内田祥三(1885-1972)は、1914年に「秋田震災被害地巡回所感」という論文を建築工芸叢誌に載せ、巡回中の感想を次のように報告しています。なお、内田祥三とは建築構造学の泰斗で東京大学の安田講堂を始めとする一連の建物の設計でも有名です。地震当時は東京帝国大学の講師でした。
 要点を抜粋すると

 一、土地の硬軟に因て(よって)、被害の程度に著しき相違あること
   例として、神宮寺町宇留井谷地(軟弱地盤)は全潰率71.2%に対して雄物川を挟んだ対岸の硬質地盤では被害が軽微だったことを挙げています。
 一、耐震構造を用ひたるもの極めて少ないこと
   被災地域は1896年(明治29年)陸羽地震を踏まえ「震害建物の修繕に就ての注意」が示されたが、民家の構造には反映されることなく
   同様の被害を受けていたことを指摘しています。
 一、普通構造になる建築物の弱点は千編一律なること
   被害の原因は萱葺き屋根の荷重が大きいこと、柱と鴨居、敷居の接合薄弱による挫折であることを指摘しています。
 一、木造建築に強弱計算を用ひざる弊(へい:よくない習慣)あること
   一般の木造建築の場合、古来よりの習慣と経験により寸法が定められる。しかし、柱が著しく高い、柱間の大きい場合には太い柱を要することを
   指摘しています。

 地震防災の出発点が住宅の耐震化であることをその2で述べましたが、このような指摘は今に始まったことではありません。また、当該地方が陸羽地震などの震災を受けながら上記の項目に注意が加えられなかった原因として以下の4項目を挙げています。

 一、平時に於ては、多く地震に対する観念を有せざること
 一、地方人士が、耐震構造の如何なるものかを知らざること
 一、耐震構造を甚しく手重く解釈して、これをなすには、多大なる費用を要するが如く考ふること
 一、耐震構造を用ひんとしても、其手法を充分に理解せる技術者(地方の大工)少なきこと

 これらは100年も前のことですが 今日においても大きな課題となっています。


~今に残る復興の面影~
 このような中、秋田仙北地震の教訓から耐震性を重視して建てられた建物(旧小山田家住宅)が現在でも残されており、復興への思いを垣間見ることができます。現在は強首の秘湯・樅峰苑(しょうほうえん)として宿泊施設となっています(写真1)。宿のHPには『現在の建物は大正6年(1917)に完成したもの。当時の12代当主・小山田治右衛門(※強首村村長)は、その3年前に甚大な被害を出した 「強首地震」での教訓から建築にあたって耐震性を重視し、当時の宮大工であり匠長であった井上喜代松を1年間京都に派遣し耐震技術を習得させました。その結果、屋根裏までつながる太い柱や、梁と柱を結ぶ木組みの筋交いを入れるなど念入りな耐震構造が取り入れられることになりました。』と記されいます。この建物は1999年(平成11年)に国の登録有形文化財に登録されています。建物の耐震性を高めるために、壁の厚さを超える太い筋交い(写真2左)や接合部を補強するための金物(写真2右)などが配置され、内部に入るとこれらを見ることができます。


写真1 強首樅峰苑(こわくび しょうほうえん)
[2015年4月(水田撮影)]



写真2 樅峰苑の内部 筋交い(左)と耐震補強金物(右)
[2015年4月(水田撮影)]


【参考文献】内田祥三:秋田震災被害地巡回所感,建築工芸叢誌,pp.185~189,1914年 水田・鏡味:「1914.3.15秋田仙北(強首)地震の秋田県による震災対応に関する文献調査」日本建築学会技術報告集,第39号,pp.785~788,2012年