秋田大学研究者 後藤真実助教

Lab Interview

湾岸地域における仮面文化を追求する

女性研究者の視点からの物質文化研究

 後藤助教は、日本学術振興会の海外特別研究員の枠でアラブ首長国連邦のアブダビ首長国にあるニューヨーク大学アブダビ校で湾岸地域の研究をしていましたが、秋田大学初となる文部科学省卓越研究事業の令和4年度の卓越研究員の採択を受け、2023年1月より国際資源学部資源政策コースに着任されました。
 中東・湾岸地域において主に資源や政治的な側面が多く取り上げられますが、イスラム圏の服装など物質文化や民俗学についての女性研究者目線による研究は多くはないといいます。後藤助教は経済発展や社会的、政治的背景による変化について、女性のアイデンティティとの関係に着目した地域に根付いた文化の研究をしています。
 湾岸地域はイスラム教徒(ムスリム)が多く、家の中で女性は男性の部屋に入れますが、男性は女性の部屋には入れないなど生活全体に関する様々な規範があります。中東や湾岸地域の文化歴史書の著者に男性が多いのは、規範により男性が女性の空間に入れず男性目線で書かれることが多いためです。昔から遊牧民やペルシャ(アラビア)湾地域からアフリカ、インドへ漁業で何ヶ月も男性が家を留守にすることが多かった地域では、女性が指揮を執りその地域を守っていたといいます。しかしその資料はほとんど残ってないため、後藤助教は大学院修士課程で女性に着目した女性目線の研究ができるのではと服装と湾岸地域と女性を組み合わせた研究を始めました。

イスラム教圏内の女性の服装の歴史

クウェートで衣装を着用した後藤助教

 ムスリム女性の服装は本来、女性の美しい部分を隠し、見知らぬ男性の誘惑から身を守るというイスラム教の教えや解釈を元にした風習です。そのため、顔と手足以外を隠さなければならず、露出の多い服も着てはいけない決まりがあり、国や地域によって様々な装いがあります。
 「アバヤ」という身体の線を見せないゆったりしたロングワンピースと「ヒジャブ」(湾岸諸国では「シェイラ」)という髪を覆うスカーフを組み合わせたスタイルのほか、頭から身体全体を覆う長いマント状の「チャドル」、目の部分だけが開いているスカーフ「ニカブ」、目の部分が網状の布で覆われている「ブルカ」など、各地域で着用するものが異なります。また、イランと湾岸アラブ諸国を含めたペルシャ(アラビア)湾両側では、スカーフだけでなくフェイスマスクのような独特な仮面を着ける女性もいるそうです。
 頭から全身を黒で覆ったムスリム女性は独特なオーラに包まれ、エキゾチックでミステリアスな雰囲気があります。これらの服装が経済発展や社会、政治的背景の変化でどう影響したのかも後藤助教の研究対象です。
 「イスラム教のスカーフという側面だけでは語りきれない仮面文化の多様性と、どのような想いで仮面を日常的に着けているのかという話を聞いてみたいと思いました」と話す後藤助教は、その思いからテヘラン大学でペルシャ語を学び、その後アラブ首長国連邦、イラン、オマーン、カタル、バハレーンでの現地調査を行ったそうです。

 昔は留め具がなく手で押さえなければならない衣装と薄い素材のスカーフを着用していましたが、1980年代からイスラム教の保守的な教えが広がるにつれ、スカーフは厚い素材に変化していきました。さらに、女性の社会的発展により服装に新たなデザインが取り入れられたり、両手が空けられるよう前を留めるボタンのようなものが付属されたりしました。
 また、1970年以降1990年代には経済の発展と共にシルク生地になったり、ブランド製品が流通されてきたりすると、ネックレスやブレスレット、ハイヒールなどの装飾品が見えるように袖や着丈が短くなる傾向にあったといいます。衣装はやがて身体を隠すものからファッションとして着られるようになり、近年では有名ブランド社がムスリムファッションショーを開催したことで、経済的にも大きなマーケットとなりつつあります。現在は地域によって日本人と変わらない服装であったり、アイメイクを楽しんだりなど、厳しい決まりの中でもおしゃれを楽しんでいるようです。

現地調査でわかる仮面文化

星と緑の点は後藤助教が実際に現地に赴きインタビューしてきた箇所

 ペルシャ(アラビア)湾沿岸地域には古くから伝わるムスリム女性の仮面文化があります。その仮面は「ブルカ(イラン側ではブルケ)」「バットゥーラ(イラン側ではバトゥーレ)」と呼ばれ、女性のアイデンティティの表象や社会変遷と密着に関わりながら変化し、発展してきました。
 後藤助教は現地調査の際、イランのイスファハーンという地域で乗車した列車で仲良くなった南部イランのミナブという町の女性から仮面の情報を得て、彼女の家に滞在させてもらいながら地図に載っていないような集落の住民や道端で野菜を売る250名の女性に仮面についての聞き取り調査を行いました。実際に、後藤助教も現地では仮面を着けて社会や集団に加わり、生活を共にして情報や仮面そのものを収集したそうです。

 一般的に初潮や結婚を機に仮面の着用を始めます。入浴や就寝、お祈りの時は外しますが、基本的に仮面の着用を始めると生涯外すことはありません。
 後藤助教は「仮面は身体の一部となっているので着け始めると外すことに抵抗を感じるのだと思います。他の集落から嫁いできた女性は新しい集落の仮面を着けることで嫁ぎ先とうまくやっていきたいという意思を示すこともあり、色々なストーリーを感じました」と言います。
 また、食事の際は仮面を少しずらして食べる時と完全に外して食べる時があり、これは一緒に食事をする人との関係性を表しているのではないかと後藤助教は考えています。相手とあまり親密ではない場合は仮面を外さず、信頼関係のある場合は心を開いている意思を示すために外して食事をするのではという見解です。仮面一つで関係性を表現できる世界があるのです。さらに、年齢を重ねるほど仮面が大きくなる傾向があり、それには抜けた歯やシミを隠す意図もあるそうです。仮面はオーダーメイドで個人に合わせたデザインにすることもできます。

仮面文化を通じて見る湾岸地域の女性たち

仮面文化の始まりと発展

 16世紀初めにポルトガル人がイラン南部を占領していた時代があり、ポルトガル兵から若い女性を守るために口髭を型取った仮面を用いたのがこの文化の始まりとされています。これはイスラム教の女性の肌や髪を隠す教えというより、遠目からでも男性に見えるようにと考え抜かれた策とも考えられます。
 その後、仮面は対岸のアラビア半島や東アフリカにも伝わり各地域で独自に発展を遂げ、地域によっては社会的階級を示すものとなり着用を許されなかった女性もいたといいます。また、奴隷制度の廃止後は着用することで自由を表現するという意味もあったそうです。
 「以前は仮面着用が習慣化されていた時代がありましたが、近代化が進む湾岸諸国、特にドバイでは古い文化と言われるようになり、徐々に着用者は減少してきています。一方で、伝統を残したいという気持ちから着用を続ける女性もいます。その気持ちは日本人が和服を着ることと共通するものがあると思います。着物という日本の伝統衣装を着る時は、ちょっと誇らしい気持ちにもなります。仮面をつけるムスリム女性も同じような気持ちなのでしょうか」

地域によって異なるデザイン

後藤助教が収集した仮面は350点に及びます

 仮面は各地域でそれぞれ発展し、大きく以下の3つに分けられます。
 ペルシャ湾岸両側の仮面は、インディゴ染色のコットン生地で表面が金色で加工され口髭に見えるデザインです(写真➀)。また、イラン南部のパキスタンとの国境付近に住むバルーチ族の仮面は、未婚女性は黒や茶色、既婚者は赤やオレンジなど華やかな色と分かれていて、キラキラの装飾が付いたものは結婚式やお祭りなどで着用します(写真②③)。鼻の部分が摘まれたようになっており、プラスチックやヤシの木の枝などを入れたものや、刺繍の柄で出身地や職業、年齢や子供の人数などがわかるようになっているそうです。
 そしてオマーンの内陸部地方は一見ウルトラマンのような頭上に突起しているタイプの仮面です(写真④)。以前は表面を金色に加工された生地が使用されていたそうですが、炎天下で外働きをする際に汗で仮面の色が退色してしまうため現在はナイロン製で洗えるものに変わってきています。

イスラム教文化や風習や価値観にふれて興味をもってほしい

 アラブ首長国連邦では男性は首から足元までの長いワンピースのような「トーブ」という服を着用しています。以前、後藤助教はインドのムンバイに1社のみ残る仮面製造工場を訪れ、生地や製造工程、歴史について調査記録を行いましたが、今後はこの「トーブ」の生地についての調査研究を考えているといいます。
 トーブ用の織物生地は日本の繊維製造企業も輸出しています。トーブは主に夏の直射日光を防ぐため白地で作られますが、冬用の茶色や黒の生地やオーダーメイド用の生地の種類も多くあり、値段もさまざまです。イタリア産や日本産は通気性の良い生地にするために改良を重ねて来たため高価ですが人気があります。
 後藤助教は日本企業の開発チームを訪問して生地に関するデータを収集したり、現地の販売店へ赴きインタビューを試みたりすることを思案しています。古くから伝わる文化と資源を絡め、どのような自然環境でその地域の服装が出来上がってきたのかという視点から、女性服と男性服についても今後の研究対象として進めていきたいと後藤助教は意欲的です。
 「私は湾岸地域の方と交渉を行うことや、チームで働く時の橋渡し的な役割もできると思っています。過去に現地の文化や風習に敬意を払わなかったり、知識がなく交渉が失敗したりという事象を見てきました。秋田大学国際資源学研究科では中東や湾岸地域とも繋がりを持つ機会もあるので、例えばイスラムのお祈りの時間には電話やミーティングを設定しないこと、最初の挨拶の際には女性が手を伸ばしてから握手することなど、少しでも文化を知ることで相手の受け取り方も変わると思います。日本では普通に行われている風習や文化が他国で受け入れられない場合もありますし、その逆の場合もあります。学生の皆さんには私の授業を通して『気づき』を与えられたらいいなと思っています。色々な価値観に触れて興味を持って欲しいので、少しでも私が持つ知識を共有できたら嬉しいです。そして『好きなこと』『得意なこと』を見つけてもらいたいです」と後藤助教は語ります。

 世界の様々な文化を現地で体験したいという思いから、これまで71カ国を訪問し、たくさんの経験を積んできた後藤助教。今後のやりたいことの一つには、現地調査で収集した数々の仮面を実際に触れられる展示会を開くことがあります。
 こうして何事にも意欲的に取り組もうとする姿勢や、どこの国に対しても敬意を払い、その地域の人々と仲良くなれるこのお人柄がこれまでの現地の方との関係や実績を築き上げてきたと言っても過言ではありません。将来のグローバルな人材育成の面でも期待されている後藤助教は、今後もさまざまな国に足を運び民族文化に触れ、女性目線で自らの「気づき」を多くの人に共有していくことでしょう。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

国際資源学研究科 資源政策コース
助教 後藤 真実 Manami Goto
秋田大学研究者 後藤真実助教
  • 成蹊大学 法学部 法律学科 2011年3月卒業
  • クウェート大学 アラビア語コース 2012年8月修了
  • カタル大学 アラビア語コース 2013年6月修了
  • カタル大学大学院 総合文化学部 湾岸地域研究専攻 修士課程 2015年6月修了
  • テヘラン大学 ペルシャ語コース 2016年8月修了
  • エクセター大学大学院 アラブ・イスラーム学研究所 アラブ・イスラーム学専攻 博士課程 2019年3月修了
  • 【取得学位】
    カタル大学大学院 修士課程
    エクセター大学大学院 博士課程
  • 【所属学会・委員会等】
    The British Society for Middle Eastern Studies、The Association for Iranian Studies、日本中東学会、日本文化人類学会、The American Anthropological Association