Lab Interview

根っからの研究者が目指す、脂質代謝を標的にした新しい医療

「健康」と「病気」

 生き物は、「健康」と「病気」のふたつの状態に分けることができます。高齢化社会を迎え、日本人の健康に対する関心は年々高まっているとされていますが、私たちはどうしても病気を治すことに目がいきがちです。健康であることが生き物の標準的な状態です。『健康』のメカニズムがわかって初めて、『病気』(異常な状態)がわかってくるのだと、佐々木教授は語ります。

がん、炎症性疾患、糖尿病に関連する細胞膜リン脂質の分子模型。
水素、炭素、酸素、窒素、リンなど原子の組合わせから成る。

 佐々木教授の研究対象は、がん、神経変性疾患、代謝異常症、免疫・炎症性疾患などです。これらの疾患となり病院に行くと、当たり前ですが病気の種類によって異なる診療科を受診することとなります。しかし病気の原因には共通点が多く、腸、肝臓、神経細胞、白血球など、発生した場所が違うことによって症状が異なるのだそうです。佐々木教授は、病気の原因は元を辿ると同じところに戻ってくることに可能性を見い出し、それを脂質(人の身体をつかさどる”油”)の側面からアプローチしています。

遺伝子のはたらき


塩基配列とアミノ酸の対応を示す暗号表(コドン表)

 遺伝子やDNAという用語は、中学・高校の理科や生物の授業でも扱われていることから、一般的にも馴染みのある言葉です。「遺伝子」は、次世代に遺伝情報を伝えるための物質で、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の塩基が連なったものを指します。A、T、G、Cは3つ単位で1つの「アミノ酸」を意味し、アミノ酸が連なった物質が「タンパク質」です。

 遺伝子が人の身体的特徴や個性の違いを生む一因であることはよく知られていますが、遺伝子だけでは生き物は成り立ちません。遺伝子とは、生き物をつくる「設計図」のようなものであり、環境の影響など、様々な要因が絡み合って、生き物が存在します。

 A、T、G、Cの4つの塩基は、それぞれ対になる組み合わせが決まっており(AとT/GとC)、この性質を利用して細胞分裂の度に遺伝子はコピーされて、新しい細胞にも同じ遺伝子が受け渡されていきますが、たまにコピーを間違える時があるそうです。健康な人は間違えてしまってもそれを正す機構が備わっているので問題はありませんが、その機構が十分に働かない場合には、異常な遺伝子をもつ細胞が生まれることになり、最終的に病気につながります。
 例えば細胞が増殖する時に必要なタンパク質は「程よく働き、休む時は休む」という性質を持ちますが、タンパク質のもととなる遺伝子の塩基配列が一つ違うだけで、「働き続けるタンパク質」が細胞の中に形成されてしまうことがあります。その結果、「働き続けるタンパク質」の設計図をもった、「異常な細胞」がどんどん増え、秩序が保たれていた臓器をむしばみ、他の臓器に移動(転移)してそこでも秩序を乱す現象。これが「がん」です。このように、がんは遺伝子の1個の塩基の異常だけでも、引き起こされることが明らかになっています。

未開拓領域の「脂質」研究への参入

まだ世界中の誰も知らない「生物の仕組み」を解明する。

 ヒトの基本設計図であるヒトゲノムの全塩基配列の解読は、1991年からはじまった「ヒトゲノム計画」(※米国や日本などの国際間協力によって実施)によって、およそ10年の歳月と3,500億円もの費用をかけて、2003年に明らかになりました。遺伝子の解析技術はとても進歩しており、それはもちろん医療にも有用であるし、生き物がどうして病気になるのか、どうして正常なのかを見極め、原因を探る上でも非常に重要な意味を持った物質であると言えます。 一方で、佐々木教授が力を入れているのは「脂質」の研究です。これまで述べてきた遺伝子は水溶性(水に溶ける)です。生命科学は、水に溶けるものを対象に研究が進められてきたため、水に溶けない脂質の研究は遅れているそうです。佐々木教授は未開拓領域である脂質に着目し、その解析技術を開発しています。

 脂質は食事から摂取されます。また、体内では、「脂質代謝酵素」の働きで、様々な脂質の合成と分解が繰り返されています。
 秋田大学では、がん、神経変性疾患、代謝異常症、免疫疾患などの病気と脂質との関係を解明するためのオリジナルの病態マウスの作製に成功しています。例えば、ある脂質が「がんに関係する」と見当をつけたら、その脂質代謝酵素を持たないマウスをつくりだし、がんを発症させて、脂質の変化がどのようにしてがんに結び付くのか?、どのような治療薬が有効であるか?といったことを研究するという取り組みです。

 がんに関係する脂質を壊せる正常な酵素の遺伝子をA、壊せない異常な酵素の遺伝子をaとします。普通のマウスは”AA”の遺伝型ですが、遺伝子工学と呼ばれる方法で、”Aa”の遺伝型をもつマウスを作って、そのオスとメスを交配します。そうすると次に産まれる子マウスは、AA、Aa、aaの3通りの遺伝子型になります。このような、異常な遺伝子(a)を持った卵子と精子の組み合わせの場合に、ようやくaaの遺伝子型のマウスが産まれます。このマウスはがん脂質を壊す酵素を持ちません。よってこのようなマウスは、ある遺伝子の活動が破壊・欠損された、ノックアウトマウス(Knock-out mouse)と呼ばれています。


論文発表で、世界中の研究者と成果を共有する。

 このマウスに生じる異常を研究することが、脂質と病気の関係を知る有力な手がかりとなり、また、投薬のテストにも利用しているそうです。
 病気の原理を知るためには、何度も何度も様々な角度からの実験が不可欠です。ヒトの病気は治すもので、実験対象ではありませんので、ヒトに似た病気をもつモデルマウスが有用です。また、そのような病態マウスの利点は、再現性がある、つまり「科学になる」ことだと佐々木教授は言います。

大学発ベンチャー「ALTe」の設立

 脂質の分野は世界的に見ても研究者が少ないそうですが、解析の要望は多いそうです。そこで佐々木教授は、中西広樹助教(生体情報研究センター所属)と共に、2015年にAkita Lipid Technologies合同会社(以下 ALTe:アルテ)を設立しました。

 ALTeは、様々な病気に関係しているイノシトールリン脂質を分析することができる世界唯一の受託解析会社です。大学発ベンチャー企業の中でも、脂質研究分野での法人の立ち上げはALTeが第1号です。ノックアウトマウスの研究においてもマンパワーは欠かせないものです。ALTeにも多くの技術者が在籍し、日々研究が進められています。雇用の面においても、国からの研究費に頼るだけでなく、自ら費用を捻出することが必要となってきました。今後様々な研究テーマに参画するための資金集めも、ALTe設立の目的のひとつです。

「脂質代謝を標的にした新しい医療」を創り出したい

 「医療を良くしていくためには、既存の医療を上手に使う人の育成も大切ですが、新しい医療をつくる人の育成も医学教育者の担うべき役目です。医学部には新しい医療を創り出したい気持ちを持つ人は少なくありませんが、年々、業務の負担が増えて、その余裕がなくなってきています。研究をする医者はすごく貴重なんです。だから他の人と違うことを成し遂げたい高校生は是非医学部に入って研究者を目指してください。今の時代ほど、それが重用されることはないです」と、無類の研究好きである佐々木教授は語ります。

 病気は現在、発症した部位別に病名が付けられています。とても直感的であり、世の中に浸透している分類方法です。 これからは、病気の原因となる遺伝子や脂質などの分子によって、病気の再分類が進むと考えられます。そのようなより細かな分類によって、一人ひとりの患者ごとに最適な医療の実現が見えてきます。治療効果が高くて苦痛が少ない薬の開発や選択が可能となります。
 遺伝子研究はすでに進んでいます。佐々木教授は、「誰かがそれ以外の分野を研究していけば、その中の誰かは、誰も予期しない新しい発見にたどり着くことができる」という考えのもと、未開拓の領域である脂質分野を選びました。「脂質」の視点から病気を特徴付けることを目指し、「脂質代謝を標的にした新しい医療」の実現、その中でも秋田県で特に多い消化器系のがんや認知症などの治療への新たなアプローチを目指しています。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

大学院医学系研究科 医学専攻 病態制御医学系 微生物学講座
教授 佐々木 雄彦 Takehiko Sasaki
大学院医学系研究科 医学専攻 病態制御医学系
教授 佐々木 雄彦
    東京大学大学院薬学系研究科 博士課程修了 博士(薬学)
    Akita Lipid Technologies合同会社 CEO
    トロント大学、オンタリオ癌研究所、東京都臨床医学総合研究所を経て、秋田大学へ赴任。
    受賞歴
    文部科学大臣表彰 若手科学者賞(平成20年)
    日本生化学会 柿内三郎記念賞(平成23年) ほか
  • 微生物学講座ホームページ
    http://www.med.akita-u.ac.jp/~bisei/index.html