All For Patients:すべては患者さんのために
~情報爆発時代におけるこれからの医学教育改革~
医学教育には、将来予想される医療展開の一歩も二歩も先を見越して内容を改革していくことで、社会への責任を果たしていく責務がある
膨大な情報を精選して実践力の質を保証
医学は、各分野においていずれも細分化・高度化され、この30年間で大きな進歩を遂げてきました。同時に現場の医師に求められる知識や情報も爆発的に増え、各分野の学習の際に医学生が触れる情報量も膨大になったと言います。このような情報爆発時代になっても医学生は6年間という限られた期間で学び、卒業後はほぼ全員が人の命を預かる「医師」として社会に送り出されます。このような背景から医学部の教育で大切なのは、ただ単に知識をつけて試験に合格すれば良いのではなく、社会の期待に十分に応えるために、将来、何科の医師になるにも大事な、医師としての基本的な臨床実践能力に加え、プロとして重要な患者さんへの思いやりの心・共感する心・コミュニケーション力の質が十分に保証されることが必要になってきています。
医学教育には、将来予想されるこれからの医療について一歩も二歩も先を見越して内容を改革していくことで、社会への責任を果たしていく責務があります。また、すべての医師・医療者には、プロとして次世代の後輩たちや医療チームを育成する教育マインドが必要であるとされます。
しかし、実際は世界的にもなかなか十分な対応ができない時期が長年続いてきました。秋田大学医学部は、戦後はじめて新設された国立大学医学部ですが、約50年前の創設当時から、1年次に解剖学の学習が行われていたり、県内の協力病院における臨床実習を国内で初めて実現するなど、当時の欧米における医学教育改革の流れを参考にした先進的な教育が導入されていました。近年、この歴史的な流れの上にさらなる改革が進められ、1年次からの教育展開やシミュレーション教育センターにおける取り組みなど秋田大学医学部のカリキュラムが全国的にも注目されています。ひとつの大学で起きた改革は、いずれは日本全体の医学教育改革の促進に繋がり、さらなる改革も生まれやすくなると長谷川教授は語ります。その考えを常に念頭に置き、全国への情報発信とフィードバックを繰り返してきました。長谷川教授は、学内・県内・国内外の先生方とネットワークを組み、医学教育レベルの向上に取り組んでいます。さらに「実践力の質保証を実現するという目的のために、必修症例・事例ベースで各分野統合する医学教育の流れは、医学・医療系のみではなく、日本の大学教育(理系および文系)や卒業後の各種教育・福祉現場、企業など各職場における教育研修のあらゆる分野に必要なエッセンスとされてきており、是非、様々な分野で参考にしていただければ幸いである」と考えています。
1年次から始めるシミュレーション教育および実践力評価としてのOSCE(客観的臨床能力試験)
先駆けて取り組んできた、症例ベースのシミュレーション教育
医学生としての6年間は、卒業後もいかに自分で問題を見つけて解決し学んでいくか、すなわち、生涯学習していく方法を身に付ける期間と言っても過言ではありません。日々、新しい病気や病態が解明され、新たな治療法が検討され続けています。知識も技術も人間性も含め、医師は常に自分をブラッシュアップしていかなければなりません。その際に重要になってくるのが、常に目の前の患者さんの症状や病態に対して問題を解決する実践力の評価を意識して学ぶことです。OSCE(オスキー、Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)とは、医療面接、診察・診断過程、臨床現場における基本手技、初期対応などの臨床技能について、実際の患者さんではなく模擬患者さんやシミュレーターを使って実践的に評価する試験です。実際の患者さんに接する前の低学年から実施可能であるとともに、最終的な卒業時の実践力評価にも必須とされています。秋田大学では歴史的にOSCEを充実してきた経緯があり、現在は全国に先駆けて1年次のカリキュラムから段階的に取り入れることで、卒業時の能力向上を目指しています。入学直後から、知識と実践を結び付けて考える力を育成し、それを実践的に評価することが目的です。
1年次からの模擬患者さんへの医療面接OSCE
秋田大学医学部附属病院シミュレーション教育センター
秋田大学医学部附属病院シミュレーション教育センターは、秋田県と秋田大学の共同事業である地域医療再生計画の一環として、平成24年に開設されました。この施設は東日本屈指の規模であり、総合的な診療能力を充実させる基本手技シミュレーター、高性能救急シミュレーターから、専門医研修を目的とした手術支援ロボットトレーニング用シミュレーター、腹腔鏡手術シミュレーターなどの先端機器を配備しています。卒前・卒後教育、県内医療機関の医師・医療者の研修のみならず、全国の大学からの視察や、アメリカ、フランス、イタリア、ベラルーシ、ブータン、フィリピンなど欧米・アジアからの医学生や医師の教育・研修にも活用され、年間約15,000名以上に利用されるようになってきました。
様々な病態を再現できる高性能急変シミュレーターSimMan3G(レールダル社製)
卒前の学生教育のみならず患者安全のためのチーム医療トレーニングとしてハワイ大学のシミュレーションセンターと連携した多職種連携教育・研修で利用されるなど、シミュレーション教育センター内で最も利用されているシミュレーターである。
秋田大学医学部では1年次から、シミュレーション教育センターの機器を使い、様々な病態をシミュレーションしながら学習しています。長谷川教授は、「患者さんのために、基本的な身体診察として、聴診の次は超音波検査(エコー)で検討する時代であることを日本から発信することが重要である」と考え、平成28年からは1年次全員に、心臓と腹部エコーの実習を行っています。もちろんエコーの演習をさせるだけではなく、最後にOSCEで実践力の評価を行っています。この時経験した臨床の実践重要ポイントを2年次の解剖実習などの基礎医学学習で再確認することで、より生きた知識として身に付き、研修医になってからも自信を持って診療に臨むことができるといいます。
また、4,5,6年次の臨床実習では、10診療科以上の実習の際に、各科シミュレーターを利用した教育が行われています。これにより、タイミングによっては各科実習期間に必ずしも病棟や外来患者さんから経験できない可能性がある各科必須の疾患・病態の考え方や初期対応について、実践経験に近い形で経験保証することができるといいます。
1年次12月に実施される腹部エコー(左)と心エコーOSCE(右)
4年次・5年次への胸痛患者20症例の臨床推論と初期対応を経験するシミュレーション実習
シナリオを工夫して高性能患者シミュレーターを使うことにより、必ずしも各科臨床実習期間中に経験できない必須病態に対する鑑別診断や初期対応の実習が実践に近い形式で可能となる。
医学教育におけるe-ラーニング充実の必要性
OSCEなどの新しい教育展開に加えe-ラーニング(情報技術を利用した学習)システムを充実し活用することが、これからの医学教育向上の鍵であると長谷川教授は考えます。効果的効率的にe-ラーニングを導入することで、事前・事後学習の内容を充実したり、動画や音声を使った試験が可能となり、より実践的な評価が可能になるそうです。
1年次のパソコンを使った医療面接に関する試験の様子
e-ラーニングの活用により動画や音声を工夫した実践的な試験を行ったり、事前・事後学習を充実することが可能となる。
さらに大学図書館の蔵書や個人購入の電子書籍(eBook)を積極的に併用し、効率的な学習を目指しています。多数のeBookをパソコン(タブレット)や携帯電話に入れてデータとして持ち運ぶことで、授業中や臨床実習中にわからないことをすぐに調べることができます。例えば、基礎医学の勉強をしながら、いつでも関連する臨床の専門書を参照したり、臨床実習中に基礎医学の専門書を参照することができるのです。最近、大学生協が企画して解剖学、内科学、医学辞書の重要テキスト(eBook)をセットにしたものでは、調べたい単語を入力することで、複数のテキストの関連部分が一覧となって一気に参照することが可能になっています。
海外ではe-ラーニングの活用がかなり進んでおり、常に疑問点を調べるツールとして日常的に使われているそうです。しかし日本では、学ぶ側も教える側も普及が十分とは言えません。今の学生達が社会で活躍する頃には、さらなるネット社会の発展が予想されます。国際レベルでe-ラーニングを使いこなすことで、どこにいても世界中の文献を検索でき、正しい情報を取り入れ、自分で考えながら解析して学ぶことができます。このようなインターネットを使った学習は、卒業後の臨床の現場でも必須になるといいます。
入学前教育~卒前・卒後教育からシームレスにつながる医師の生涯教育
小さい頃から医学の面白さ・医師の魅力などの動機づけを行うことで、医師を志す子供がもっと増えることが望ましいと、長谷川教授は語ります。県内の高等学校訪問やオープンキャンパス等の機会を利用して、医師は、臨床・教育・研究のいずれも生涯やりがいがある職業であることを伝えています。
医学部を目指す高校1、2年次対象のメディカルセミナーでは、医師の魅力、高校時代を過ごす際の気持ちの持ち方などについて講演を行ったり、シミュレーション教育センターや学内を案内したり、医学生と触れ合う機会を作ったりなど、いわゆる入学前からの医学教育を進めています。
「私自身、入学前の中・高生から、本学医学部生1~6年次と研修医、更には各科の指導医や医師会の生涯教育まで幅広く教育に携われる機会はなかなかないことであり、幸せなことだと感じています。この10年程は、これまで述べてきました卒前教育の向上に力を入れてきましたが、その経験を生かして、2016年からは日本医師会生涯教育推進委員会の委員長を務めさせていただいています。全国各地の先生たちと、卒前教育改革につながる形で、医師の生涯にわたる臨床能力やコミュニケーション力の向上を目的とした生涯教育の充実のために検討を重ねています」
秋田大学医学部では、“医療をよくするためには教育・研修を良くする”をキーワードに掲げ、大学と医師会・県内医療機関の指導医の先生と一緒に臨床実習を中心とした医学生の教育を進めています。卒業試験としての6年次へのOSCEの際にも、県内の医療機関の先生に呼びかけて参加していただいてきました。
日本医療におけるグローバル化教育
1980年に日本に訪れる外国人は年間約130万人でしたが、近年急速に増加し、2018年は年間約3000万人以上の外国人が日本国内を訪れています(日本政府観光局JNTO)。今後は海外からの労働者増加に加え、2020年の東京オリンピック開催を機に倍増することが見込まれています。その結果、現在でも対応が遅れている外国人対象の医療について様々な問題が生じるといいます。もはや日本のグローバル化レベルも、外国人という言葉にさえ違和感を感じないといけない状況に来ていることがわかります。
一つ目の課題は、言葉のコミュニケーションです。近年、日本への旅行者は中国、韓国、台湾からの観光客が急速に多くなっています。日本の医療で使う外国語について英語はもちろん重要ですが、長谷川教授が今後、さらなるグローバル化社会に向けてますます必要だと考えているのは、アジア系や世界の言語への対応と各国の異文化や習慣など多様性への柔軟な対応を意識した医学教育です。「緊急の課題である言語について検討しているのは、学生や医師・医療者への多言語音声翻訳システムや電話通訳等を使った医療コミュニケーションの実践トレーニングです。秋田においても、『どんな国の方でも医療は大丈夫です』というメッセージを医師会や大学で発信することが必須の時代に入っています。そうすれば旅行者も来県しやすくなり、県の活性化にも繋がると考えます」
二つ目の課題は、病気が世界共通になっている認識を広めることです。今後、さらに急速にグローバル化が進み、訪れる外国人同様に、海外に行く日本人も1780万人(2017年現在)と増加しています。それに伴い、今まで日本ではあまり考えられなかった海外の疾患に、国民の皆さんや全国の医師・医療者が遭遇する可能性がどんどん高まっているといいます。これまでの国内における医療から、将来に向けて一歩先を行くグローバルな医学教育を展開する必要があるのはこのような背景があることも一因です。
医学教育改革はこれからも続いていく
「医学部は『臨床・教育・研究』を3本柱としております。日本の医師は、この3つのバランスを工夫して進めなければならず、非常に多忙な状況にあります。中でも教育はなかなか評価されにくいこともあり、各分野の先生にとって、どうしても十分な時間をかけることができずに進められることが多かったといいます。
秋田大学では、教育の主役である各分野の指導医をサポートし、6年間通じた分野横断的な医学教育をコーディネートする部門として、全国的にも早い時期である2013年に大学院の講座として医学教育学講座が開設されました。初代教授である長谷川教授は、「各分野の先生とともに歴史的に展開してきた秋田大学の医学教育をさらに推進するとともに、現在改革が進んできている教育内容や教育に関する研究成果を国内外に発信し、先を見越して社会の理想や期待に応えることができる卒前教育~生涯教育の充実に寄与していきたい」と考えています。
医学を目指す小・中・高生の皆さんへ
「医学は、どの分野も非常に奥深く、興味が湧く学問です。どんどん進歩しますので、医師は生涯にわたって勉強が必要ですが、医学教育も年々改革が進んでおり、とてもやりがいのある職業です。私たちも、各分野の県内・国内・世界とのネットワークを生かして、さらに理想的な医学教育を目指して日々邁進しております。皆さんのそれぞれの思いを全力でサポートしていきますので、しっかりとした目標を立てて、私たちと一緒に頑張りましょう」
このように、若者たちへ熱いエールをおくる長谷川教授をはじめ、秋田大学医学部は教育熱心な先生が多いといいます。秋田大学医学部の教育改革はまだまだ始まったばかり。「教育の主役である各分野指導者の皆さんといっしょに、これから予想される将来の医療展開の一歩も二歩も先を見越して医学教育を改革し、将来の秋田~日本~世界の医療を担う人材を育成することで社会への責任を果たしていきたい。また、各分野の医師・医療者が、日々、次世代を育成する教育マインドと教育力を修得し、それを発揮することができるように育成できる卒前卒後の教育改革を進めることができれば理想的です」と、長谷川教授は考えます。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです