国際社会と私たちの暮らしの在り方について考える
パプアの歴史と現状を追う
南太平洋にあるパプアニューギニア島。この島は、西側半分がインドネシアのパプア地域、東側半分がパプアニューギニア独立国に分かれている特殊な島です。インドネシアはかつてオランダの植民地であり、パプア地域はインドネシアが独立する際に最後までオランダと領土を争われた複雑な歴史を持ちます。
1969年、国連統治の後、パプア地域は住民投票の末にパプア系住民全てが併合を望んだ形でインドネシアに併合されました。しかしその投票は全住民の自由意志によるものではなく、権力者に併合を強いられた一部の人のみで行われたものだったといいます。そうした背景からパプア地域ではインドネシア統治に反対する分離独立運動が起こり、今現在も続いているそうです。
また、インドネシアが1998年に民主化されるまでパプア地域への渡航も厳しく制限されていたため、パプア地域の政治についての研究はほとんど行われていませんでした。東南アジア情勢を研究する阿部先生は、まだ研究されていないこのパプア地域について、半世紀以上に渡り続いている分離独立運動の現状や、問題解決のために何が必要か、日本との関わりも含めて国際社会がどのように関われば良いのかを大きなテーマとして掲げ研究を行っています。
半世紀以上にわたる分離独立運動の背景
パプア系住民による反インドネシア政府の思いは、長期に渡り差別や迫害を受けてきたことにあります。伝統的な生活をしてきたパプア系住民に政府が文化を捨てるよう強要したり、後から来た移民に土地を奪われたりということが頻繁に起こり、気付けば食料や住居といった生活に必要な糧が次第に失われていったのです。そうした中でインドネシア政府はパプア系住民には政治的関与もさせず、役職等も外から連れてきた移民に与えていたため、人々は不満を抱えていました。
2002年1月、パプア地域は特別自治法が付与され、自治権を持ちました。特別自治法には州知事をパプア出身者が担うことや伝統的な土地の所有権を認めること等が大まかに定められていましたが、その実現に必要な許可をインドネシア政府が下ろさないまま月日ばかりが過ぎていったといいます。
当時インドネシアの大統領が頻繁に入れ替わり、中にはこうした弾圧をやめようとする大統領もいましたが、結局は強権的な政治に戻ってしまい、政府や特別自治法への不信感は募る一方となりました。そうした積み重ねで分離独立運動も複雑化し、未だに先行きが見えない状況だそうです。阿部先生は、こうした状況下でもパプアの人々とインドネシアの人々が共存できる道はあるかを模索しているといいます。
開発が進む裏で起きている現状
パプアはインドネシア国内で最も貧困率が高い地域です。現在それが国全体の問題となり、パプア地域の経済開発を進める動きが強まっています。
しかし実際は、地域住民と開発を進めようとする企業との話し合いもきちんと行われずに、一方的に契約を交わされ土地を持っていかれたり、開発に反対する住民を軍が弾圧したり、反対運動に参加していた人が暗殺されたりということが頻発し、決していい状況とは言えないといいます。
阿部先生自身も現在の研究を続ける中で、なかなか好転しないこの問題に解決の兆しが見える時が来るのだろうかと懸念しているそうです。
実態を知ることから始まる
発展途上国の人々は、幼少期から労働しなければ生活もままならず学校にも行けないため、読み書きや計算等ができない人も多くいます。例えばカカオ生産者の場合、彼らの収入源でもあるカカオなどの生産も、教育水準が低いことで自身の収入や年間売上の把握、翌年への備えも十分にできないのです。
「学生たちはロールプレイングゲームを通して、生産者にとってどうしたらいい条件で取引先の大企業と話し合いができるだろうと想像した時に、協同組合のようなものの必要性を考えたり、NGOのような専門知識もあり生産者の立場に立ってくれる人がいればよいのではと考えたりします。そういう想像をして初めて、貧困により教育水準が低く情報を得られない人々の気持ちを少し考えることが出来ます」
阿部先生の授業では、「水」「薬」「毒」と誰も読めない外国語でそれぞれ書かれた3本のペットボトルを用意し、薬が必要な局面で文字が読めない学生たちがどうやって薬を選ぶか、というゲームも行っています。文字が読めない苦労を体感し、貧困や教育の問題を想像してもらうことは国際協力を学ぶ上でも大切なことなのです。
国際協力の根本には貧困問題の他に水資源やインドネシアなどの熱帯雨林地帯で生産される「パーム油」の問題もあります。パーム油は食料品、シャンプー、洗剤などの生活必需品に幅広く利用され、世界的にも大きく需要が増えています。しかしそれが同時にインドネシアやマレーシアなどの生産国に数々の問題を与えているといいます。
パーム油はアブラヤシの木から作られ、1年中収穫できるため生産性が高く価格も安いという利点があります。しかし現地では生産量をさらに増やすため貴重な熱帯雨林を次々と伐採し、アブラヤシだけを育てる大規模なアブラヤシプランテーションに転換する動きが進んでいるのです。
ところが、この開発によって森林に暮らす多くの人々が強制的に住む場所を奪われ、安い賃金で過酷な労働を強いられたりしているそうです。さらに、アブラヤシのみの生産となれば他の食料などにも影響を及ぼし現地の人々の生活を脅かす恐れもあります。また、森林減少によりオランウータンなどの絶滅危惧種を含む野生生物の生息地も失われるなど、人間だけでなく動物にも被害を及ぼしていることも問題です。
阿部先生は「私たちの日常的な生活が遠く離れた国の小さな村の人たちの生活にどれだけ繋がっているかを学生たちにも知って欲しいと思い、それを心がけた授業をしています」と話し、まずは「知る」というところから授業を展開しています。さらにこうした生産や流通、消費を通して生じる不平等をフェアトレードでどのように解決できるのか、日本に住む私たちはどう動けば変えていけるのかを学生と共に考えています。
寄付したものはどこにいくのか?
国際協力とは、世界中の平和と発展のために、主に「政治」「経済」「教育」「医療」「環境」といった分野で世界が協力し合い、開発途上国とそこに住む人々を支援する活動のことだとされています。例えば、災害や紛争に巻き込まれた地域へ医療品や日用品を届けたり、電気や水道等のライフラインの整備をしたりといった街づくりの開発支援も国際協力のひとつです。
こうした支援の際に最も重要なことは「現地の人々が何を一番求めているのか」だと阿部先生は言います。しかし、見ず知らずの人が文化や言語、価値観も全く異なる相手に必要なものを直接聞くことは難しく、その調査に十分な時間やお金を割くことができないという実態があるのだそうです。
「支援の方法として多くの人が一番初めに思いつくことは、お金や物資を寄付することだと思います。寄付は良いことではありますが、果たしてそれが本当に現地の人たちの役に立っているのでしょうか。極端な例を挙げると、寄付金や支援物資が現地の武装勢力に流れてしまい紛争の長期化に結び付いてしまうこともあり、さまざまな可能性が考えられるのも事実です」
支援団体によっては、寄付したお金がどの国の何歳の誰に届くと明確に分かり、支援された本人と手紙のやりとりをできる仕組みもあるそうです。さまざまな支援方法や団体がある中で、支援する側も単に寄付をするだけでなく、寄付した先のことを理解した上で行動に移すということも必要なのです。
関心を持つことで変わる世界
第二次世界大戦が終戦して77年経った今でも、パプア地域のように分離独立運動が収束していなかったり、紛争が起きていたりする地域もあり、最近ではウクライナ侵攻も重視されています。また、戦争に関する研究は進んでいる一方、どのように平和を築くかという平和研究の分野はそれほど進んでいないのも実情です。戦争のない世界は確かに平和と言えますが、戦争や紛争以外にも貧困や環境汚染など解決の見通しが立っていない問題も多くあります。
阿部先生自身も何度も現地へ足を運んだ
阿部先生が学生たちに求めることは、世の中で起きていることに関心を持つことだといいます。関心を持って調べるだけでも自分の意識が変わることがあり、一人一人の意識が変わって社会全体に広がれば、いつしか企業や世界のトレンドまでも変化する未来もあるかもしれません。
「小さなことでも知っているか知らないかで見える世界も変わってくると思います。例えば好きなお菓子の裏側を見てその原産国がどこなのか、その国がどういう国なのかを軽い気持ちで調べるだけでも意味があります。今はインターネットで何でもわかる時代なので、興味を持ったことはどんどん調べて欲しいのですが、その方法だと好きなことに関する情報しか入手できません。海外や国内で起きている出来事も把握するために、新聞などのニュースに目を向けると、もっと広い視野を養えるようになると思います」
さらに、柔軟な頭と心を持つ若いうちに海外に行くことで直接その国の実態や人の温かさにも触れることができ、たくさんの経験を積むこともできると続けます。小さな興味から視野を広げて自ら行動していくことは、世界で起きている問題の解決の糸口を見つけられる可能性もあるのです。
紛争が無くなったとしても、その裏では住む場所を失った人たちがいます。また、貧困により十分な食料を確保できず餓死してしまう人たちもいます。そうした人々が豊かな生活を送れるように、今より多くの人が平和な暮らしを送れるように阿部先生は今後も世界に関心を持ち続けます。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです