秋田大学研究者 秋田大学研究者 和泉浩教授

Lab Interview

異なる対象をつなぎ合わせて見えてくるもの

社会学の幅広さ

 社会学とはどんな学問なのでしょう。社会学は、研究していることがあまりにも広すぎて、「何を」やっている学問なのかわからないと言われることがあると、和泉教授は話します。
 社会学は「当たり前」と思われていることが「どうして当たり前なのだろうか」と、考えるところから始まります。和泉教授は社会学の中でも「都市」と「音楽」を専門に研究していますが、そこには都市社会学、音楽社会学の他にも、環境社会学、医療社会学、ジェンダー論、メディア論などの領域が関連しています。

世論〈上〉〈下〉:ウォルター・リップマン著

 中学と高校の頃に、アメリカのジャーナリストであるウォルター・リップマンの伝記『ウォルター・リップマン―正義と報道の自由のために』(ジョン・ラスキン著)とリップマンの『世論』という本を読み、メディア研究への意欲が湧き、それが社会学を勉強するきっかけになったと話す和泉教授。一番初めに関わった研究テーマは、大学1年のときに教員の研究の手伝いをした「日本とアメリカのテレビコマーシャルの比較」だったと、当時を振り返ります。
 「日本には、白の背景に赤いメーカーロゴがパッと出てくるCMがよくありますよね。アメリカ人などには、それが日本の国旗のように見えるようです。一方、当時のアメリカのCMでは紅白の色使いはあまりなく、黒がたくさん使われていたり、文字がびっしり使われていたりしました。他にも、使用する音楽や情報が全く異なり、とても面白かったですね」

身近な疑問がきっかけ〜仙台の「杜の都」の由来〜

 社会学をやっているなかで、勉強したいことが次々と浮かんでくるそうです。それは身の回りの小さな疑問がきっかけになっているものも多くあります。
 「私は昔仙台に住んでいました。仙台が『杜の都』と呼ばれるのはなぜか、なぜ『森』ではなく『杜』なのか。このような、自分の経験の中での素朴な疑問が、研究を始めるきっかけになります」
 昔の行政資料や観光案内書などを探したところ、仙台のまちが荒廃して都市にもかかわらず空き地や木が多い状態だったため、森の多さで特徴づけられるようになり、それが観光案内書で(イメージが転換され)「森の都」と呼ばれ始めたことがわかりました。1973年、当時仙台市長であった島野武が「杜の都の環境をつくる条例」で正式に「森」ではなく「杜」を使った「杜の都」に決めたそうです。その後もかなりの間、表記が混在していましたが、「杜の都」には、そのまちに暮らす人々が協力し合い、長い年月をかけて育ててきた緑と環境への思いが込められています。「杜」の一文字だけで仙台がイメージされ、良い選択だったのではないかと和泉教授は言います。

 都市とまちにかかわる小さな疑問は、秋田県に来てからもあります。例えば、角館はなぜ武家屋敷で有名な観光地になったのでしょう。実は昔は、角館は県内の観光名所に数えられていなかったのです。高度経済成長などに伴い、建て替えが進み、古い建物が急激に減少し、1960年代頃に伝統的な街並みを保護する運動が全国的に高まり、保存されていくようになりました。角館が観光地になった理由は、このような時代背景にありました。

気になったことを探ると社会と時代が見えてくる

 和泉教授は秋田県内の看護学校でも、社会学の授業を受け持っています。秋田県の医療の歴史が記された資料を見て、気になる事がありました。
 「秋田市には昔、補助看護婦という独自の看護の資格が存在していました。その資格について調べていくと、大都市と地方、資格と人材の流出、ジェンダーをめぐる問題が見えてきました」
 現在では看護師は良い職業となっていますが、戦前までは「知らない人の肌に触れる=水商売」ととらえられることもあり、給料も低いものでした。

 こんにちの看護師資格は戦後のGHQの看護改革の中で整えられた資格で、戦後、看護師(当時は看護婦)の地位向上が進められました。日本でも医療の重要性が見直され、看護婦資格も中卒ではなく高卒で取れる資格とされ、資格として高度化されました。
 しかし、戦後当時は高卒者が少なく、資格のハードルを上げると看護婦が不足します。そこでつくられたのが中卒で取得できる准看護婦の資格でしたが、資格を取るとすぐに、待遇の良い県外に出ていってしまうという問題が発生しました。
 なんとか看護婦を秋田に留めておくため、地元秋田市で何年か働かなくてはいけない等の条件を付けたものが、補助看護婦という秋田市独自の資格です。その後、高等学校への進学が一般的になると共に、看護婦資格を取得する人が増えたため、時代と共になくなっていきました。ただ、こうした独自の資格の背景となった人材流出の状況は、こんにちの状況にもあてはまるものです。

ウェーバーの『音楽社会学』を読み解く

なぜ「ドレミファソラシド」なのか

 中学と高校の吹奏楽部でフルートを担当したりと、音楽に触れてきた和泉教授ですが、当初音楽は研究対象ではありませんでした。
 「フルートをやっていた当時、フルートの先生がマックス・ウェーバーという人がいて、その人の書いた『音楽社会学』という本があるけど、何が書かれているか全然分からないと話していました。同じ社会学者の中でも音楽社会学でウェーバーの言っていることがよく分からないという話があったので、まずは何が書かれているのかを理解しようと思い、大学院のときに音楽の研究をするようになりました」

 ウェーバーは多くの著作の中で音楽について取りあげており、「ヨーロッパの音楽でドレミファソラシドがなぜ音楽で使われるようになり、なぜ特定の音の高さ(の関係)に決まったのか」等について研究をしていましたが、残念ながら『音楽社会学』が未完のまま亡くなってしまいました。音楽の問題を上手く捉えるには、物理的な視点だけでなく、人文社会科学的な視点でとらえる必要もあります。音楽は宗教や文化、経済などにもかかわるからです。抽象的な研究を行っているからこそ、「視点」となる部分を考えていかなくてはいけないと、和泉教授は話します。

 「ドレミファソラシド」といった言葉を音にあてはめる方法は中世の頃に誕生しました。多くの伝統芸能もそうですが、聖歌や賛美歌は口伝で伝えられてきました。音に言葉を当てはめると覚えやすくなるということで、修道士が考案したものが「ドレミファソラシド」の起源と言われています。そして、美しいハーモニーなどを求めて試行錯誤した結果、現在の「ドレミファソラシド」の音程にまとまっていきました。

気持ちのいい音とそうでない音

 ピアノなどを使った私たちがふだん耳にしている音楽の多くが、「12平均律」というものに基づいて音を合わせています。12平均律とは、1オクターブを12等分したものです。しかし平均律の和音は極端に汚くはならない半面、美しいハーモニーにもならず、ズレが発生します。
 吹奏楽や合唱をやっている方は分かるかもしれませんが、「ド、ミ、ソ」の和音を合わせる時、先生や指揮者から「ミを少し低く」と言われた経験はないでしょうか。「ド、ミ、ソ」の「ミ」を少し下げることで、平均律のズレが解消され、美しい和音になるのです。それでは、もとからミを下げた音にしたらいいのでは?と思う人もいるかもしれませんが、それだとうまくいかない問題が生じてしまいます。
 「この音のズレを『気持ち悪い』と感じるのは、『ド、ミ、ソ=きれいな和音』『ズレがない方がきれい』と、ある意味教え込まれてきたからなのです。ズレがあっても、最初からそういう音の環境のなかで育ってきていると、気持ち悪くは感じないかもしれません。食べ物もそうです。『美味しい・美味しくない』という感覚も、生まれ育った環境等で形成されていきますが、その感覚は時代や文化などでも異なります」

 「感覚」の研究は、1990年代くらいから人文社会科学でもよく行われるようになりました。和泉教授は現在、聞くこと、見ることといった感覚と社会の関係について、音と音楽を中心とした研究を主軸にしています。「好き」や「良い」「きれい」「すばらしい」と感じるものをなぜそう感じるのか?そのことを社会や歴史との関係から考えています。

学生と能代市との取り組み

 2017年から、能代市役所と秋田大学が協力してさまざまな取り組みや調査研究を行う事業が始まり、それに関わっています。一年目と今年は能代市の総合計画を検討する市民協働会議に学生たちとともに参加し、能代市の人たちと能代のまちづくりについて考えました。
 昨年は、能代市役所から「白神ねぎ」について調べてほしいという依頼がありました。白神ねぎは秋田県内でも知らない人がいるため、どのようにしたら認知度を上げてPRできるかをテーマにしました。しかし調べていくと、白神ねぎは品質が高く、首都圏からの需要が増えており、むしろ需要に追いついていないことがわかり、その一方、人手と後継者不足の方が深刻だとわかりました。ねぎはにおいが強かったり、目に染みたりと、出荷作業のアルバイトすらなかなか集まりません。どうしたら人手不足を改善できるか学生たちが調べ、その結果を能代市で能代市長やJAの方々などに報告しました。今年は1年生たちと能代や秋田県内の市民協働や市民参加について調べたり、移住・定住について能代市と学生との意見交換会を行ったりします。
 「私が行っている社会学の研究は抽象的な研究が多いため、研究がダイレクトに地域社会や社会に貢献するというよりも、研究から得た視点や考え方を応用してさまざまな取り組みにつなげていく事が大切だと思っています。遠回りになりますが、さまざまな現象を考えていく視点を練り上げていく抽象的な研究を通して、社会に役立っていけることもあるのではないかと感じています」

自分の趣味や興味に走ってください

 素朴な疑問や関心、趣味や興味が研究につながるのが、「社会学」の面白さです。社会学は研究の幅がとても広く、和泉教授の研究室の学生たちも好きなことを研究対象にしています。
 例えば、今年のゼミ生には観光やジェンダー、終末期医療、ブラック企業、地域づくり、災害とリスクなどといったテーマだけでなく、「仮面ライダー」やアイドル、音楽について研究している学生たちもいます。たとえば仮面ライダーだと、昔はヒーローと悪役が明確に分かれていましたが、最近は仮面ライダーの中に悪いライダーがいたり、ライダー同士で戦ったりしています。ゲームやアニメなどの作品には多様なキャラクターが登場し、そうした世界の描き方などを社会の状況に重ね合わせるといろいろなことが見えてきます。

秋田大学の卒業生が描いたイラスト

 ファッションに関心のあった学生は、少し前までは「ダサい、変な格好」と思われていたものが、流行った途端可愛く見えてしまう事を不思議に思い、好みと流行の変遷や、ファストファッション隆盛の中での個性の表し方をテーマに研究しました。学生のふだんの生活のなかでの疑問が研究テーマにつながった例です。
 「学校では髪の色やスカートの長さといったルールがなぜあるのか、それを疑問に思えば、校則や学校のルールについての研究にも発展します。
 よくあげる例なのですが、小学校からは授業中自由にトイレに行ってはいけない、飲み物も飲んではいけない、決まった座席に座るというルールがあることも不思議ですよね。幼稚園や保育園、職業などにもよりますが職場でもある程度自由があることもあるのに…。ところで、そもそも何をもって『自由』とするのか、こんな疑問も、社会学の研究テーマになります」

 社会学の研究を始めて20年以上が経つ和泉教授ですが、日々色々なことに気づき、そのさまざまな対象がつながったとき、視界が一気に拡大するような感覚を頻繁に味わっていると話します。社会学の楽しさです。明確な目標を持つ人ほど、そればかりに目が向きがちですが、苦手なことも(苦手なままでもいいですが)嫌いにはならずに、たくさんの事を知ってほしいと学生に向けてメッセージを送ります。好きなものだけ食べていると、世の中にある数多くのおいしいものに気づけないかもしれません。色々なものに結びつく社会学だからこそ、それを紐解くには、大きく関心を広げる好奇心が大切なようです。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

教育文化学部 地域文化学科
地域社会・心理実践講座 地域社会コース
教授 和泉 浩 Hiroshi Izumi
秋田大学研究者 和泉浩教授
  • 東北大学 文学部 社会学科社会学 1996年03月卒業
  • 東北大学大学院 文学研究科 人間科学 博士課程 2001年03月修了