人びとの繋がりとスポーツとの関係を団地から学ぶ
生活条件の違うニュータウンから生まれたコミュニティ
1960年代、京阪神大都市圏のベッドタウンとして急速に開発が進んだ兵庫県の神戸市垂水区。明石市と同区舞子地区にまたがる明石舞子団地は、兵庫県最初のニュータウンとして造成が開始され、1970年頃には垂水区民の35%がこの団地の住民だったといいます。東京ディズニーランド約3.8個分の広さを持つこの団地は、現在でも1万世帯以上が生活しており、伊藤准教授はそこに住む人びとを中心に行なわれているスポーツ活動とそのコミュニティの再編に関する事例研究を2005年から行なっています。
現在の明石舞子団地は県営やUR(旧・日本住宅公団)の賃貸住宅に加え、県の住宅供給公社の分譲住宅や戸建て住宅により構成されています。
右の写真は、明石舞子団地の配置図です。ピンク色が県営住宅、青色がURの賃貸住宅、黄色が公社分譲住宅、緑色が戸建て住宅となっています。明石舞子団地のような大型団地ではさまざまな種別の住宅が混在していることは少なくありません。
伊藤准教授は異なる居住条件の住棟が混在していることにより、一つの団地内の住民の意識が住宅種別ごとに違うことを肌で感じました。例えば分譲住宅の住民は、長くその場所に住み続けることから、ご近所付き合いへの意識や地域の美化に対する思い入れが強いといいます。これに対して賃貸住宅の住民は、将来的には団地を出ていこうと考える人が多いため、ベランダに干した布団の叩き方1つをとっても地域への配慮の仕方が違うというのです。
団地住民のこのような意識の違いを目の当たりにした伊藤准教授は、この時、団地のコミュニティについて深く関心を持ったといいます。
垂水区団地スポーツ協会の発足
垂水区団地スポーツ協会での種目の一例
1969年10月、各地から移り住んだ住民同士の親睦を図るため、垂水区主催の団地対抗ソフトボール大会が行われました。この大会をきっかけとして、同年12月に垂水区団地スポーツ協会が発足しました。
垂水区団地スポーツ協会は、プロクラブのように競技力の向上を第一の目的とする組織ではなく、地域の住民同士で気軽にスポーツを楽しむことを目的に、野球、バレーボール、卓球の3種目から活動を始めました。
同じ団地住民といえども意識はさまざま。当初は会員同士が衝突しないように配慮がされていました。例えば野球部の場合、一つのチームが野球経験者を団地外から集めるなどしてチーム力に差が生じることを避けるため、往復はがきをすべての野球部員に郵送し、本人がその団地に住んでいるかを確認していたそうです。この当時の野球部員の年齢構成は30歳~40歳代が中心で、スポーツ(野球)の勝敗から揉め事に発展することもありました。それを避けるために、さまざまな工夫が取り入れられていたといいます。その他、阪神淡路大震災や高齢化など、社会の変化に対応しながら、垂水区団地スポーツ協会は50年以上活動を続けています。
住民にとってのスポーツ活動とは
種目によって表れる特徴
伊藤准教授が面白いと感じたのは、バレーボール部員は全員女性で、メンバーのほとんどが体育館のある垂水区内に住んでいる一方で、野球部員は男性ばかりで、その居住地が広範囲にわたっている点でした。
「同じ『スポーツ』といっても種目によって特徴が出ます。バレーボール部所属の人は既婚の女性が多いので、家族が帰宅するまでには家に戻ることができるように、生活圏内の施設を利用して活動しています。すべて男性で構成される野球部の場合、既婚者でも男性は生活圏にこだわらず活動する人が多いようです」
この2つの種目は大変人気で、新規の入部希望者が後を絶たず、所属人数も多いのだそうです。
野球部の場合、活動に欠かせないのが野球場ですが、神戸市内の球場の予約は取りづらく、予約もネット抽選になり倍率が高いといいます。しかしこの団地内にある球場は一般の球場予約の仕方とは異なり、月に一度、垂水区団地スポーツ協会が利用調整の場を設定しているため、利用者は球場を定期的に使うことができます。だからこそ野球部員にとってこの組織は重要な意味をもち、遠方からも人が集まるというわけです。
スポーツ組織だからこそ成り立つ関係
団地自治会は団地のコミュニティ再編を考える上で重要な組織です。それらは居住地域内の住民が世帯単位で自動的に加入するという点において、その地域内の問題については対応しやすい面があります。その反面、居住地域が限定されることによる高齢化の急激な進行や、「自動加入≒半強制加入」に対する抵抗感等を理由に、今日では活動の停滞という課題も抱えています。
一方、スポーツ組織には、その種目をやりたい人が集まって活動するという“手軽さ”があります。スポーツの“手軽さ”は日常会話の場面にもあらわれることがあります。例えば、調査で話をうかがう際、初対面の人と話す時は身構えてしまうことがありますが、この団地では会話の始まりが阪神タイガースの話題であることが多いといいます。対面時の第一声が「昨日は、あかんかったな」であれば、それは「昨日の試合で阪神が負けた」ということを意味しており、この話をつかみとして会話が始められていくのです。
伊藤准教授は「初対面の人と話す時、いきなり『支持する政党は?』と聞く人はいないでしょう。しかし、『プロ野球はどこのチームのファンですか?』と聞くことはできます。スポーツはある種『どうでもよい』話題なのです。けれども、みんなが知っているという『手軽さ』は、まさにコミュニケーションをとる上で重要なものなのです」と、スポーツの特徴を説明します。
垂水区団地スポーツ協会による公園管理活動
垂水区団地スポーツ協会が継続している理由の1つに「矢元台公園」という近隣公園の管理を任されていることが挙げられるといいます。
矢元台公園は兵庫県が明石舞子団地を含めた垂水区内の団地住民のために設置したものでしたが、完成後にその管理権を神戸市に移すことになったのです。この公園が神戸市の管理下に置かれると、団地外に住む神戸市民もこの公園を利用することができるようになります。それにより、そこが生活の場だという意識のない団地外の人びとが、公園やその周辺にゴミを捨てるなどして、団地住民の生活に影響が出てくることが予想されました。そこで垂水区団地スポーツ協会は、団地住民が優先的にこの公園を利用できるようにと、自分たちの手で矢元台公園を管理することを提案しました。こうして矢元台公園管理会の活動が始まったそうです。
神戸市には住民が公園を管理する制度があり、神戸市にある公園のほとんどは各公園が隣接する地区の自治会が管理を担ってきました。唯一、この矢元台公園は、自治会ではなくスポーツ組織が公園管理を担っているのです。
自治会が管理している公園では、メンバーの高齢化により活動が続けられず、その権限を神戸市に返してしまうところが少なくないといいます。しかし矢元台公園管理会は、母体がスポーツ組織であるため、高齢化が進んでも若者が多く所属する野球部などに管理の手伝いを促すことで活動を維持しています。伊藤准教授はこの公園管理会についても興味を示し、調査に訪れた際には公園のゴミ拾いなどの管理作業を一緒にやらせてもらうなどして、団地住民との交流を深めているそうです。
苦しい時こそ対象から距離を取ることで強みに気付く
秋田大学教育文化学部では、教員を目指す学生に対してさまざまなフォローを行なっていますが、当然、その途中では学生にとって苦しい時期も訪れます。そのような時は少し回り道をしてみてもいいのではないかと伊藤准教授は考えています。
「課外活動でも卒業研究でも、何でも構わないので、何か大学で熱中するものを見つけて、自分の専門分野を磨いてほしいと思います。子どもへの教え方や伝え方は教員として身につけておきたい技術であることは間違いありません。しかし、子どもたちからみて魅力的な教員になるためには、『これだけは一生懸命に取り組んだ』という強みを持っていることが大切と思います」
伊藤准教授自身、学生時代にはサッカー部に選手として所属していましたが、その途中でグラウンド・マネージャーに転身したそうです。転身後、自身の「サッカーノート」に対戦相手の分析やチームの各選手の採点、試合結果が掲載された新聞記事のスクラップなどを行なっていると、監督や部員がそれらを参考にして練習や試合に臨むようになったといいます。
「サッカーを選手として継続していくという選択肢もあったと思いますが、私はそれまでの自分から距離を取りながら考え、マネージャーとしてサッカーを続けるという道を選びました。この選択肢を示してくれた当時の顧問の先生には心から感謝していますが、何より選んだ道で自分なりに興味を持って一生懸命取り組んだ経験が、今の自分に活きていると思っています」
この経験から、何かにつまずいた時はそこから距離を取り、さまざまな視点でその問題を考えていくことが大切であると学生たちに伝えています。
学生の声
秋田県大仙市では、野球を生涯現役で続けられるようにと「全県500歳野球大会」が1979年から毎年開催されています。出場資格は全員が50才以上で、出場選手9名の合計年齢が500歳以上であること。この独自のルールを設けるユニークな取り組みが人気を集め、第1回大会は8チームの参加でしたが、2019年の第41回大会には参加チームが180チームにまで増えました。
伊藤准教授は、大会主催者である大仙市教育委員会から依頼を受け、この大会が中・高齢者にもたらす健康増進効果について、学生と一緒に調査を実施したそうです。そこでこの調査に取り組んだ学生にその感想と将来の目標をうかがいました。
学校教育課程 教育実践コース 4年次
菅 千聡 さん
私は調査で色々な会場を回ったのですが、大仙市を挙げて500歳野球を盛り上げている様子が凄いと思いました。私の地元ではここまで力を入れたイベントはなかなか見られない光景だったのでとても新鮮でした。
私は秋田県内で特別支援学校の教員になることを目指しています。障害を抱えた子どもたちと接する機会はまだ少ないのですが、以前特別支援学校を訪れた際、生徒それぞれが伸び伸びと生活しているところや、先生方がしっかりと生徒個々のことを考えながら指導している様子に大変魅力を感じました。将来は、子どもたちが安心して自分の力を発揮できる環境を提供する教員となれるよう、これからも頑張りたいです。
学校教育課程 教育実践コース 4年次
鈴木 薫子 さん
500歳野球の調査に携わった際、会場ではたくさんのお年寄りの方がとても若々しく生き生きしているなぁと感じました。「自分はこんなに動けるだろうか」と年を重ねた自分を想像しました。
私は茨城県出身ですが将来はこのまま秋田に残り、県内の小学校の教員になることを目指しています。小学校は子どもたちと触れ合う時間が長く、この点に魅力を感じながら日々目標に向け学んでいます。授業面だけでなく生活面でもしっかり子どもを見て指導できる教員になれるよう、あらゆる角度から自分の強みを見つけていきたいです。
学校教育課程 教育実践コース 4年次
石亀 貴雅 さん
途中から調査に参加した僕は、自分の目で直接見られていない部分もありますが、アンケートのデータや回答してくださった方々のご意見を見てみると、人それぞれの考え方やチームの方針が多様であると感じました。調査をご依頼いただいた大仙市のみなさんのお役に立てるようにまとめることが僕たちの使命だと思っているので、責任感を持って取り組んでいきたいと思います。
秋田大学卒業後、僕は出身地の岩手県に戻り、小学校の教員になることを希望しています。小学校の段階で基となる人間性をしっかりと築ける教員になることを目標に勉強に励んでいます。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです