時を超え美術作品のメッセージを読み解くという醍醐味
ルネサンス期の西洋美術の研究
佐々木准教授は、15~16世紀のルネサンス期の美術を中心とした西洋美術史を専門としています。特に北イタリアのヴェネツィアで制作された祭壇画をはじめとする絵画作品が都市の成り立ちや文化的状況にどのように関わり、聖堂や礼拝堂に設置された絵画が持つ役割についても研究しています。さらに、ルネサンス期の芸術家の作品制作状況を当時の芸術の在り方と共に考察することで、芸術家のアイデンティティ形成の特質を探っています。
イタリアの中央部に首都ローマがあり、北部にはミラノ、その2都市の中間にはフィレンツェがあります。フィレンツェは、ルネサンス発祥の地で「花の都」とも言われ、歴史的建造物とともにルネサンスの文化的中心地となった街です。ルネサンスは、15世紀にイタリアを中心に起こった古代文化を復興しようとする文化運動のことで、フィレンツェと並んで芸術が発展したのが北東部に位置する街「水の都」ヴェネツィアです。
ヴェネツィアは、ヴェネツィア共和国の首都であり、かつて海洋国家として地中海貿易で栄えた街です。経済が豊かな都市では自らの権力を表すために、絵画や邸宅、聖堂などの美術が装飾品としてたくさん造られるようになりました。その注文に応える画家たちは強力なパトロンの庇護のもと、ヴェネツィアのみならずヨーロッパ諸国の君主のためにも制作していたと言われています。
イタリアの都市はほとんどが古代ローマに誕生しましたが、ヴェネツィアは中世以降の歴史しかなく(が記録され)、またビザンツ帝国との結びつきにおいて発展してきたという複雑な歴史的背景を持ち、ルネサンス期はアイデンディティを模索する時期でした。佐々木准教授は、1つの作品が当時どのような背景で制作されたのかも合わせて考察するため、現地でさまざまなフィールドワークも行なっています。
ヴェネツィア派が形成された経緯とは
佐々木准教授はこれまで、15世紀後半から16世紀初頭にかけて活動したヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430~1516)を中心とするヴェネツィア派絵画の研究をしてきました。
かつてのヴェネツィアの絵画にはイタリアが持っていたゴシック的な描写方法もありましたが、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)との関係性が深かったため、ビザンツ帝国の様式も入っているのがヴェネツィア派の特徴と言えます。ゴシックとビザンツとの様式的影響下のもとベッリーニは画業を始めます。当時は宗教的主題が多く描かれていましたが、フィレンツェ派の遠近法を用いた新しい技術が生まれ、イリュージョンのようなものを絵画にも応用するようになり、より現実に近い世界を絵画で造り上げられるようになりました。そして次第にヴェネツィア派独自の色鮮やかな色彩と美的感覚が表現されるようになり、これが近世ヴェネツィア絵画の幕開けとなったのです。
中世ではテンペラという顔料を卵や膠(にかわ)などで混ぜ合わせた絵の具を用いた絵画技法で描かれていました。しかし15世紀後半に油絵の具が発明され、アルプス以北より油彩画の技法が伝わり、ジョヴァンニ・ベッリーニがこれを取り入れたことで深みのある豊かな色合いを作り出し、ルネサンスの新しい表現がヴェネツィアに誕生するのです。(正確には、ヴェネツィアの初期ルネサンスに区分されるため)
ベッリーニはこれまで多くの聖母子像を残していますが他にも様々なジャンルに挑戦しており、古代ローマの神話的絵画や祭壇画、肖像画のほか、晩年に世俗的女性を描いた《鏡を見る裸婦》では2つの鏡が三次元性を表現したという絵もあります。また、寓意画という難しい抽象的な概念を擬人化したり、象徴を使い絵画で説明している絵もあります。
佐々木准教授が最初にベッリーニの作品に言い知れぬ不可思議さを感じたのは小さな5枚一組の謎めいた寓意画だったそうです。画家一族に生まれ、生涯をヴェネツィアで過ごしたベッリーニはヴェネツィア派第一世代を代表する画家であり、晩年に至っても筆力は衰えることがなかったと評されています。
装飾写本の肖像画と祭壇画から作品の持つ意図・機能の考察
前述したように、画家ジョヴァンニ・ベッリーニは様々なジャンルの作品を残しています。
左の写真はミラノのトリヴルツィアーナ図書館に所蔵されている《ラファエーレ・ツォヴェンツォーニの肖像》で、装飾写本の1ページに描かれていた肖像画です。従来の研究ではラファエーレ・ツォヴェンツォーニの『イストリアス』(1474年頃)という選詩集の写本に存在し、その肖像画は彼のパトロンである司教ヒンダーバッハへ献呈されたもので、この装飾写本の中に描かれた肖像画のモデルになったのが著者だとされています。これにより佐々木准教授は、著者の肖像画を本の挿絵として描くことの意味が当時の文化的状況の中でどのようなものであったのかを検証しました。
詩人ラファエーレ・ツォヴェンツォーニからパトロンヨハンネス・ヒンダーバッハへの巻末書簡
この写本の末巻には、ジョヴァンニ・ベッリーニに描いてもらったという著者の言及があり、この肖像画には描かれた著者自身がまるで生きているように見えるという意味で「生けるがごとし」というベッリーニを称賛したツォヴェンツォーニの詩が収められていました。さらに、「自分が参上できないので著者肖像を描いてもらって献呈します」とも書かれているため、当時は写真の代わりに肖像画を描いてもらい献呈することになったのではないかということが、佐々木准教授が様々な美術的要素や当時の文学的内容から考察したことです。
それには古代文学への関心が読み取れるいろいろなモチーフがうかがうことができ、そしてこの肖像画のように古代風な建築構造の中に人物が配されたように描くことで、佐々木准教授は古代著者肖像という伝統を入れ込んでいるのではないかと考えました。フィレンチェ出身の詩人ダンテ・アリギエーリの代表作に『神曲』という詩がありますが、この著者肖像にもこのような建築構造の中に描かれていたことも由来します。
さらにこちら側を見ている視線を分析すると、自分自身が絵として献呈されることを意識して描かせたものであると推察されます。贈呈行為を肖像画が代替するという当時の作品は何らかの意図、機能を持って制作されており、単なる美的なものではないというものです。
佐々木准教授は、肖像画が写本に付属していたというこの立場に与しながらも、写本装飾と共通の造形言語が認められる芸術環境を考察しながら、より具体的な制作経緯と作品の機能を現地調査に基づきこれを明らかにしました。
祭壇画の背景にあるものとは
制作当時の祭壇枠組みと共に残されている作品例
祭壇画は教会の祭壇の後ろに飾られた宗教をモチーフにして描かれた絵で、聖堂内部に衝立(ついたて)のように置かれ、その前で信者は祈りを捧げていました。当時は文字の読み書きができる識字率が低かったため、祭壇画を見ることで宗教的説話を理解できるという機能を持ち、聖堂装飾を利用してキリスト教を布教していたようです。
宗教画は中世までは定形的な図像学でしたが、ルネサンス期ではそこに創造性が加わり、画家の個性も表現されたことで今までの伝統的なものから逸脱したものも描かれるようになりました。そして祭壇の枠組みとリンクさせることでイリュージョン効果が加わり、神の世界を体現させる工夫をするようになったのです。
祭壇画は枠組みと切り離されて美術館に収められている作品もあります。佐々木准教授は、当時その祭壇画が置かれていた場所の特徴を捉え、どのような美的影響を受けていたのか、また宗教的絵画が効果としてどのように表れているのかを史料を読み解き、作品やその痕跡を訪ねるために現地調査を行いました。
15世紀の額縁の《キリストの復活》と、もともと置かれていたゾルツィ礼拝堂に設置された祭壇画の仮定図
ジョヴァンニ・ベッリーニ作《キリストの復活》という絵は、1469年から1477年に再建された、カマルドリ会サン・ミケーレ修道院付属のサン・ミケーレ・イン・イーゾラ聖堂主祭壇右にあるゾルツィ家礼拝堂の祭壇画です。
復活を表すかのようにキリストが手を上げているこの祭壇画は、自然光と光が一致するように昇天していく様を効果的に映し出して描かれています。これには修道院改革が行われ新しい信仰企図形式が活かされているのではないかと考えられています。
しかし、従来の〈復活〉という主題には見られない、画面下部の半裸体の人物や、画面から飛び出すように配された石板、象徴的な背景の山といったモチーフや構図については分析されてこなかったため、佐々木准教授はこれらの特異な図像の意味を設置場所の宗教的役割から捉え直すことで作品の機能を明らかにしようとしました。
この祭壇画の注文主であるマルコ・ゾルツィへの礼拝堂建造許可証書には本来「聖母への献呈」という指示がありましたが、「復活の祭壇」と主題が変更されていたのです。これには注文主自身の関与した聖堂再建をめぐる歴史的・宗教的文脈があるのではないかと佐々木准教授は考え、図像の各モチーフの分析と史料から、旧約世界とも結びつく死と埋葬という一連の場面が想起され、礼拝堂での絵画的効果を通じて死からの復活、魂の上昇が表わされていることが明らかとなりました。修道院の社会的・宗教的アイデンティティと信心が反映され、個人埋葬礼拝堂と公的な祈りの場における両方の機能が込められていたと考えられます。
さらに再構成した上で、図像学的に形として表れているものがどのような主題の意味を持っているのかということも一次史料から明らかにしました。「史料を元に作品が造られた当時の状況や思想や宗教、環境を再構成することは美術史のひとつの醍醐味でもあります」と佐々木准教授は言います。
地図と景観図の様式と役割についての研究
絵画としての領域に入り切らない特殊なジャンルに地図と景観図があります。景観図は当時の画家に影響を与えていたとされ、中世の頃はまだ世界を図示したものは正確なものではなく絵地図的なものだったといいます。8世紀に作られた世界地図は「T」と「O」の二文字で作られたTO図という世界図で、Oの丸の中にT字を組み合わせてできているものです。Tの上部がアジア、下部左側がヨーロッパ、右側がアフリカを表しています。
また、佐々木准教授の編著『都市を描く』では、15世紀半ばにヴェネツィアの修道院で制作された《世界図》の「地上の楽園」の描写に着眼しています。大航海時代が始まろうとするヴェネツィアでは、航海技術が飛躍的に進歩した時期でした。しかしそこには中世的世界観も色濃く残っていたのも事実です。
また、同世紀の末に制作された《ヴェネツィア図》は、非常に細かな描線で科学的に作図されたように見えますが、佐々木准教授はエルサレム巡礼への出発地を誇る宗教都市としての姿が全体像で象徴されていることを指摘し、科学的合理性と宗教的世界観とが相克するこの時期特有の都市観を明らかにしました。
ヴェネツィア派絵画に魅せられて始まった研究者の道
佐々木准教授は、世界史の教員であったお父様の影響を受け、幼い頃から多くの書籍が身近にあったこともあり歴史に関心を持っていたそうです。その後大学では、歴史と美術が一緒に学べる西洋美術研究室に入り、ヴェネツィア派絵画の色鮮やかな色彩と力強さにこれまで目にしたことがない強烈な印象を抱いたといいます。そして3年次にイタリアに留学し、現地で見た絵画の素晴らしさに圧倒されたのだそうです。
現在は、美術館で保存されている切り離された祭壇画を当時置かれていた礼拝堂に置き換えて再考することで、当時の人たちが体感したであろう情景を想うことができ、文字史料だけでは実感できない視覚史料としての力に美術の持つ素晴らしさを感じているといいます。また、作品を読み取るうちに当時の思想背景との関連を知ることでしか作品に近づけないのではないかと考え、神話画や寓意画作品を紐解くことから研究が始まったと佐々木准教授は語ります。
「私は美術史で最も重要な技法のひとつディスクリプションを大事にしています。ディスクリプションとは作品記述とも言われ、描かれているモチーフを詳しく言葉で記述することです。いろいろな時代の絵画を見ることは楽しく、その絵についてのさまざまな解釈を読んだり、是非を検討したりすることも楽しいです。そしてそこには作品を読み取る鍵があるかもしれません。
美術館に行けば、時を超え歴史を重ねてきた存在である美術作品と対峙することができます。美術作品には、一生をかけて作品を生み出した画家のみならず、周りのあらゆる人間の生きざまが詰め込まれているといっても過言ではありません。そうした広がりある世界を体感できる場所に、だからこそ出かけてほしいと思います。単なる異文化としての理解ではなく、自分のこととして置き換えることができると思いますし、美術史研究の醍醐味とは何よりこうした作品との直接の出会い、その中に込められたメッセージを読み解くための対話にあるといってよいでしょう。
秋田大学教育文化学部には交換留学制度があり、それを利用して実際にイタリア留学を考えている学生もいます。このような制度を使って現地で美術作品に触れる機会は今後の人生においても貴重な体験となります」
芸術は人間の知情意に訴えかける力を強く有しています。佐々木准教授は若いうちにそれを体験してもらうことで、未来を創ることのできるかけがえのない文化活動を担う場の育成に繋がると考えています。佐々木准教授自身もまた、学芸員や教員、あるいはメディアに携わる芸術文化の教育普及活動の担い手を育成するとともに、生涯学習の一環として市民・県民の方々との接点を持ち、県内大学との連携もはかりながら今後も地元地域の美術教育に積極的に関わっていきたいと意欲的に取り組んでいます。
研究室の学生の声
4年次 近藤 美緒 さん
私が教育文化学部を選んだのは、幅広い分野の勉強ができるからです。入学当初は自分にはどういった分野が向いているのか、どのような研究がしたいのかが分からず決めかねていたのですが、実際に取った授業の中から自分の好きな研究を決められるので私にはとても合っていました。哲学や法律や経済などの授業も取りましたが、さらに視野を広げることができる美術と歴史に興味を持ち、佐々木先生の研究室に入りました。
現在私は、《庭の集い》など日常生活を切り取った17世紀のオランダの風俗画家「ピーテル・デ・ホーホ」について研究しています。ピーテル・デ・ホーホはロッテルダムで生まれ、デルフト、アムステルダムの3都市に居住したのですが、それぞれ住む場所では日常生活も違ったのではないかと思い、活動地によっての様式的変化や図像的内容にどんな違いがあるかということを調べています。
ルネサンス期以降の作品は日常生活や家の中などを題材にすることが多いのが特徴で、私はそこにも関心を持ちました。庭でレモネードを飲んでいるという風景画は一見普通に見えますが、飲酒をしている場面を描くということ自体が新しいことなのです。絵画にはたくさんの時代的背景があり、当時の社会情勢などを読み取ることができます。
佐々木先生が大切にしているディスクリプションを私も実践していますが、一度見ただけではわからなかったことが何度も見ているうちに細かなところまで見えるようになり、鑑賞力が上がって絵画鑑賞が楽しくなります。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです