秋田大学研究者 大橋純一教授

Lab Interview

歴史を反映し感性を育む方言~研究のおもしろさと奥深さ~

方言は日本語の歴史的な変容を映す鏡

 日本語は語彙・文法・音韻・アクセントなど地方ごとの方言差があり、時代とともに変わっていくものです。大橋教授の研究は、地域に残っている古い言葉の現状を捉え、文献からわかる言語事実をつき合わせることで日本語が辿ってきた変容の歴史を明らかにすることです。
 大橋教授は小学生のころ、地元の方言について調べた自由研究の発表会がきっかけでこの分野に関心を持ったといいます。最初は静かだった発表会も、方言を話すと場の雰囲気が賑やかになり、共感してうなずいてくれたりすることがとても嬉しく感じたそうです。その土地の言葉は共通の関心事なのだということを実感し、その後大学で方言学を学ぶにつれて、言葉の働きやそれが変化していく歴史の様をもっと知りたいと思い今に至ります。言語研究には語彙研究のほか、構造的な文法研究、言語音を対象とする音声研究などがあり、特に言葉の印象や伝わり方と深く関わる音の側面は重要です。このことから、大橋教授の研究は主に東北地方の方言についての音声学が柱となっているそうです。

文字で表現しきれない方言のおもしろさ

 秋田県独特の方言というと、発音や話し調子で、ズーズー弁のイメージで語られることが多いと思います。 たとえば東北地方や琉球地方で使われている方言の『し』『す』『い』『え』は、音声では聞き取れても文字として表そうとすると、「し」でも「す」でもない微妙な発音になるため的確にあてはまる文字がありません
 また、濁音や鼻にかかった言い方や「油(あぶら)」が【あぶらっこ】となるような、言葉の間に小さい「」や「っ」が入る方言もあります。この他にも漢語系の語の「か・が」の発音が【くゎ・ぐゎ】に、「せ・ぜ」の発音が【しぇ(ひぇ)・じぇ】に変化することで「菓子(かし)」が【くゎし】となったり、「背中(せなか)」が【しぇ(ひぇ)なが】となったりするようにさまざまな聞き慣れない発音があります。
 実は、『くゎ』という言い方は古い文献に残っている記録と照らし合わせると、中世の時代の都でも使われていたとされています。しかもその『くゎ』を正しく使いましょうという戒め的な文献が残っているというのです。現在も方言として残っている言葉は、ある意味歴史の産物でもあります。

中世の文献に残る音声の記録

 言葉の歴史は古事記や日本書紀の時代まで遡ってみると、当時から現代とのつながりを示す単語が多く使われていたことがわかります。このような文献ではさすがに音声までは遡ることができないと考えがちですが、日本語は古くは漢字音を借りて、また中世の外国宣教師による文献ではローマ字を用いて表記されており、この時代あたりまでの音声が明確にわかるといいます。布教のために来日して日本語を学んでいた宣教師は、事細かに日本語の「しぇ」を「xe」、「じぇ」を「je」と表記していたのです。「しぇ」「じぇ」は当時使われていた発音ですが、先ほどの【背中(しぇなが)】の例のように、現在も東北地方や西日本の方言にこの発音が残っています。このように音声の歴史は実は意外なところにヒントがあるようです。
 では中世の室町時代まで使われていた言葉が、今では地方の方言として残っているのはなぜでしょうか?それは、常に文化的中心地から新語が生まれ変化し、それまで使っていた言葉は池に石を投じたときにできる波紋のように周囲へと徐々に押しやられ、広まっていったからだと考えられています。たとえば当時日本の中心であった京都からすると、秋田県や九州は遠く離れているため交流がなく、その言葉の変化から取り残されてしまったと推察されます。そのため現在も秋田県と九州では同じような方言が残っているのです。そういった観点からも秋田県は言語学、方言学を歴史の方面から見ると格好のフィールドと言えるでしょう。

分布図で見る言葉の広がり

 前述で秋田県と九州で似たような方言があると述べましたが、これを裏づけるものとして民俗学者柳田國男が「蝸牛(かたつむり)」の全国分布を元に論じた『蝸牛考(かぎゅうこう)』という語学書があります。蝸牛考によると、近畿地方では「デデムシ」、その東側と西側、中部や中国地方では「マイマイ」、関東と四国地方では「カタツムリ」、東北と九州では「ツブリ」、東北北部と九州西部では「ナメクジ」というように、あたかも京都を中心として蝸牛の呼称が円状に分布していることがわかります。この分布を『周圏分布型』といいます。
 また、東日本地域では「買った」「居る」という言葉も、西日本地域では「買うた(こうた)」「おる」という言い方になるなど、日本を東と西に分けた『東西対立分布型』という分布もあるといいます。このように言葉の広がり方にはいくつかのタイプがあり、地理的な横の時空と歴史的な縦の時系列の流れの中に思わぬ接点を見出すことができるのです。

地域に即した方言の変化は人間関係が不可欠

 言葉の変化を探る研究では歴史的なことを反映して正しいルーツを辿ることができる場合もありますが、諸説あるといいます。言葉に地域差が生じる原理は主に2通りあり、1つは周圏分布型のように中央から時間的な序列の遅速によって変化し、取り残された地域がひとつ前の地域とは異なった言い方になってしまうことから生まれます。そして原理のもう1つには世代差や階層差があります。認識し合える間柄で特有の言葉を独立的に持ちたいという志向や欲求が働くためこのような差が生じるのです。また、地域独自で変化した言葉もあります。世代差や階層差と同様、共有できる各地域ならではの言葉を持ちたいという欲求が生まれるため、生活や環境、習慣も関係して言葉の流れとあらがう形でその地域に即した在り方での言葉が自然に変化していくのだそうです。

 秋田県には『け』というたった一文字で伝わる言葉があります。「こっちにおいで」「食べなさい」「痒(かゆ)い」など、状況に応じて話し調子はそれぞれ違いますが意味は理解できるという方言です。なぜ簡潔な言葉で表現するようになったのかという疑問に対して、東北の気候(寒い=口をあまり開かない)が理由にあげられることもありますが、理屈のうえでは言語は経済の原理が働くため、できる限り簡単にしたいという欲求が生じるからだと説明できます。規範から比較的自由な地方でそうした変化が先行するようです。また、当人同士で語らずともわかり合える間柄があり、人間的な関わりの深さによって言葉を要しないという背景があるのではないかという見方もあります。
 「対人関係面で考えると都会の人は、理論的に相手に伝えないとわかり合えないという間柄に対して、こういった昔ながらの信頼関係や人間関係がある秋田県では、語らずしてわかり合える簡略化した言葉が許容されやすかったのではないか」と大橋教授は言います。

客観的な側面から視覚的に音声を捉える

 あらゆる言語の音声を文字で表した世界共通の国際音声記号というものがあります。これは調音の仕組みを相対化し聴覚的な基準で表した記号ですが、大橋教授の研究は視覚的に音声を捉える研究で、口のどの部分でどのくらいの長さやタイミングで音が発せられているのかというレベルを視覚的に対比する機械分析を行っています。文字で起こせない音を把握するには客観的な指標が必要になり、そこが定まらないと対等な議論ができません。しかし機械分析はその点を補うことができるのが強みであり、有効な手法でもあります。
 大橋教授はこれまで、方言を日常的に使用している方のところへ行き実際の方言を録音してきました。本来であれば必要な音源を外界音の入らないクリアな状態で録音できれば良いのですが、大橋教授は音のクリアさと同時に、自然な状態でいつも通りに話している音源を録音することを重要視しています。そのためにはその地域の方とのコミュニケーションも重要となります。
 そこで大橋教授はなぞなぞ形式で「Q:果物で二十世紀や幸水ってなに?」「A:なし」や「Q:紫色で漬け物にする野菜は?」「A:なす」などという調子で質問をし、それに対して自由に会話をしてもらっている様子をそっと傍で聞く自然傍受法という方法を用いて録音していきます。この場合、自然に話す「なし・なす」の音源が採れます。このようにしてたくさんの単語や会話の音源を録音して分析していくのです。
 音は様々な周波数成分の組み合わせによって構成されています。この周波数成分の1つ1つをスペクトルと呼び、周波数スペクトルは音の周波数成分の強さを並べたものです。横軸は時間を表し左から右へ流れ、縦軸は周波数を表し下から上に上がるほど高い周波数となっています。時間軸と周波数軸で音の成分の分布を表すことをスペクトルグラフと言い、声の指紋「声紋」を表します。このグラフからどのくらいの周波数で発音されているか、抑揚のレベルや発声の力量が可視化できることになります。

 右の図は「あいうえお」の口の開け具合を周波数の掛合わせによって可視化したものです。口を上下に開いたり横に引いたり、すぼめたりして発音しますが、秋田県民の場合はあまり口を動かさずに発音しているといいます。「ズーズー弁」はその特徴を絶妙に言い当てた言葉だと思いますが、音の周波数成分を図のように分析することで、口の中のどの部分を開き、どの位置で発音しているのかを客観的に捉えることができます。また子音では、音響模様によって表される破裂音、摩擦音、破擦音などで捉えることができます。
 「このような分析から文字として表現できない方言の発音をデータ化して残すこと、それによって客観的な音の事実を共有し、誰もが同じ土俵でその特徴や変容の歴史を考察できるようにすることは大切な基礎作業だと感じます」

方言を大切にすることで多様な活力が広がる

 近年では地域おこしで地元らしさを出そうと方言学を頼りにされる傾向があるといいます。秋田県でいうと秋田弁を使って施設の名前を付け個性を出したり、県のキャッチコピーに「あんべいいな」という方言が用いられていることなどが挙げられます。他にも駅や観光地でのもてなし言葉、土産品(方言グッズ)、ご当地キャラクターのネーミング、マナー啓発の標語など、身の回りのふとしたところに方言が積極利用されている様子が観察されます。こういった動きは「方言のプレステージ」と言われていますが、方言の役割や機能が少しずつ変化しながらも、温かみや親しみやすさが受け継がれてきているということを感じ取ることができます。伝統方言の衰退とは別に、新しく活力を持った側面もあるということでしょう。
 方言は、地域独自の表現を使うことによって相手と自分が感性豊かに共有できる世界が生まれ、言葉の本質がわかり合える素晴らしいものです。逆にそういう言語世界に生きていない人には、そのような感性が育ちにくいとも言えるかもしれません。「今後方言はなくなるの?」という問いに「なくならない。なくなってはいけない」と大橋教授は言います。
 「言語研究は医学や科学のように直接目に見えて人の役に立つものではないかもしれない。でも言葉の働きや意義、研究成果を丁寧にわかりやすく社会に還元していくことで、人々がその言葉を通してよりよく生きていくことに貢献できるのではないか」と語る大橋教授の研究は、日本語が辿ってきた歴史の究明はもとより、私たちが私たちらしく生きるためのヒントをもたらしてくれることでしょう。

研究室の学生の声

3年次 本間 紫苑 さん

 私は秋田県出身で秋田の方言に興味があり、大橋教授の研究室に入りました。秋田の方言では県北と県南での地域差と、年代差によっても方言の使い方の違いがあります。たとえば地域差ですが、昔話の終わりに使う言葉で、県南では「とっぴんぱらりのぷぅ」、県北では「どっとはれ」と言います。これは県北の鹿角周辺が古くは岩手県盛岡を中心とした盛岡藩領に属し、南部弁の影響を受けていたことによると言われています。
 方言はとても奥が深く、語源や歴史などとさまざまな関係性があります。その中でも秋田の暮らしに関わる言葉には人と人との結びつきや生活の知恵、優しさなどが多く反映されていることを感じます。私は公務員を目指し、秋田の方言を大事にしながら人と寄り添った仕事ができるようになりたいと思っています。

4年次 梶原 唯華 さん

 私は日本語教育に興味があり中等教育機関で日本語教師アシスタントとしてマレーシアに9ヶ月留学していました。マレーシアは「ルック・イースト政策」を掲げて日本人の価値観や精神面を学ぶことで自国の産業発展や人材育成に積極的に取り組んでいる親日派なので、現地では日本語教育を受けたい人が数多くいます。
 学習者にとっての日本語をテーマに研究の構想を持っていましたが、多民族国家ならではの課題という点について興味を持ち、どのようにしたら多くの人にとって住み良い国を作れるかという解決策について、現在は言語学の観点からも研究しています。
 卒業後は教育機関へ就職が内定しているのですが、異文化交流イベントの企画と運営を通して、日本人として当たり前だと思っていたことが、他国では違う考えもあるということも教えていきたいと思っています。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

教育文化学部 地域文化学科 国際文化講座
教授 大橋 純一 Junichi Ohashi
  • 千葉大学 教育学部 1993年03月卒業
  • 東北大学大学院 文学研究科 国語学専攻 博士課程 1999年03月修了
  • 【所属学会・委員会等】
    日本語学会、日本方言研究会、日本音声学会、社会言語科学会、東北大学国語学研究会ほか