体質改善につながる分子標的薬の開発をめざして
「自然リンパ球」に着目し感染症・疾病感受性のコントロールを追求する
国民の半数は何らかのアレルギーを持っていると言われていますが、同じアレルゲンに曝露しても症状が出る人と出ない人がいます。また、風邪でも症状が軽い人がいる一方で、気管支炎や肺炎になってしまう人もいます。これらは初期の免疫応答に何らかの違いによるものだと考えられています。
海老原教授は初期免疫担当細胞の中で「自然リンパ球」という細胞に着目し、感染症になりやすい「体質」について病気の根本を治療する手法の開発を目指しています。また、様々な疾患モデルマウスを作製し遺伝子改変マウスを用いた研究も進めています。
病原体に感染しやすい「体質」とは?
同じ病原体に感染した時、無症状や軽症の人がいる一方で重症になる人がいるなど、なぜ症状に差が出るのでしょうか。
海老原教授は小児科臨床医として勤めていた際、感染症にかかった多くの患者さんを診てきました。その中でタダの風邪が気管支炎になってしまう人や細菌感染症を合併してしまう人がいるのはその人の「体質」によるものだと理解していたといいます。しかし、その「体質」という曖昧な言葉で説明することに違和感を覚えるようになったそうです。
その後、海老原教授は北海道大学免疫学講座で当時は新しい概念であった「自然免疫」の研究に携わりました。「自然免疫」は私たちの身体にウイルスなどの異物が侵入した時にいち早く反応し排除する生体防御システムです。そして研究を進めるうち、この自然免疫応答の強さにより風邪症状が良くなったり酷くなったりすることがわかったのです。
さらに海老原教授は研究の場をアメリカのワシントン大学に移し、リンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー)細胞の研究を始めました。NK細胞はウイルスに感染した細胞や腫瘍細胞を殺傷する細胞傷害性細胞です。しかし、留学中にNK細胞に似た細胞集団「自然リンパ球(Innate Lymphoid Cell:ILC)」が発見されました。この細胞は海老原教授が解明したかった「体質」をコントロールしうる細胞だと考えられ、自ずと「自然リンパ球」へ研究は移っていったそうです。
組織に常在している不思議な細胞
身体に侵入するウイルスや細菌から守るために働くリンパ球は全種類発見されていたと考えらえていましたが、そんな状況で新しく発見されたのが「自然リンパ球」です。今まで知られていたリンパ球は炎症が起きるとその場所に移動し戦い、その後リンパ節に戻るというサイクルがありました。
しかし、「自然リンパ球」は炎症がおきる組織粘膜に常在しており、早期の免疫応答を誘導します。一般的に、組織粘膜から免疫細胞を分離するのが難しかったため、その発見が遅れたと考えられています。
「自然リンパ球」はサイトカイン(免疫細胞が分泌するタンパク質)の産性能によりILC1、ILC2、ILC3の3つに分けられ、ILC1はウイルス感染免疫を担当、ILC2はアレルギー炎症の誘導を担当、ILC3は抗細菌免疫を担当します。たとえば喘息やアトピー性皮膚炎などの炎症が起きている所にはILC2が沢山集まりアレルギーを誘導する悪者的存在と化しますが、寄生虫に対しては防御応答の働きをします。実際にマウスレベルで寄生虫感染症に感染させるとILC2が無いマウスは感染がひどくなるという結果も出ています。つまりILC2はアレルギーを誘導する働きもある一方で、寄生虫に対しては防御をするという2つの働きがあるのです。
そしてILC1はウイルス感染した際の最初の入り口を守り、ILC3は細菌感染症に対して防御をするという役割があります。そのためILC1が少ないとウイルス感染しやすく、ILC3が少ないと細菌感染しやすくなってしまいます。また、ILC2が少ない場合はアレルギー炎症の誘導はされない代わりに寄生虫感染をしやすくなります。そしてこの3つの「自然リンパ球」のバランス次第で病気になりやすい体質に違いが生じるのです。
海老原教授は「自然リンパ球」の新しい機能制御機構を発見し、免疫体質をコントロールする研究を進めています。
アレルギー制御の仕組みを解明する
アレルギー炎症は体内にアレルゲンが侵入し、ILC2が増殖、活性化することでサイトカインが産生され炎症が誘導されます。慢性的に喘息やアトピー性皮膚炎などのアレルギー症状が出る人もおり、そのような患者さんを調べてみると活性化したILC2が数多く存在していたといいます。また、ILC2を試験管内培養すると永遠に増加し続けるため、ILC2が活性化によって細胞死に至るとは考えられていませんでした。
つまり、ILC2が高い活性状態を維持したまま、死なないから、アレルギー炎症はどんどん悪くなる傾向にある、ということになります。
そこで海老原教授は、人為的に喘息を発症させたマウスを使って活性化したILC2について詳しく調べることにしました。すると過剰に活性化したILC2はのちに疲弊して活性が低下し始め、その際TIGITという抑制性の膜分子受容体が発現したそうです。さらに、異物を除去する食細胞「マクロファージ」に発現している細胞膜タンパク質CD155が、ILC2のTIGITと結合することで、ILC2の細胞死が誘導されることを突き止めました。つまり、生体内で過剰に活性化したILC2はマクロファージによって細胞死が誘導されるのです。
こうして過剰に活性化したILC2を除去することは、アレルギー炎症を軽減するための生体防御システムであることがわかりました。海老原教授は、この細胞死をILC2のActivation-induced cell death: AICD(活性化による細胞死)と名付けました。そして今後は同様の現象が人体でも起こるのか検証を始める予定です。
「従来のアレルギー治療薬は炎症を引き起こすタンパク質を対象として研究されていましたが、ILC2を減らし、さらに細胞死を起こさせる新薬の開発と治療法の確立に繋げたい」と海老原教授は言います。
アレルギーマーチ現象
アレルギーになりやすい子どもが成長と共に様々なアレルギー疾患にかかる現象のことを行進(マーチ)に例えて「アレルギーマーチ」といいます。たとえば乳児湿疹の症状があった子が風邪を引くとすぐに喘息が起こり、その後卵や牛乳、小麦などが原因とされる食物アレルギーや皮膚炎などのアレルギー症状が年齢と共に積み重なる現象です。これにはILC2の関与が疑われる報告があり、海老原教授はこの現象についても検証しています。
一度アレルギーが起こるとILC2が増加し、訓練を受けます。時間と共に次第に数は減るものの、組織内に訓練されたILC2は留まったままだといいます。そして次のアレルギーが起こると前よりも過剰に反応してしまうことがアレルギーマーチの根本ではないかと海老原教授は考え、これをマウスレベルで証明しようとしています。
方法としては、1度目のアレルギーが起きた際の訓練されたILC2細胞を除去し、その細胞を持つマウスと持たないマウスが2度目のアレルギーを起こした時にどれだけ応答の差が出るのかの検証です。この検証はこれまで行われておらず、現在海老原教授はこのマウスシステムの作製に取り組んでいるそうです。
疾病モデルマウスの製作
病態の解析や治療に役立てるためにはマウスで類似した疾病を起こし実験する必要があります。海老原教授が行っているマウスモデルには、マウスサイトメガロウイルス感染モデルなどウイルス感染のものや、各種担癌マウスモデル、喘息のような慢性気道アレルギー炎症モデル、アトピー性皮膚炎モデル、寄生虫(線虫)感染モデル、細菌感染症では病原大腸菌感染モデルなどがあり、海老原教授は全方向から免疫学研究を行っております。
海老原教授は疾病モデルと遺伝子改変マウスの作製を得意としており、着任後これまでに10種類ほど作製したそうです。
「やはり世界基準の研究レベルを保とうとすると新しい遺伝子改変マウスを作っていくことはとても重要で、こだわりを持って作製しています」と語る海老原教授は、これらのマウスを用いて「自然リンパ球」を介した「体質」の制御機構を明らかにする研究を続けています。
知らない世界を解明する基礎研究の魅力
2001年、新興ウイルスとして、ヒトメタニューモウイルスがオランダで発見されたのことがありました。そしてそのウイルスを日本で最初に報告したのが、当時、北海道大学医学部小児科で菊田英明先生に指導を受けていた海老原教授だったといいます。
このウイルスは健康成人には風邪ウイルスですが、乳幼児に感染すると気管支炎や肺炎などの呼吸器感染症を引き起こします。海老原教授はこのウイルスを多数分離することに成功し、現在保険適応になっている検査キットの開発に貢献しました。この研究を通じてまだまだ知らない世界があることや病気の根幹をなす現象を見つける基礎研究に魅力を感じた海老原教授は、解明する楽しさで毎日研究に明け暮れたそうです。
「秋田大学は感染制御や免疫学に力を入れており、研究環境も素晴らしいです。現在は自然リンパ球をメインに研究していますが、自然リンパ球以外の免疫細胞の研究も行っています。免疫学に興味のある人はぜひ一緒に研究しましょう」
秋田大学医学部では最新実験機器が多数導入されており、遺伝子改変マウス作製技術も非常に高いレベルにあります。海老原教授自身も少しでも社会貢献に繋がるように、多くの人の健康を守れるようにと日々さまざまな研究に勤しんでいます。
研究室の学生の声
乳腺外科 大学院医学系研究科
4年次 山口 歩子 さん
私には女性に関する研究をしたいという思いがありました。授業では外科の実習に最も興味を持ち、その中でも乳腺外科は手術があること、女性に関わる科であることから乳腺外科への専攻を決めました。
現在は第二外科の大学院生です。臨床で問題となっているテーマを動物実験で研究するために海老原教授の研究室に入りました。
今後は大学院生として学位を取ることが一番の目標ですが、現在腫瘍についての研究を行っているので、今後は乳がんにも関わった基礎研究ができればいいなと思っています。
耳鼻咽喉科 大学院医学系研究科
2年次 遠藤 天太郎 さん
私が耳鼻咽喉科を専攻したのは、自分の声が大きいため難聴の方でも聞き取りやすいかもしれないという理由もあったかもしれません。耳鼻咽喉科では、アレルギー性鼻炎で代表されるアレルギー疾患は大事な研究課題の一つです。
現在は、アレルギー炎症に関する新しい知見や治療法を目指して、海老原教授のもとで実験をさせてもらっています。卒業後はそのまま秋田で医師として就職しようと考えています。
医学の世界は臨床から研究まで幅広く扱っており、とてもやりがいのある仕事です。医学への進学を考えている皆さん、ぜひ秋田大学医学部で一緒に勉強しましょう。
呼吸器外科 大学院医学系研究科
4年次 鈴木 陽香 さん
私は第二外科の呼吸器外科で臨床を行っていましたが、学位論文を書く上で海老原教授から基礎研究を勧めていただき、呼吸器外科からは初めて微生物学講座に配属させてもらいました。
これまでの先輩は第二外科がメインで1~2年研究を行ったのちに学位を取得していましたが、ここで研究を始めて1年ほどになります。マウスを使い腫瘍や治療薬、免疫チェックポイント阻害剤の効果など多くの実験をさせてもらっています。
私は他大学の工学部を卒業した後、学士編入制度で秋田大学医学部に入学しました。秋田大学医学部には臨床をやりながら研究を続けている先生も多くいらっしゃいますし、色々な働き方ができます。直接患者さんから感謝の気持ちを受けるとやりがいも感じます。
研究に専念しないと発見できないことや、世の中に良い意味で影響を与えることができる仕事は研究者だと思います。生物や人体、医学に興味のある人は医学部を目指してもらいたいです。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです