タジキスタンの内戦から国と国との関係を紐解く
学術的観点で戦争を理解する
内戦はなぜ起こるのでしょうか。その国の経済や政治、所得などから格差が生まれることで亀裂が生じ、対立していくうちにいとも簡単に内戦と化していくのだといいます。そして現在、世界的にもこの格差社会が問題となっています。この格差社会を緩和させるどころか逆に激化し、戦争が起きてしまった例として1992年~2000年に起こったタジキスタンの内戦が挙げられます。
国際的に関わる事象を分析する「国際関係論」と「政治学」の観点からタジキスタンの研究をしている稲垣先生は、「タジキスタンの人々は本来とても優しい性格の方が多いのになぜ内戦を起こしたのか興味を持った」と話します。
どんなに苦しい状況でも助け合うことのできる優しいタジキスタンの人々が、なぜ殺し合い、なぜ憎しみ合ったのか。一方でそれをどのようにして止めることが出来たのか。稲垣先生は、国と国がどのようにして関係を結び、政治の在り方や「人が人を統べる」とはどのようなことか、なぜ戦争を起こしてしまうのかを国際関係論や政治学の視点から考察した上で、その解決手段を探していきます。
貧困の差から生じる地域間の亀裂
コロナ禍の前は毎年のようにタジキスタンに足を運んではさまざまな調査をしていたという稲垣先生。タジキスタンの内戦の原因の一つには、地域間の対立があるといいます。
「日本でも昔、薩摩・長州軍と会津藩を中心とする東北地方の戦い(会津戦争)がありましたが、かつてタジキスタンも地域ごとにアイデンティティが出来上がり、敵と味方で分かれてしまうという状況でした。その状況下でソ連末期の経済的混乱が訪れ、さらに貧富の差が生まれてしまいました。格差が地域ごとに固定されることで、ある地域はお金持ちで、ある地域は貧乏という状態ができ上がります。すると、一方から『ずるい』という声が上がり、更なる亀裂が生まれ、対立し合うようになっていくのです」
今でこそタジキスタンは平穏を取り戻していますが、隣国のアフガニスタンの情勢も大いに影響されるため、アフガニスタン情勢が完全に安定化しない限り心の底から安心はできないのだそうです。アフガニスタンにはタジク人が多く住んでいます。彼らは民族的な繋がりが強いため、地域間の対立を考えてもアフガニスタンの安定化はこれからの課題だと稲垣先生は言い、そこに日本が関与するような形でアフガニスタンの問題を解決出来ないかを模索しています。
仲間意識の共有が鍵となる
「今、私たち日本人はたまたま平和な時代に生まれて暮らしていますが、現在のタジキスタンは日本でいう明治維新のようなものにあたります。私たちは、現在日本にあるものは昔からあるものだと考えてしまいがちですが、日本も戦国時代や明治維新に内戦を経験しており、日本というアイデンティティを確立させる過程で揉めごとが多々あったというのが事実です。これと同様にタジキスタンで内戦が起こるのは避けては通れない道でもあります」
稲垣先生は、タジキスタンという国家や国民を作り上げ、その国民がアイデンティティを共有し合い「仲間」と思えるようになることで初めて民主主義への道筋ができ、民主化に移行していくといいます。前述したように日本の場合も1つの国としてまとまる前は地域間の争いが絶えずありました。しかし、各メディアなどで同じものを共有するようになった現代では「自分たちは同じメンバーシップなのだ」という意識が暗黙の了解で成り立っています。
同じ空間にいる人たちが同じ時間を共有しているような感覚を持つという意味では、ワールドカップやオリンピックも同様です。テレビや新聞などといった「同時刻に自国の代表を応援している」というアイデンティティが共有される情報通信技術はとても大切で、こういった物事を自然に共有していくことを経て国民イメージやアイデンティティが形成されていくため、それが無いうちは内戦が起こりやすいということです。
ただし、国民という概念は『○○までは我々の仲間だ』『仲間は助ける』『仲間以外は助けない』といった考え方をも内包しているといいます。そのため国民アイデンティティの過度な強化(ナショナリズム)は、諸外国との対立の一因となるので注意が必要です。また、対立は外国との間だけではなく、国内でも生じます。たとえば『仲間ではない人』は誰なのでしょうか。稲垣先生は、国内での分配物が減少していくと、「○○までが仲間で、○○からは仲間ではない」といった話が大きくなり、そののち「なぜあの人にまで分けなければならないのか」というような不満が増えていくようになるといいます。つまり、分配物が少なくなった時が一番恐ろしいということです。
一つ例を挙げるとすると、ソ連が解体された原因の一つとして、自分たちが稼いだお金をなぜ貧しい中央アジアの国々に渡さないといけないのかという不満がロシアなどから上がったというこの事象は、国民よりも細分化した集団のアイデンティティが強化された結果です。
「同じことを東京と日本全体で考えた場合、万が一『東京で稼いだお金をなぜ地方へ渡さないといけないのか』と不満の声が上がり、東京が独立すれば日本はあっという間に立ち行かなくなってしまいます。しかしそうならないのは「同じ日本」という仲間意識があるからです。そして、地方は東京から受け取っている一方で、東京に与えているものもあります。この持ちつ持たれつの感覚から仲間意識が無くなってしまうと、自分たちの方が損をしているといった嫉妬や妬みが生まれ、この関係が崩れてしまう恐れがあります。だから仲間意識というのはとても大事なことで、同胞だという意識をどこまで持つかが鍵になります」
つまり、人が人を統べるといったときに、大切で気を付けなければならないことの一つはどこまでを仲間だと思い、認めるのかということだと稲垣先生はいいます。また、行き過ぎた仲間意識は対立を生むので、バランスも必要とのことです。
そして、人が人を統べるときに、もう一つ重要なのが、我々の生活に欠かせない分配物をいかに公平に分配するかということです。この分配物は、社会保障や税金を通じた富だけではありません。便利な現代社会では、電力など各種エネルギーなど資源が不可欠です。つまり、これら資源も人が人を統べる上で重要な分配物ということになります。
インターネットの普及から生まれる新たなアイデンティティ
都会の人たちは自分がテレビで見ている情報は全国の人が見ていると思い込み、それが日本全国共通のイメージであると信じます。ところが、地方に行きテレビに目を向けてみると、ローカルの放送局では扱う情報が都会とは異なり、自分の持つそのイメージとは異なることに気付きます。このように、中央と地方で共有される情報は必ずしも一致していませんし、それが地方の特徴を生み出してもいます。
他方で、近年ではインターネットやSNSが普及したことで、マスメディアがマスメディアではなくなり、個別のネットワークで個人を結びつけているため、国と通信が融合しなくなってきていることが伺えます。同じ時間と空間を共有しているという感覚が失われているからこそ、今までできた状況や体制がどこでも不安定になっているように感じると稲垣先生は話します。これはある意味グローバル化のメリットでもありデメリットでもあるのだそうです。グローバル化が進むと国というアイデンティティを持ちにくくなるため、国家建設が阻害される可能性があります。
つまり、インターネットが拡大することで、マスメディアの影響力が低下し、同時刻に同じ空間を共有しているという感覚が薄れ、国民をまとめる力が弱くなってしまいます。こういった時代に、どのように共通のメディアを通じて同時刻に同じ空間を共有しているという感覚を持つかが現代の一つの課題にもなっているそうです。つまり、メディアのあり方が変化した今日では、アイデンティティのあり方も変化しており、それに伴い「人が人を統べる」あり方(ガバナンス)も変化が必要となっています。
エネルギーから始まる産業化
タジキスタンが位置する中央アジアは、一般的に石油やガスなどのエネルギー資源が豊富な国というイメージがありますが、実はタジキスタンには石油やガスはほとんどなく、水資源がエネルギーの大半を占めています。ガスや石油がない分、タジキスタンのエネルギー供給量が不十分で、冬場は電力供給が止まったり、夏場でも一日当たりの通電時間が2〜3時間に限られていたりと、まだまだエネルギーが十分に満たされていない地域もあるのが現状です。
タジキスタンの電力は主に水力発電で賄われていますが、国の電力不足は未だ解消されていないといいます。さらに、水力発電は渇水がおきると発電できなくなってしまいます。しかし、もし水力ではなくタジキスタンに豊富にある石炭で発電したとしても、その影響で多くのCO2を排出してしまい地球温暖化に影響が出てしまいます。また、国内に産業が無いため、人々の収入源を確保できないという課題もあります。
「実は、タジキスタンのGDPの最大で約6割がロシアなどの出稼ぎ労働者からの送金です。雇用を生み出すためには国内に産業を作るところから始めなくてはいけませんが、そのためには投資が必要不可欠です。しかしそのための投資をどのように呼び込むのかもまた課題となっています。そして何よりも、産業を起こすには電力を24時間安定して供給することが前提となります。どこの国にも共通して言えることですが、経済を発展させるためには安くて安定する電力供給システムを構築できるかどうかが重要です。それがないと現代的な生活を送ることも、産業の育成も難しくなります」
こういった国に対して先進国が支援出来ることは、エネルギーを産み出すための技術や知恵を使ってサポートすることです。稲垣先生は過去に日本の技術を使ったプロジェクトに参加し、タジキスタンや中央アジアの国々に高効率の石炭火力発電所を導入するための調査をしました。残念ながらそのプロジェクトは日本側の条件が整わず実現できませんでしたが、タジキスタンがエネルギーの安定供給のために日本の支援に強く期待していることが明らかになりました。繰り返しになりますが、産業化には、安定的な電力をいかに供給するかが条件になります。それが途上国支援で重要なことの一つと考えている稲垣先生は、タジキスタンの長い内戦の中で壊れたインフラをどのように再生していくのか、また、CO2を削減し省エネに重きを置いた電力供給システムがあるのかなどのエネルギー問題とも向き合い、多くの課題を解決する糸口を探しながら今日も研究を続けています。
研究室の学生の声
4年次 田村 明楠 さん
私は1年次のときに先生の授業を受けて資源についての流れに面白さに興味が湧き、稲垣先生の研究室に入りました。卒業論文では主にポーランドのエネルギー安全保障における国内政治、国内産業とEUの関係性を考察しました。海外資源フィールドワークでポーランドに行った際、下水処理場で出てきた汚泥を使って電気をつくる発電所などを見てポーランドのエネルギー事情について学んでいこうと決めました。
この研究室で学ぶものは国際関係のことが多いので、18世紀以降の近代世界史は勉強しておくと良いかもしれません。英語はやっていれば段々と身につくので能動的に動くことが大切です。秋田大学にはALLRoomsという英語のみを使用する場所もあり、自分が面白そうだと思ったことに積極的に参加することで様々な人とつながりを持つことができます。
3年次 氏居 綾香 さん
私は最初国際経済に興味があったのですが、入学しさまざまな分野の勉強をするうちに国際関係論や国際政治、政策に関心があることがわかりました。1年次に先生の授業で「ブルー・ゴールド:失われた水の真実」というドキュメンタリー映画を見てから水資源管理に興味を持ち、現在は水資源管理に通じる森林資源管理の研究をしています。
秋田県の人口は大きく減少し、後継者不足が問題視されています。後継者不足によって管理の行き届かない森林が増えることは自然災害の被害拡大等の問題をも引き起こすため、適切な管理システムの構築につながる研究をしていきたいです。
資源政策コースは少人数制で様々な分野の先生がおり、高校まででは経験し得ない多くの刺激がもらえます。どんなことにも受け身ではなく自ら積極的に動くことが大学生活では一番大切なことだと思います。
3年次 周 汶詢 さん
僕はマレーシア出身です。日本語学校在学中に、秋田大学には英語のみを使って活動する場所があるという話を聞いて面白そうだと思い入学しました。日本語と英語どちらも使いながら先生と話せることがとても魅力的です。
僕は国際関係などのはっきりとした答えがないことについて考えるのが好きなのですが、今興味があることは「SOL(Social License to Operate:ソーシャル・ライセンス・トゥー・オペレイト)」という資源業界にとり重要なトピックです。
「ソーシャル・ライセンス」は、地下資源、鉱物などの採掘事業を始める前には対象地域の関係者に許可をもらう必要があるのですが、この許可を法的ではなく企業とか関係者たちで話し合って、信頼関係を築くうえで許可をもらうことです。資源政策コースではわからないことがあっても先生が丁寧に教えてくれるので、積極的に自分から質問することが大切だと思います。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです