Lab Interview

水産物のブランド化と風土産業で、生き残れる地域の工夫を考える

地域ブランド水産物のアドバイザー

 「地域ブランド水産物」という言葉を聞いて、どんな食べ物を思い浮かべるでしょうか?有名どころは大間のマグロ、関サバ・関アジ、羅臼昆布など。鹿児島県の鰤王(ぶりおう)は一般的にはあまり知られていないものの、年間1万5千トンもの流通量を誇る、日本一の養殖ブリのブランドです。
 篠原教授は独自の調査方法で150件以上もの地域ブランド水産物のデータベースを作成しました。各方面からの膨大なデータを元に、今もなお資料作成は続いています。

 そんな篠原教授がいま注目する地域ブランド水産物をいくつか紹介します。
 まず、世界初と言われている北海道標津町の「地域HACCP(ハサップ)」。HACCPとは、”Hazard Analysis and Critical Control Point”の頭文字を取った言葉で、食品の製造・加工段階で発生する危害要因をあらかじめ分析・管理し、食品の安全を確保する衛生管理の方法のことです。標津町における地域HACCPは、漁場や漁業者→水産加工業者→輸送業者という流通を、衛生チェックシートを基にまちぐるみで品質を保証する取り組みです。

 標津町の地域HACCP誕生には、ちょっとした物語がありました。地域HACCPスタート前、偶然にも品質保証の勉強会をしていた標津の人たち。「しっかりとした品質保証は結構手間がかかるんだな」と思っていた矢先に、標津町の近くで水産加工品の食中毒がありました。当時は近隣の水産加工品にも影響が出たと言います。そこから「やはりきちんとした衛生管理・品質保証をして消費者へ届けなければならない」という教訓が生まれ、標津町での地域HACCPを本格的に始めることにしたと言います。近隣での同業者による痛ましい出来事、そして直前にそれを避けるための対策をしていたという偶然が、町民の意識をさらに高め、地域HACCPがスタートしたのです。

日本唯一の水産業界日刊紙「水産経済新聞」

 次に紹介するのは北海道の礼文島の船泊(ふなどまり)という漁業地区。交通条件が悪く定期的な出荷が困難であるため、地域ブランド化が難しいそうです。大都市から遠く離れた船泊のような地域の場合、どのような流通方法が適しているのか、これを見極めることが地域ブランド化の課題です。
 そして同じように大都市から僻遠地である沖縄県宮古島では、地域ブランド化に向けてようやく動き出そうとしていると言います。かつて鰹鮪漁やかつお節の生産が盛んだった宮古島ですが、今では工場も少なくなり、風前の灯状態。これをどうにか復活させようと、ブランド化に向けた取り組みが始まりました。

「手に入りやすい(ある意味ではありふれた)ナショナルブランドに対して、質が良い、希少価値がある、季節が限られているものを、あえて売り物にするという形のブランド化、交通条件の悪さを逆手に取るブランド化の方法もあると思います。正式な認証機関もあるのですが、一番手軽なブランド化は『名乗る』ことでいいんです。しかし名乗るからには、品質保証は避けられない問題ですね」
 篠原教授は調査・研究のみに留まらず、地域の個性を生かして地域ブランド水産物を作る利点、そして様々な土地での実例を研究する調査者として今は活動しています。
「他の土地の漁業の話や、漁業以外の風土産業の実例を、各地で現地の方々に紹介するのですが、それは、自分たちの土地の漁業にうまく生かし、取り入れ、参考にしてもらえたらと思っているからです」

風土に合った無理のない風土産業

三澤勝衛氏の名著『風土産業』を含む著作集

 右の写真は『風土産業』という学術書。著者は地理学者の三沢勝衛(みさわ かつえ)氏です。初版は第二次世界大戦中で、三沢氏の没後、著作全集が発行されました。思想を先取りし、今日にも通じる風土論・地理教育論を残しました。
 三沢氏が提唱した「風土産業」は、その土地の風土に合致した、無理のない産業のことです。例えば、沖縄でどんなに頑張ってりんごを作ろうとしても、青森に比べた場合の自然条件が合わない。反対に、いくらバナナが美味しそうだからと言って北海道で作るのは無謀だ、という事です。
 三沢氏の考え方は「手間をかけた方がよいという常識」とは逆なのだと、篠原教授。著書の中には、産業において最も大事なことは「安く物を提供すること」であると書かれています。安く物を提供するには、コストを抑えることが必要です。それを叶えるには、一人あたりの労賃を下げるのではなく、余計な手間暇すなわちコストを使わなければ良いという意味です。
「その土地に合った作物であるならば、格別の技術を駆使しなくても放っておいても育つはずです。しかし無理があるから手を加えなければならなくなるのです」
 例えば秋田県にとって稲はとても風土に合った作物と言えます。秋田の稲作技術は素晴らしいのかもしれません。しかし篠原教授は、他県と比べて別格に優れている点はないのではないかと考察します。それは高い技術を使わないと農業として低レベルだというわけではなく、わざわざ高度な技術に頼る必要がないほど稲が秋田県の風土(平野が広く、雪どけ水が豊富にあるなど)に合致していることを意味するといいます。

廃棄物を出さない循環型産業

 もうひとつ、風土産業において大切なことは廃棄物を出さないという点です。北海道の小清水町では酪農と穀物栽培農業が互いに不要物を利用し合い、非常に上手く結びあっているそうです。家畜が出した糞尿を肥料にして麦を育て、その麦の収穫後に残る茎は牛たちの粗飼料として利用されます。本来、糞尿は処理しなければなりませんし、麦わらも廃棄処理が別途必要ですが、これらを上手く結びつけることで、無駄のない物質・エネルギー循環型の酪農・穀物栽培が実現しているケースです。
「この『風土産業』の初版は昭和10年。日本がどんどん暗くなっていこうとする時代に「これからは個性の時代だ」と三沢さんは言ったんです。彼が今生きていたら「ほら、私の言ったとおりでしょ?」と笑っているかもしれませんね」と三沢氏の想いに寄り添う篠原教授。余計な肥料や時間を使わなくて済む風土産業は、いつの時代にも通じる究極の産業なのかもしれません。

秋田はまだまだこれから、東京の真似ばかりする必要はない

 教育文化学部3年次のフィールドワーク科目「地域連携プロジェクトゼミ」で、篠原教授のゼミでは藤里町と旧阿仁町の食文化を中心とする地域研究をしています。今年は、たとえば藤里町へは2年連続で訪問し、地域おこし協力隊員のお手伝いとして、藤里町の中通地区を歩き、町の地図を作成するそうです。この授業の目的は、地域おこしの最初の段階として重要なポイントである「自分たちの町に何があるかを知ること」を、身をもって実感することです。
「地域振興において、はじめは『よその目』が必要なんです。アイディアを出して掘り起こす段階には、客観的な視点から、他地域との比較が必要です。秋田はまだまだできることが多いです。今までそれほど地域おこしに熱心ではない地域が多いにも関わらず、今の秋田があるという事実は、これからのポテンシャルが高いともいえます」と秋田の可能性を熱く語ります。

「秋田はどんなに頑張ったって東京には敵わないんだよ。でも、東京もどんなに頑張ったって秋田にはなれないんだ」
日頃、篠原教授が学生たちへ繰り返し伝える言葉です。
「都会的な暮らしやスピード感が好きなら東京へ行くのも良いと思います。また、都会に暮らす人の中には、本当は秋田でのゆったりとした暮らしの方が合う人たちがいるはずです。農山漁村の存続が危ぶまれる今こそが、そのような人たちを迎え入れるチャンスだと思います」
 自治体の消滅が叫ばれる中で秋田で唯一生き残ると言われている大潟村。ここではいわゆる入植者同士の衝突も良い刺激となり、今の大潟村があるのだろうと、篠原教授は考えています。

 

ありふれたものの中に自分だけの特別を見つけ出してほしい

 大学院生時代、茨城県の波崎町へ野外調査実習に出かけた篠原教授。そこはかなりの荒地ばかりが多い地域で「こんな荒れた地を見て何が楽しいんだ」と大学院生皆が思ったそうです。ところが調べていくうちに荒地の多さには意味があるということがわかってきたのです。一見しただけでは見過ごしてしまいそうなものの中に、とんでもなく面白い事実が隠れていたりするのです。
「現代人は少し急ぎすぎていると思います。スマートフォンの仮想世界ばかり見るのではなく、周りをよく見てゆっくり歩き、風の匂いを嗅ぎ、自然の音を聞いてみてほしい。スマートフォンの中に載っていないことはたくさんあります」
 周りが急いでいるのなら自分はゆっくり、皆が新奇なものを求めるなら自分はありふれたものをじっくり見てみる、そうすると気が付かなかった面白さが見えてきます。ありふれたものの中に自分だけの特別を見つけ出してほしい。探索と研究を愛する篠原教授の探究心は、尽きることはありません。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

教育文化学部地域文化学科 地域社会コース
教授 篠原 秀一 Shuichi Shinohara
  • 筑波大学 第二学群比較文化学類
    1984年03月卒業
  • 筑波大学 地球科学研究科 地理学・水文学専攻 博士課程
    1990年03月 単位取得満期退学
    1991年03月 理学博士