認知症高齢者の生活機能維持と向上をめざして
認知症高齢者が安心して暮らすための生活支援
日本は高齢化と共に認知症の方も増加し、2025年には高齢者の5人に1人、約700万人になると見込まれています。
認知症になると道具を上手く使えなかったり、標識の意味なども理解しづらくなるほか、自分の思考や状態を伝えられず周りの人とのコミュニケーションも取りにくくなってしまいがちです。認知症は本人と家族、介護者との信頼関係の構築がとても大切ですが、支える側にも様々な苦労があり、少しでも支援しやすい体制が必要です。
浅野准教授は自身の経験から、認知症になっても自分らしく、尊厳を持ち豊かで安心した生活を送れる社会の実現を目指してICTを活用した様々な認知症生活支援を研究しています。
分かりやすくやさしいデザインとは
タッチパネル選択反応課題の様子
分かりやすいデザインは認識しやすい
認知症の方が施設へ入居するきっかけの多くは排泄トラブルにあるといいます。初めは排泄機能自体には問題が無くても、トイレの場所が分からない、トイレの使い方が分からない等の機能性失禁が多く、それにはトイレの場所を示すトイレサインも関係しています。
私たちはピクトグラムのトイレサインをよく目にしますが、認知症の方はそれがトイレだとひと目で認識できるとは限りません。この分野ではイギリスのスターリング大学認知症サービス開発センター(DSDC)が先行して認知症の方に相応しいトイレサインを研究し、デザインの重要性を周知しています。浅野准教授は、その研究では未検証だった日本人が認識しやすいトイレサインを研究しました。
該当する回答をタッチパネルで選択する『タッチパネル選択反応課題』で検証すると、ピクトグラムの認識率が非常に低いことが分かったのです。一方で、便座のイラストに「お手洗」の文字が付いたサインは、それがトイレサインだと大半が認識できることも検証されました。
このことから、認知症の方だけでなく高齢者にとっても分かりやすいサインを取り入れることは広く周知していく必要があると分かりました。
行動や心理状態から認知症の障害特性を理解する
浅野准教授は、排泄トラブルを介護者がどのように解釈し対処しているのかインタビューを行い、質的に分析する手法を取りました。すると、記憶障害や理解力障害については理解している反面、それ以外の障害については未理解な部分があると判明したのです。
例えば、健常者がトイレで用を足すという一連の動作は意識せずともできますが、認知症の方の場合、何かのはずみで一度途中で動作が中断すると、続きからは自身で再開することができない『遂行機能障害』の症状が表れることがあります。また、2つのことを同時にできなかったり、必要な情報に注意を向けられなくなる『注意障害』、物体の位置や向きなどが正しく認識できなくなる『視空間認知障害』という障害もあります。
認知症の方には苦手なことが多くあり、浅野准教授はイメージがつきにくいこうした障害特性を介護者に説明することで、排泄トラブルの潜在的解決策となると考えています。
ICTを活用した研究開発
認知機能の活性化を図った『60年前の秋田』
浅野准教授が作成した『60年前の秋田』
浅野准教授は現在、認知機能の活性化を図るための認知刺激療法『60年前の秋田』を介護施設で毎月実施しています。認知刺激療法はイギリスで開発されたエビデンスのある非薬理療法です。馴染みのある写真や実物、音楽等の様々な認知的刺激を提供することで、会話や思考を促します。『60年前の秋田』は、60年前の秋田魁新報の記事を題材に、季節の話題などを浅野准教授自ら分かりやすく改編し、スライド化したものです。そしてそのスライドをグループで見ながら話しかけたり、実物に触れたりします。
昔懐かしい記憶を活用する回想療法が組み込まれているこの治療は、同時に触覚や聴覚等も刺激されます。認知症の方は昔の記憶は残っていることが多く、それを誰かに話すことは脳の活性化に繋がり、治療だけでなく予防法にもなると言われています。
そして今後浅野准教授は、秋田県内の家庭等に残る8㎜フィルムをデジタルアーカイブする『秋田8㎜Filmアンソロジー』の活動を行う秋田公立美術大学の石山友美准教授と共に8mm版『60年前の秋田』を実施する予定だといいます。石山准教授がアーカイブした8㎜フィルムを利用し、昔の動画をどのように見せると有効な認知的刺激になるのかを検証するため、準備を進めています。
いい関係を築くことで日常が変化する
この他に浅野准教授は認知症の方と介護者の関係性改善のため『私のアルバム』という取り組みも行っています。これは、認知症の方から若い頃の話を丁寧に聴き取り、その内容について家族の確認を取り写真提供等をしてもらい、アルバムにまとめたものを本人と介護者が一緒に見るというものです。
この取り組みで、認知症の方はストレスや不安から来る徘徊や暴言等の“行動心理症状”が、介護者は“介護負担感”が有意に減少したといいます。聞き取りによって介護者も認知症の方の人柄を理解でき、関わり方が分かるようになったこと、そしてお互いが関わったアルバムを一緒に見て交流することで関係性が改善したと考えられています。
このアルバムの効果は中等度の認知症までは効果があることは知られていましたが、浅野准教授は初めて重度者まで対象を広げて高頻度で関わった研究を行い、重度者の行動心理症状にも効果があることが確認されました。
より良い支援ができるように
アナログツールをデジタルツールに発展させる
浅野准教授は2021年から住友ファーマ社、AIKOMI社と共に『60年前の秋田』と『私のアルバム』を統合発展させた研究を行っています。
前述の2つのツールは浅野准教授が手作りしたものですが、制作に時間と労力がかかります。実際の介護現場でも、効果は理解していても制作時間を割くことが難しいという問題がありました。また、インターネット上の良い素材も著作権の関係で容易に使用できない問題もあります。そんな時に浅野准教授が出会ったAIKOMI社の『Aikomi Care』というAIを使ったコンテンツ制作の支援ツールは、こうした問題を解決する可能性を秘めたものです。
Aikomi Careは対象者の年齢、性別、出身地等からAIが対象者に最適だと判断したデータベース内の画像や映像を使いコンテンツを作るシステムで、使用時は2台のタブレットを通信させ、双方のタブレットには互いの映像とコンテンツが同時に表示される仕様になっています。また通信によるコンテンツ提示は遠隔介入でもあり、面会が制限されたり、都市部に住んでいて普段なかなか会えない認知症者の家族と認知症の方をつなぐ未来志向型の認知症ケアが可能になります。
現在浅野准教授はその効果や使い勝手を検証するチームに関わり、将来的には対象者の認知機能レベルや、タブレットを見ている時の表情までもAIが分析し、本人の興味や関心に合致するコンテンツを本人が理解し易い形式で自動で提示するシステムを目指しているそうです。認知症を発症した本人にとって、今まで出来たことが出来なくなったり記憶を無くすことは非常に辛く、不安を感じます。こうしたツールで過去の話を聞いてもらいリラックスしたり、知的な刺激を得ることは認知症による様々な症状の緩和に大きく役立つのです。
暮らしやすい環境への取り組み
認知症の初期症状で今日の日付がわからなくなる方が多く、日付が分からなければゴミ出しの日やデイサービスや病院に行く日も分からないため困難が生じます。そこで浅野准教授は秋田県内のIT会社と共に在宅者向けの安否確認機能付き壁掛けカレンダーの開発を試みています。
このカレンダーは主に軽度の一人暮らしの方や夫婦で生活している方に向けたもので、タブレットに今日の日付がひと目でわかるように印され、介護者が認知症があるご本人の予定をリモートで入力・表示し、スケジュール管理をアシストすることで、できるだけ長く住み慣れた在宅で暮らせるようサポートするものです。
認知症カフェでの多くの学び
認知症の方の家族会や地域包括支援センターが運営している「認知症カフェ」は、認知症の方や家族、地域の人が交流を図り、認知症の方や家族の居場所を作ることが目的で開催されています。認知症カフェには専門職スタッフがおり、認知症や医療・介護のことなど、日々の生活での心配事を気軽に相談できるほかに、介護をする家族同士で悩みを共有したりアドバイスも受けられる場所です。
秋田市には約20ヶ所の認知症カフェがあり、いくつかのカフェには浅野准教授が秋田大学の医学部保健学科登録団体として立ち上げた『認知症の人の生活支援研究会』に在籍する学生が参加しています。
認知症カフェに参加することで、学生は家族がどんな悩みを抱えているのか、作業療法士や保健師、認知症サポーター等の専門職がどんなアドバイスをするのかを学ぶことができます。そして今後は認知症の方とも交流し、お互いが楽しみながら支援できる機会を模索していくといいます。
「学生たちが働く頃には高齢者の割合が今以上に増え、実際の臨床場面で認知症の方と関わる機会も多くなるでしょう。ケアの方法など学生時代の経験は将来生活支援に役立つことが沢山あると思います」
デジタルエイジの新しい発想に期待
浅野准教授は作業療法士になるため、SEという異業種から短大に再入学し、精神科病院や介護老人施設で認知症の方のリハビリテーション業務に従事していました。当時認知症は痴呆と呼ばれたり、介護環境も良いとは言えず、浅野准教授は何もできない無力感やもどかしさを抱えていたといいます。そして認知症の方と介護者が置かれた境遇を変えるため、大学院で専門知識を学び、これまで沢山の研究をしてきました。
「高齢化と共に認知症有病率は上がり、誰しも“認知症とは無縁の関係”とは言えなくなってきています。もし発症しても、そこに安心して暮らせる環境があることが大切なのです。若い世代の皆さんは幼少期からパソコンやインターネット、デジタルツールなどのICTに慣れ親しんだデジタルエイジなので、デジタル技術を活用した新しい発想の生活支援に取り組んで欲しいです。希望と尊厳を持って人生の最終ステージを送れるよう支援することは、SDGsの「すべての人に健康と福祉を」にも一致します。その中で私自身の経験も伝えていければと思います」
超高齢化社会と呼ばれる時代の中、リハビリを要する人が必然的に増加することで作業療法士のニーズはさらに高まり、AIを活用したリハビリも今後発展していくと予想されます。しかし患者さんに寄り添う温かな気持ちや、コミュニケーション力はこの先も必要であることに変わりはありません。
浅野准教授は今後も認知症と向き合い、時代を見据えた作業療法士の育成と認知症の方が必要なこと、望むこと、楽しいことの生きがい支援のために尽力していきます。
学生の声
作業療法学専攻 2年次
佐々木 愛 さん
私の家族が過去にリハビリをしていたことがきっかけで、中高校生の頃から作業療法士という仕事に魅力を感じていました。より生活に密着したリハビリができる作業療法士を目指し、日々沢山のことを学んでいます。
さらに最近、認知症のご家族のお話を聞く機会があり、教科書では学べないような興味深い話を聞けたことで、今以上に色々な事を勉強していきたいと思うようになりました。私のように作業療法士の仕事に興味を持っている高校生の皆さんは、ぜひ秋田大学医学部保健学科に来てほしいと思います。
作業療法学専攻 2年次
久保 沙月 さん
祖母が曾祖母を介護していた話を聞いたことがあり、介護する側もされる側も大変な思いをしていた印象を受けました。そこから高齢者のリハビリに興味を持ち、秋田大学に入学しました。秋田大学医学部保健学科では、認知症の方本人や家族、専門職の方が気軽に集まり交流や相談ができる認知症カフェが開催されています。私も祖母が介護をしているため参加しましたが、支援できることを考える良い機会となりました。
作業療法士は生活に密着したリハビリに関わる事が大きく、メンタルのリハビリはご本人の生きていく支えともなる仕事だと思っています。
作業療法学専攻 2年次
渡辺 ひかり さん
私は漠然と医療関係の仕事に就きたいと思っていましたが、色々調べた上でリハビリに興味を持ち、作業療法専攻に進みました。生活支援研究会で認知症の方ご本人やご家族の方のお話を聞く機会がありますが、今後の臨床実習でも認知症の方と実際に関わることもあると思います。
作業療法士の仕事はとても奥が深くやりがいのある仕事だと思うので、これからも様々なことを吸収し、多くの方を支えられる作業療法士になりたいと思います。作業療法士を目指している方はもちろん、将来人のために働きたい、という方もぜひ秋田大学医学部保健学科を目指してくれると嬉しいです。
作業療法学専攻 2年次
長門 知優 さん
高校の職場見学で初めて作業療法士という仕事に触れ、作業療法士はリハビリ治療にレクリエーションや創作活動なども取り入れて患者さんの生きがい自体を支援しているとわかり、私もこの仕事に就きたいと強く思うようになりました。
生活支援研究会で家族や専門職の方とのやりとりを見ていると、臨床実習でも活かせることが多く、大学で学ぶ度に作業療法の魅力が増しています。現在の医療は発展していますが、認知症は私たちの世代でも無関係なことではありません。積極的に関わっていかなければいけない職種だと思っているので、興味のある方はぜひ一緒に学びましょう。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです