日本におけるフォレンジック看護の発展のために
フォレンジック看護学を日本へ
米山教授は保健師活動の経験から、アディクション(アルコールやギャンブル等への依存)やDV・虐待といった暴力や性暴力の問題に焦点を当て、被害者の回復支援および当事者を支援する支援者のサポート・ケアを目指した研究(フォレンジック看護という新しい看護領域)をすすめています。
保健師時代に受けた健康に関する様々な相談の中でも、アルコール問題を抱える家族の相談に訪れた女性が印象深かったと語ります。
はじめて受けたアルコール関連の相談は、アルコール依存症の夫から包丁で背中を刺された女性が、退院したその足で相談に来たという壮絶な内容でした。その女性はとても淡々とした様子で、どこの病院がいいか、どうしたら夫を入院させられるのかを尋ねました。米山教授は病院の紹介や入院手続きの方法などを伝えましたが、女性の冷静な表情や言動と、『3日前に夫から背中を刺された』という状況のミスマッチに、疑問と戸惑いを覚えたといいます。
相談が一段落したあと、米山教授が「ところで奥様ご自身はどうされたいですか?」と聞くと、女性は堰を切ったように涙を流しました。「怖いです、もうやっていけません」と。女性は帰宅後、夫にアルコール依存症の治療と保健所への相談を勧めるも拒否されたため、離婚を決意されたそうです。
「忘れられないショッキングな相談でした。数年後にフォレンジック看護領域のことを知った時に、彼女自身へのケアが、まさにフォレンジック看護だったのだろうと思い返しました。当時はまだ、暴力を受けた被害者への関わりが看護の対象だと意識して関わっていませんでしたが、こうした相談者の多くがフォレンジック看護領域でサポートされる存在であったと思いました」
アディクション問題に苦しむ人や、DV・暴力被害を受けた人を看護者としてなんとか支援できないだろうかと考えた米山教授は、当時日本にはまだ知られていなかったフォレンジック看護学を2000年に北米から紹介し、2014年には志を同じくする友人知人の方々と「日本フォレンジック看護学会(JAFN)」を立ち上げました。設立に至るには、さまざまなご縁があったと語ります。
「神奈川県で大学の教員をしていた時、たまたまアメリカに「国際フォレンジック看護学会」という団体があることを知り、早速会員になりました。初代会長のヴァージニア・リンチ氏が国際法医学会参加のために来日した際、熊本大学の恒成(つねなり)茂行教授に「日本でフォレンジックナースが活躍するのに何年かかるか」と聞いたそうです。恒成教授の「100年かかるだろう」という返答に落胆して帰国したリンチ氏ですが、後に会員名簿で私の名前を見つけて、大変嬉しく思ったそうです。リンチ氏は直接私に連絡をくださり、それ以来のお付き合いが続いています。
その後私は秋田大学に赴任したのですが、法医科学講座の美作宗太郎教授も恒成教授と以前お仕事をご一緒されていたと聞き、恒成教授を中心に、色々なご縁が結びついたのかなと感謝しています」
被害者のケアと、支援者のケア
性暴力被害者が抱える苦しみや事後の症状は、一般の方はもちろん、医療関係者にさえも十分に理解されていないという現状があります。では、具体的にはどのようにケアを進めていくのでしょうか。
まず、急性期の場合は証拠の採取と身体の傷のケアです。女性警察官が被害者の産婦人科受診に付き添い、(現在は)産婦人科医師が被害者の身体に残された加害者の証拠を採取し、警察から検察へ届けます。DNA鑑定等により加害者を特定すべく調査が行われますが、事件を訴えるかどうかは被害者本人の希望に沿ってすすめられます。妊娠や性感染症の恐れもあるため、予防薬の投与や治療も時期を見て行います。
慢性期の場合は、被害者の6割以上が発症するPTSD(心的外傷後ストレス障害)のケアが非常に重要です。被害を受けたときの記憶がフラッシュバックし、不安や恐怖・無力感に苛まれ、悪夢を見たりします。こうしたトラウマは、心だけでなく身体の様々な不調や生活のすべてに影響が及ぶため、トータルなケアが重要になってきます。
しかし上記の対応ができるのは、被害者本人が警察に被害を訴えた場合や、自ら被害者支援センターなどの相談に繋がった場合のみです。特に性暴力は誰にも言わず警察にも行かず、自分の中で何もなかったことにしてしまう方が多いそうです。性暴力や暴力を受けた辛さを薬物やアルコールで凌ぐ人もいますが、それが新たなトラブルを生む場合もあります。薬物依存症の女性の体験を聞くと、ほとんどの方が性暴力や虐待にあっているといいます。自分が大事にされた経験が乏しく信頼できる他者との関係に恵まれていないため、薬物やアルコール依存に陥るという悪循環が起きています。
被害者の回復プロセスは、被害の程度、加害者との関係性、被害を受けたあとのサポートなどによって変わってきます。
米山教授は、秋田県の配偶者暴力相談窓口や秋田市の子ども未来センターなどで、相談員のスーパーバイズを行っています。相談員は、時にヘビーでショッキングな性暴力や虐待、アルコール問題に関わる相談を重ねるうちに、影響を受けて疲弊することがよくあるそうです。加害者の暴力が被害者を通して支援者にも影響が及ぶことを、二次的PTSDといいます。
被害者にかかわる専門職が、この影響を理解していれば心の準備もでき、対処も可能ですが、知識がないと相談を受けるうちに圧倒されてしまい心が燃え尽きたようになってしまいます。『あの相談者が来ると嫌だな』という専門職の思いが相手に伝わってしまい、相談者が『自分は受け入れられていない』と相談をやめてしまうこともあります。結果的に被害者支援にプラスにはならないため、相談員をサポートし、エンパワーメントしていきたいと米山教授は考えています。
アディクションやDV、暴力被害に対する理解を広めたい
「医療や看護の世界では、アディクション問題やフォレンジック看護に関してはまだまだ理解が広まっていません。アメリカのSANE(性暴力被害者支援専門看護師)の活動を視察したことがありますが、総合病院救命救急センターの一角にSANEの相談・検査室があり、1例1例とても丁寧に、患者さんのペースに合わせた支援が行われていました。研究を進め、成果を発信することで、看護分野での被害者支援や患者・家族支援のスタンダードを確立することができると考えています」
米山教授は、シンポジウムや講演会、研修会、雑誌の鼎談、秋田県アルコール健康障害対策推進計画、秋田県ギャンブル等依存症対策推進計画、国のアルコール健康障害対策関係者会議の委員などを務めています。国のアルコール健康障害対策関係者会議では、米山教授はアルコール健康障害対策に関する研修等の対象者を市町村等の福祉関係者も含めて積極的に拡大する必要性を強く発信し、採用されています。保健師の経験から、行政機関の福祉担当者の理解が重要と考えたためでした。これからも、国や県の政策・施策決定の場に参加し、法律や施策に関与していく所存です。
患者さんから学ぶ姿勢を忘れずに
精神看護学ゼミには4人の学生がおり、統合失調症の患者家族のニーズに関する研究や、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)という概念についての文献調査、実習中の看護学生のストレス・睡眠障害についての調査などの研究に取り組んでいます。
「今世の中にある知識がすべて正しい、完全であるとは限りません。まだ明らかになっていないこと、学問領域として確立していないことも多々あるはずです。知識を全て鵜呑みにせず、なぜだろうと疑問をもって学んでほしいのです。
私は患者さん、被害者の方、住民の方から困っていることを丁寧に聴き取ることで『事実は小説よりも奇なり』という言葉の重みを痛感してきました。相手の方から学ばせていただくという姿勢を持つことは、人の支援をしていく専門職にとってとても重要な視点だと考えています。学生にも患者さんから学ぶ姿勢を持ち続ることで、寄り添うケアの奥深さを学んでほしいと思っています」
深く広い、心の看護の世界。傷ついた人々が自ら回復していくことを安全に、安心のもとで支援できるように、米山教授は日本におけるフォレンジック看護の発展のために力を尽くします。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです