猛威を振るう未知なる新型コロナウイルスの解明
世界的感染病と久場教授による研究
2002年11月、SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国南部の広東省を起源として非定型性肺炎を引き起こし、世界規模で感染が確認されました。アジアやカナダを中心に感染拡大し、2003年7月に終息宣言が出されるまで32カ国で8,000人を超える感染者が出たといいます。SARSは非常に感染力が強くインフルエンザのような症状が発症し、非定型肺炎へ進行するといいますが、未だ有効な治療方法は確立していません。
そして現在、世界中で感染拡大している新型コロナウイルスは、2019年11月中国湖北省武漢市で発症が確認されました。ウイルス名は「SARS-CoV-2(Severe acute respiratory syndrome coronavirus2)」、病名は「COVID-19(Coronavirus Disease 2019)」と命名されています。はじめは風邪のような症状や味覚嗅覚障害が起き、軽症のまま治癒する人もいますが、呼吸困難や咳などの症状や肺炎に進行し、さらには人工呼吸管理が必要になるなど重篤になることもあります。SARSと違い、体内にウイルスが入っても症状が出ない不顕性感染が若者に多い傾向があるのも特徴です。
次々と起こる感染病のさなか、久場教授は2002年から「ACE2(アンジオテンシン変換酵素2)」という酵素の役割の研究をされていました。「ACE2」とは、血圧を上昇させる作用を持つアンジオテンシンⅡというホルモンを分解し、血圧を降下させる働きをする酵素です。そしてこの「ACE2」の酵素活性が、SARSの重症化や重度の肺炎、心不全を抑えることができるということが、久場教授の研究によって明らかにされたのです。
ウイルスが体内で引き起こすこと
まずウイルスは私たちの体内に入ってどのようにして感染するのでしょうか?久場教授によると、ウイルスの表面のとげ(スパイク)が人体の中にある宿主細胞「ACE2受容体」と結合することで感染するといいます。最初は身体がウイルスを排除しようとしますが、ウイルスが細胞の中に侵入し遺伝物質を注入すると、正常な細胞がウイルス細胞に侵され、増殖していくのです。それによって正常な肺の細胞が破壊されると肺炎となり、SARSもCOVID-19もこの流れで感染が起こるといいます。
前述でウイルスが「ACE2受容体」と結合することで感染するといいましたが、ACE2はそもそもウイルスの受容体で、受容体ということは言い替えるとそれが無いと感染しないということにもなります。さらに言うと感染に必要な細胞表面の分子であるとも言えます。このようにACE2は肺炎や心不全を抑えることと、もう一方でウイルスに感染させる受容体という二面性を持っている謎の酵素なのだそうです。
ACE2は肺だけでなく消化管、腎臓、心臓、血管にも発現します。血圧を上げたり、肺炎を悪化させるアンジオテンシンⅡをACE2が分解して血圧を下げたり炎症を抑える作用がはたらく一方で、ウイルスが先に侵入してしまうとその役割を果たせなくなってしまいます。アンジオテンシンⅡを減らすための降圧剤や心不全の薬は凡常に使用されていますが、その薬のARBやACE阻害剤を投与することによってACE2の量が増えるのではないかという報告がありました。これによってこれらの薬剤投与がCOVID-19の重症化や感染リスクを上げることと関連があるのではないかと危惧されたのです。
このような関係性を明らかにするために世界的に臨床研究が行われ、現在ではARBやACE阻害剤の投与によって重症化の増加に繋がることはなく、むしろ重症化しにくいという臨床データが出始めてきたと久場教授はいいます。そしてCOVID-19を解明するための研究はさらに続きます。
悪玉のアンジオテンシンⅡをブロックする「ACE2」にフォーカスした研究
COVID-19に感染すると、ウイルスが血管を傷つけて血液が固まりやすくなる分子のシグナルが血管の表面に起こり、必要の無いところで活性化され血栓(血液の塊り)ができたり、血管炎を発症することがあります。血栓が心臓や肺の血管に詰まると心筋梗塞や肺梗塞または脳梗塞が起きやすくなり、この症状は30〜40代の若い人でも起こりうる事象です。これにはブラディキニン(血圧降下や炎症、浮腫を誘導する生理活性物質)というペプチドが関係しているということがわかってきており、久場教授の研究では、COVID-19については悪玉のアンジオテンシンⅡやブラディキニンや未知のペプチドを分解するACE2の酵素活性が大きく関わっているのだそうです。
久場教授はヒトの組換え型のACE2たんぱくを大量生成し、たんぱく製剤として重症の肺炎を治癒できないかという研究をしていました。それを臨床応用するために、ベンチャー企業、製薬会社とタイアップして重症肺炎の治験を行なっていましたが、様々な原因でおこる重症肺炎に対してひとつの薬剤で治療効果を見るのは難しい上に、薬剤のコストがかかるということがあり、結論を出しにくいという問題でこの研究は中断されていたそうです。しかし、今回COVID-19のパンデミックとある微生物酵素の発見により急速に展開されていきます。
「COVID-19」受容体「ACE2」と同じ機能を持つ微生物酵素「B38-CAP」の発見
2020年2月27日、秋田県北部にある白神山地土壌から分離した微生物から人体由来の「ヒトACE2」と同じようなたんぱく構造を持っていることを発見しました。研究解析からマウスによる動物実験では、「ヒトACE2」と同程度の安定した血中濃度が維持され、悪玉のアンジオテンシンⅡを分解して高血圧や心不全を改善されるというのです。この白神山地の土壌から採取した微生物酵素「B38-CAP」は循環器疾患や重症化肺炎の治療薬として効果があることを久場教授研究グループはプレスリリースを出しました。
その背景には秋田県総合食品研究センターの白神山地土壌の微生物を採取培養して何か有効な物に応用できないかという研究があったといいます。その研究で新しい菌株でB38を見つけ、ゲノム構造を調べたところACE2と似たような活性を持つ遺伝子があったことから、ACE2の研究をしていた久場教授の研究グループや国際農研、他との共同研究を行ったのです。その研究成果は国際医学雑誌「Nature Communications」に掲載されています。
ACE2はSARSの重症化阻止や心不全の改善に有効であることは久場教授によって明らかにされていましたが、治療薬として大量生成することが困難でした。今後は、生産効率の高い「ヒトACE2」をデザインし合成できるようになることが期待されています。喘息治療などで薬液を細かい霧状にして気管支や肺に送り込む吸入器(ネブライザー)を使い、呼吸器の傷ついた細胞の治療や、患者さんが重症化したり後遺症を発症しないように吸入療法として「B38-CAP」を応用できないかと久場教授は今後の方向性を定めているといいます。
現在、COVID-19に発症するメカニズムと、発症して重症化してしまうメカニズムは何が決め手になっているのかは解明されていません。一人ひとりの遺伝子が違うため、それは個体差によるものなのかもしれません。また、ウイルス自体も変異している可能性があります。ウイルスとACE2の受容体がどのくらいで結合するのか、結合してどのくらいで細胞に入り込んでいくのか、その変異の仕方や、どのように相互作用するのかということは未だに明らかになっておらず、それにより世界的に沈静化せず高止まりしている状態です。「早急にこの問題を解明していくことが我々研究者の使命と考えています」と久場教授は熱い思いで語ります。
RNAに着目した新たな研究
COVID-19ウイルスはRNAからできています。RNAとは、リボ核酸とも呼ばれるもので、RNAが合成する鋳型となりタンパク質が作られます。つまりDNAからタンパク質の設計図を写し取る働きをしているということです。生物の体内で行われるタンパク質の合成は、DNA→RNA→タンパク質という順で遺伝情報が伝えられていきます。人間のDNAは二重螺旋構造ですが、COVID-19ウイルスは1本鎖構造でできていて、RNAから直接タンパク質が作られるのだそうです。しかしRNAからタンパク質が作られる過程はまだ明らかにされていない部分があるので、このメカニズムを解明することが久場教授の現在行っている2つ目の研究です。
久場教授は制御因子の生理的なメカニズムを調べるために、遺伝子改変動物を使ってマウス実験をしています。その結果、RNA制御因子が無くても正常な遺伝子があること、反対に発育に異常が現れることもあること、それが人の場合でも同じように遺伝性疾患が起こる時があることがわかってきました。
「RNA制御因子は、親から受け継いだ変異ではなく、「de nobo変異(デノボ)」という突然変異で新しく発生した変異もあります。これは今までの遺伝子学とは異なったもので、先天性疾患や原因不明だと言われてきた疾患の解明や、神経性の疾患でRNA制御因子に異常があっても治療に繋がるのではないかという教科書には載っていない未知の部分を今後も解明していきたい」と久場教授はいいます。
未知の病を紐解くために
外科的治療で効果があった患者さんでも、のちに感染症や肺炎で身体をコントロールできなくなってしまったり、現在の医学ではどうにも出来ないという現実があります。それを少しでも無くすためには基礎研究をしっかり固めることだと久場教授は考え、研究者の道へ進みました。そして現在、これからの医療のために秋田大学の学生と共にまだ解明されていない分野の研究などにも取り組んでいます。
「先生と学生の距離が近く、今回プレスリリースした研究も医学部5年生が筆頭研究者として行なったものです。学術的なことでもいろいろなところにアクセスできますし、サポート体制はしっかりできています。そういう土壌がしっかりあるのが秋田大学の強みではないか思っています」
今回のCOVID-19などの感染病や未知なる分野はまだまだたくさんあり、時代と共にそれも変化していきます。久場教授はその流れに沿いながら常に研究と向き合い、今後の医療にも大きく貢献していくに違いありません。基礎研究を共に深めたいという学生、これからも現れるであろう未知の病を研究したいという学生を待ちわびながら、私たちが少しでも安心して暮らせる世の中を維持するために今日も研究に取り組んでいます。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです