秋田大学研究者 秋田大学研究者 野村恭子教授

Lab Interview

公衆衛生で社会システムを変革し、多くの人の健康に貢献したい

公衆学的な課題が山積する秋田県

島根県の出張診療所

診察の様子

 赤ひげ医に憧れ、何でも診ることのできる町のお医者さんになりたかったと話す野村教授。最初に赴任した島根県山間部には医療機関がなく、公民館と巡回バスを借りた出張診療所を4年ほど続けたと振り返ります。
 「医者がいないところへ医療を届けることに魅力を感じました。ひとりで何でも診ることのできるスキルを身に付けるために内科と心療内科の専門医を取りました。しかしどんなに頑張っても臨床医が一生でお世話できるのは1000人くらいと、救える人数に限界があることを残念に思いました。もっと大勢の人の健康増進に貢献したいと考え、公衆衛生学へ転向しました」
 公衆衛生とはどのような学問なのでしょうか?秋田を例に挙げてみましょう。子どもが少なくお年寄りが多い、若者が県外に流出する…等、社会現象と健康にまつわる問題についてのデータを収集・分析し、研究結果を現場に戻し社会システムを改善し、何万、何十万の人たちの健康に貢献する、これが公衆衛生学です。

 秋田県は47都道府県の中でも自殺率が17年間全国1位、脳卒中、高血圧、がん死亡率が高い等、公衆学的な課題が山積しています。公衆衛生の専門家から見ると、こんなにやりがいのある地域は、日本全国どこを探してもないのだそうです。

 公衆衛生の研究は、何万人もの健康状況や健康診断結果などをデータベース化し、何十年も追いかけて解析します。例えば、初回の血圧が高いと10年後に脳卒中のリスクが何倍高くなるか、10年前の血圧の値はどれくらいなら安心なのか等を算出します。 高血圧だけでなく、がんやメンタルヘルス、うつ病等に対しても細かく調査し、対策を立案できるような科学的根拠を、「研究」というツールを使ってつくり出すのです。

妊娠中の栄養管理が、子供の50年後の健康に与える影響

 母子の健康についての研究では、日本全国のお母さんの1/4が「痩せている」もしくは「痩せすぎ」であるという結果が出ています。痩せているお母さんから低体重児が生まれることは、日本産婦人科周産期18万人分のデータベースが表している、明らかな事実です。

 さらに、妊娠期間中に痩せていると、お腹の中の赤ちゃんの遺伝子が収縮されてしまい、成長後に生活習慣病やがん、メタボリックシンドローム等になるリスクが高まるということが分かってきました。

 「お母さんが痩せていることが、子どもの50年後の健康にまで影響を与えています。このような情報はまだ一般の方たちへきちんと届けられていません。若い人はもちろん、病院側への啓発や体制づくりを、一刻も早く進めて発信していかなければなりません。
 痩せすぎのお母さんが多いのは、太りたくない女性が圧倒的に多いからです。同じ女性としては美容意識が高いのは理解できますが、お母さんの健康状態が子供の未来の健康に関係するということも覚えておいてください」

 アメリカでは、妊娠中に喫煙していた母親を子どもが訴えた事例もあります。お母さんは自分ひとりの体ではないということ、お腹に命を宿した時から子宮内環境に責任が生じるということまで考えなければならない時代に変わってきているのだそうです。
 しかし、必ずしも大きな赤ちゃんが良いとは言えません。4,000g以上の子どもは巨大児と呼ばれ、母体にも赤ちゃんにも合併症が起きやすい等の影響が生じます。適正な体重栄養管理と健康な母体づくりが、自分の子どもの未来を守ります。

 公衆衛生はチームを組んでの共同研究が多いことも特徴です。母子の健康については雪印ビーンスタークとの共同研究を行っています。日本全国の産まれたばかりの子どもとその母親1,200名を5年ほど追跡研究している最中ですが、母乳のカロリー数が少ないという現状が、基礎解析段階で既に明らかになっているといいます。
 「母乳は赤ちゃんにとって唯一の栄養源です。子どもに栄養を届けるためには、お母さんが栄養を摂取しなければなりません。母乳の栄養が足りないと発達が遅れるという事実を、研究によって裏付けることができれば、「産後もお母さんが栄養を十分に取らなくてはならない」という世の中の動きに繋げていけるのです」

 産後のダイエットが母乳の栄養減に繋がるかどうかは、まだはっきりとした科学的根拠がありませんが、野村教授が行った調査では、体重の戻りは2kg/月という結果が出ており、基準の0.8kgより多くなっています。授乳期の母親は普段よりカロリーを摂取する必要がありますが、それができていない事になります。
 「もちろん、やみくもに高カロリーの食べ物を摂取すれば良いわけではなく、良質なたんぱく質を取らなければいけません。北欧には正しい情報をまとめたwebサイトがありますので、日本語版サイトの制作を検討してみても良いかと思っています」
 ネット上には誤った情報も拡散されています。ネットの記事や広告に惑わされず、通院先の医師や看護師からの知見を得る方が良さそうです。

秋田の食事は塩分が濃い?

 現在取り組んでいる協会けんぽとの共同研究は「秋田の働く人の健康管理」がテーマです。秋田県は大企業が少なく中小企業が多い社会です。中小企業に勤める秋田の方は喫煙者が多く、お酒も好んで飲み、塩分も多く取りがちで、生活習慣や健康意識が疎かになっている方が多いといいます。その結果、若いうちから血圧が高かったり、脳卒中の要因にもなっています。そういった方々の行動変容(生活習慣を良い方に変えること)を促すにはどのように呼びかければ良いのか、共同研究を進めているところです。
 具体的には再来年の事業になりますが、秋田県庁と共同で県民健康調査を実施する予定です。県民が日常的に食べているものや、塩分の過剰摂取について、秋田県民全体の栄養調査・健康調査を行います。

由利本荘・にかほ市民医学講座の様子

 「秋田の方は塩辛いものを好んで召し上がるようですね。患者さんから聞くと「体に悪いのはわかっているけれど、やめられないしやめたくない」とおっしゃいます。濃いお味噌汁や味付けで育っているためか、幼いころから味覚が植え付けられているのではないでしょうか」
 また、「しょっぱさ」に限らず、味の基準は人それぞれ異なり難しいため、味覚の勉強会を開いている市町村もあります。やり方としては「薄味・濃い味・中間」の三つの濃さの料理を用意し「この味が味噌何グラムの味」というように、一般的な味覚の基準を学ぼうという取り組みです。

根拠があれば法律は変えられる

 野村教授は、女性支援へも熱心に取り組んでいます。
 「働く女性が多いのは医療福祉現場です。夜勤や体位交換等のハードな仕事をする女性の更年期症状やPMS(月経前症候群)は、過重労働が影響しているのではないかと考え、卵巣機能と過重労働の関連性調査を看護師さんを対象に行っています。過酷な労働をしている女性は、切迫流産なども多いのです」
 秋田は共働き夫婦がほとんどであるせいか、女性の負担が大きいようです。性別役割分業の文化も見直すべきと考えています。

 また、月経前症候群は女性の労働パフォーマンスを低下させると言われていますが、これを経済的に試算すると8億円の労働損失に換算できるという報告もあるそうです。特に男性が多い会社に勤めている女性はなかなか周りに相談できずに困っているそうです。月経時のヘモグロビン数値が6を切ると重度の貧血で輸血が必要なレベルです(正常値は12)。そのくらい苦しんでいる人もいるのだと、野村教授は教えてくれました。ホルモン療法(ピルの服薬)という方法もありますが、ホルモンバランスと症状がリンクするとは断言できず、性ホルモンにはまだまだ不可思議な部分も多いそうです。

 現在の労働基準法では産前休暇の取得は義務ではなく、希望者しか休むことができません。周囲への遠慮から、休みたくても休めない人はたくさんいると野村教授はいいます。
 「切迫流産でお子さんを亡くしている人はたくさんいます。もし切迫流産と過重労働に因果関係があるのならば、労働基準法を改正して産前休暇も義務化するべきです。医学的根拠をはっきり示すことで、法律は変えることができるのです」

健康に関心がある方なら一緒に研究ができます

 公衆衛生分野に携わるのは医師だけではなく「健康に関心のある人」なら、栄養士、保健医、看護師等の他領域の方々とも一緒に研究を行います。チームワークとネットワーク、そしてコミュニケーションがとても大切です。秋田大学でも医学部だけでなく、理工学部でのAI・介護ロボットの開発等、幅広い分野が関わる学問です。

これからの公衆衛生分野を担う学生たち

 「公衆衛生はとても幅が広く、やりがいがあります。その理由は、大勢の人の健康の増進・維持に自分が社会貢献できるフィールドであるということです。誰にでもできるし凄く楽しい、やりがいもあり、人に喜ばれる。そんな公衆衛生の分野に共に励んでくれる若い皆さんの力をお待ちしています」

 特に医学科や保健学科の学生は、社会貢献への意欲や、県民の健康に寄与したいという気持ちが強いそうです。公衆衛生分野は人材が不足しています。秋田の健康を守っていく人材を、秋田から出したいという思いで、後進の育成に励みます。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

大学院医学系研究科 医学専攻 社会環境医学系
教授 野村 恭子 Kyoko Nomura
秋田大学研究者 野村恭子教授
  • 帝京大学 医学部 1993年03月卒業
  • ハーバード公衆衛生大学院 健康科学研究科 修士課程 2001年06月修了
秋田大学70周年