秋田大学研究者 柴田健教授

Lab Interview

ブリーフセラピーで行う、個人を尊重した対人支援

「当たり前」は、つくられた価値観

 「とある島に1万人の人が生活していました。その島では、ひとつの国のような安定した生活が成り立っています。あなたは1万1人目の住人として、そこで暮らすことになりました。しばらくしてある事に気が付きます。どうやら先に暮らしていた1万人は、全員統合失調症の症状があるようです。皆が見ているものが見えない、自分だけ聞こえない…。さあ、おかしいのはどちらでしょう?」

 柴田教授が、よく学生に問う質問です。統合失調症とは、幻覚や妄想、意欲低下、認知機能障害などが見られ、生活や社会活動に支障をきたします。自分以外が全員統合失調症という状況を想像した時、大体の生徒が『自分のほうがおかしいのかも?』と感じるようです。
 多くの人間は「世の中の当たり前」から外れた時に、悩み苦しむといいます。当たり前のように皆が通う学校や会社。当たり前のようにコミュニケーションを取り合う周囲。自分は同じ事ができない、社会の中で望ましい考え方や振る舞いができない、つまり自分が悪いのだと、自分を責めて悩んでしまうといいます。
 しかしこの「当たり前」という価値観は誰がつくったものでしょう?社会構成主義の観点では、絶対的な善も悪もありません。私達が思う「当たり前」という価値観は、社会がつくりだしたものであると考えられています。例えば、一般的に人を殺すことは「悪」とされます。しかし、戦争中に人を殺すと英雄になります。このように、社会が変われば我々の価値観も変わってしまいます。これが柴田教授の根底にある考え方、「社会構成主義」です。

ブリーフセラピーは、原因の追求はしません

 柴田教授は、この社会構成主義の考えを応用し、ブリーフセラピーと呼ばれる短期療法を、学校臨床や福祉の現場に取り入れようと活動しています。
 ブリーフセラピーでは、原因の追求をしません。その人自身が持っている潜在的な力、こうなりたいという希望、今できていること、ほんの少しでも問題に打ち勝つことができている部分に目を向け、それを広げていく「構成主義的心理療法」のひとつです。

 「一般的な学校臨床や福祉の現場では、ブリーフセラピーは取り入れられていません。例えば、学校に発達障害の子がいた場合、多くのケースでは発達障害の子を問題とし、正そうとします。このような問題の修正は、本人にとって非常に辛いことになるかもしれません。
 福祉においては、児童養護施設に入っている子供の多くは虐待を受けており、感情のコントロールが苦手だったり、社会的な関わりができなかったりします。他の子と同じようにしなさいと叱るのではなく、ほんの少しでもできていることを、対話や関わりの中で広げていくことが、私の考える対人支援です」

いじめ魔王の活躍

 ブリーフセラピーの考え方を一番活かせるのが、「いじめ」であると、柴田教授は考えます。
 「いじめが起きると、被害者と加害者、そして傍観者というそれぞれの立場にしか目が行きません。しかし、いじめという行為そのものが学校の中で起きていると考えれば、それを対象にして関わりができるはずです」

 山梨英和大学の田代順教授が「いじめ魔王」という論文を発表しています。
 いじめを、学校の中に住んでいる魔王と例えます。全員で(誰かが扮する)魔王を呼び出し、「なぜこの学校に住んでいる」「何を餌に生きている」と問い、「どうすればいなくなるのか」を聞き出すという授業を行います。「学校の中にいじめが存在する」という事に目を向け、いじめの当事者だけでなく、学校全体の問題として、いじめ対策をするという研究です。

 柴田教授も、何度か実際の学校で試したことがあるそうです。
 「先生が扮する大魔王、中魔王、ぬいぐるみの小魔王が授業に登場します。生徒たちはそれぞれの魔王と討論を繰り広げ、授業は終了します。数日後、登校した生徒がクラスの教卓の上に置かれた、いじめ小魔王を見つけます。これはクラス内にいじめが潜んでいるというメッセージだと考えられました。担任の先生が特に説明をするわけでもなく、居座り続ける小魔王。やがて小魔王の存在を気持ち悪がった生徒たちが、自らいじめ対策に乗り出したのです。そして数週間が経ち一段落した頃、いじめ小魔王はクラスから姿を消しました。
 その後この学校では、いじめの訴えがあったクラスにいじめ魔王のぬいぐるみが住み着き、訴えがなくなると消えるという出来事が繰り返されました。すべて解決した頃、いじめ魔王は職員室に戻りました」

 おそらくは先生が置いたと思われる小魔王。しかし、誰が置いたのかは生徒たちには明かされませんでした。「クラスの中にいじめがある」と全員が実感したこと、そして被害者と加害者から問題を切り離す(問題の外債化)ことで、いじめは全体の問題として認識され、皆が一緒に立ち向かうことができたと考えられます。

未知の領域「ネットいじめ」

 最近ではSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用したネットいじめも増えてきています。ネットいじめは、面と向かったいじめよりもとても楽であり、相手の顔が見えない分、いじめをしている実感も湧きづらいもの。しかし、相手に与える心の傷は絶大です。特にLINEいじめは閉鎖された中で行われるため、外からは見えにくく、発見が難しいことも問題視されています。

 柴田教授は約20年間スクールカウンセラーを務め、現在は県内のスクールカウンセラーを配置する仕事もしています。スクールカウンセラーは、生徒たちの心のケアを行うという印象が強いですが、先生方に対するコンサルテーションも大きな役割なのだそうです。
 SNSのひとつLINEの中でも、グループラインを使ったことのある学校の先生は特に少ないようです。これでは、グループラインで起こりうるいじめを、先生方が把握できないかもしれません。学校の先生方は心理学の専門家ではないにしろ、SNSの使い方や機能、ネットいじめの特徴はきちんと把握しておく必要がありそうです。

 また、ある研究では、小さい頃からSNSを使っている方が、相手の感情や微妙な対人関係に気が付くことができるといわれており、SNSの低年齢化は一概に悪いとも言えないのが現状です。SNSによって起こりうる問題、心理教育等、ネットリテラシーは早くから教えたほうが良いと、柴田教授は話します。

自殺、虐待、うつの重いイメージを変えたい

 現在、日本では年に2万人を超える人が、自ら命を絶っています。自殺予防のための一般論は「人に相談すること」とされています。秋田大学でも、悩みを抱える人の相談相手となり専門の相談機関につなげる「ゲートキーパー」の養成に力を入れています。長年の地道な取り組みもあってか、2017年まで3年連続で全国ワーストだった自殺率が、2018年には全国6位となり、ワーストを脱却しました。しかし、依然として自殺率が高いことを、忘れてはなりません。
 高い自殺率や少子化という秋田が抱える課題に対し、心の健康についてなんらかの新しい考え方を提唱していきたいと話す柴田教授。
 「自殺=うつ、自殺=相談という視点とは異なった視点が必要だと考えます。例えばとても辛い状況になっても、恐らく私自身は周囲に相談するタイプではありません。相談に行かない、行けない人もいるのです。世の中がゲートキーパー賛成派100%になってしまった場合、相談に行けない人はかえって苦しむことになってしまうかもしれません。私は絶対的に正しいということはないと考えています。あえて疑義を唱え、別の方法を常に考えておくことが必要です。ひとつの課題に対して、色々な視点があって良いのです」

 例えば、児童相談所での改善事例はたくさんあるにも関わらず、世の中に報道されるのは悪いニュースばかりです。『虐待はものすごく大変、児童相談所は一体何をやっているんだ』という認識がはびこってしまいます。児童相談所の成功事例や、うつや自殺願望から立ち直った事例をたくさん発信することで、うつや虐待は重い社会問題ではなくなっていくと、柴田教授は考えます。重苦しい秋田の難問は、発想を変えてプラスイメージを発信することで、我々の捉え方も変わってくるかもしれません。

「こころの専門家」を志してほしい

 犯罪心理学、発達心理学、感情心理学等、「◯◯心理学」という分野がたくさんあることからわかるように、心理学は幅が広く奥深い世界です。
 「大学で基礎心理学を学んでいる時も常に念頭にあったのは、困っている人、病気の人を助けたいという思いでした。対人支援を、医学とは違う視点でできるのが心理学です。特に精神疾患は、病因を追求することで良くなるとは限りません。社会との関わりや、その人がもつ病の意味に目を向けることであると考えています」

 秋田大学教育文化学部心理実践コースでは、公認心理師の養成がスタートしました。公認心理師とは、医療・保健、福祉、教育、司法・犯罪、産業・労働の諸領域にまたがる心理支援を行う、日本で初の心理職の国家資格です。秋田県はまだまだ公認心理師が少なく、臨床心理士も100名ほどしかいないそうです。
 秋田には、臨床心理の専門家が足りていません。「こころの学」を携えた「こころの専門家」が増え、悩み苦しむ人々が救われる未来を願います。

大学院生の声

 柴田教授のゼミのモットーは「書を携えて町へ出よう」。学生が自分でテーマを見つけ、フィールドに出て体験することを重視しています。教育文化学部からそのまま大学院に進んだ南谷さんと、社会人入学の佐藤さんにお話を伺いました。

大学院教育学研究科 心理教育実践専攻 1年次
南谷 紗果 さん

 皮膚疾患(アトピーやニキビ等)は外見に表れ、相手に悪い印象を与える場合もあります。皮膚疾患を持つ人の中でも、人前に出ることを避ける人とそうではない人がいます。両者に数種類の表情の人物写真を見せて、目線の動きを見た結果、人前に出ることを避ける人は怒った表情の写真をあまり見ないことがわかっています。
 私自身もアトピー持ちなので、皮膚疾患による抑うつや不安、心理的な苦痛を持つ人の助けになれるような研究をしていきたいです。
 学部生の頃に学んだのは、基礎心理学でした。柴田先生のコミュニケーション心理学演習という授業では、普段の生活の中で使えそうなコミュニケーションのとり方を学んだり、無茶な要望に対する応対(コンシェルジュ)のロールプレイが心に残っています。敷居が高そうな印象があるかもしれませんが、実践的で面白い授業もあるので、気軽に門を叩いてみてくださいね。

大学院教育学研究科 心理教育実践専攻 1年次
佐藤 麻由子 さん

 児童養護施設の子どもたちが、これまでの自分の人生を肯定的なものとして受け入れられるような支援を考えています。
 例えば、木の絵の中にこれまでの人生を書いていく「人生の木」というワークがあります。根には出身地や家族など、枝には近い将来、葉には大切な人、実にはこれまで与えてもらったもの等、自分の人生の軌跡を改めて記すことで、様々な過去を持つ子どもたちの人生を見つめ直し、もう一度構築し直そうという取り組みです。
 社会的療法の必要な子どもたちが、いずれ社会に出ていく上で「自分はこれでいいんだ」と思って巣立っていけるような貢献を目指しています。今後は児童養護施設を訪問し、職員の方、子どもたちと関係を構築し、自分ができることを考えていきたいです。
 前職は悩みを抱える人の電話相談員をしており、もう一度きちんと勉強したいと思い、大学院に入学しました。心理学はとても広くて終わりがない学問です。それを今、改めて感じています。少しでも興味がある方はのぞいてみてほしいです。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

教育文化学部 地域文化学科
地域社会・心理実践講座 心理実践コース
教授 柴田 健 Ken Shibata
秋田大学研究者 柴田健教授
  • 同志社大学 文学部 文化学科心理学専攻 1986年03月卒業
  • 同志社大学 文学研究科 心理学専攻 修士課程 1988年03月修了